王家の運命(さだめ)(3)
それは夏の始まりのこと。
地方領主たる貴族たちは、自領へと戻り始め、王都のタウンハウスが集まっている貴族街は少しずつ喧騒を失い、静かになっていく。
謁見の間に入ってきた商人は4人の従者を連れていた。
見たこともない変わった細工の入った金の腕輪を商人も、その従者も、5人全員が身に付けている。安い装飾品ではなさそうだ。従者に見せかけた商人の家族なのかもしれない、とそんなことを考えた。
この商人を謁見することに決めたのは、献上品が回復薬だったからだ。
辺境伯領からやってきたタソガレ商会というこの商人。
辺境伯に確認しようと思っても、あやつは黄の月になるよりも早く、領地が遠いということを理由に白の満月の半ばには王都を出ておるので、問い合わせもできぬ。以前は黄の新月の初めぐらいまでは王都に滞在していたものを。聞くところによると王都に長くいればいるほど、あの弓姫と呼ばれる美姫への求婚でうるさくてかなわんのだとか。
だが、今、回復薬といえば辺境伯領に一番多いというのが誰もが知る常識だ。献上品が回復薬であるというのならば謁見の手間を惜しむものではない。
「こちらを」
先に献上品を預かった侍従たちが恭しくわしと商人たちとの間に、台とともに布をかけた盆を用意して並べたところで、タソガレ商会の番頭という商人が口を開いた。
「うむ。見せてみよ」
そう答えると、タソガレ商会の番頭はさっと動いて、盆にかけられた布を取り払った。
そこには確かに、銅のふたのついた回復薬の瓶が並んでいた。数えると、20本はある。これはありがたい。かなりの数だ。
ごくり、と周囲の大臣や陪臣の中から、唾を飲み込む音がする。彼らにとっても久しぶりに目にする回復薬だ。
これを手にしたいと望む者は多い。
わしが受け取った後に、どうやっておこぼれに与かろうかと必死で考えていることだろう。
「……ありがたく、頂くとしよう。して、望みは何か」
「我らの、身の安全の保障を望みます」
「身の安全の保障、とな……」
「はい」
辺境伯領から回復薬を王都に届けた商人。
これを害する者といえば、辺境伯、か。王家にすら渡さぬと言い切ったはずの回復薬を横流しする者がいれば苛烈なあやつが許すはずもない。
辺境伯から手出しされぬように、ということなら、なるほど、身の安全の保障というのも重要なのだろう。
だが、回復薬の代償としては、釣り合いがとれぬ。王家御用達の免状のみで済むというのに20本の回復薬とは、こちらが取り過ぎだ。
「我らがどこで何をして回復薬を手に入れたのだとしても、我らが何者であったとしても、国王陛下による身の安全の保障を賜りたく存じます」
これは、辺境伯領で相当な危険を冒して回復薬を手に入れているのだろう。
「どうか、陛下の署名と玉璽の入った書状にて、保障を願いますれば」
「……この先も、そなたらと取引を続けることは可能か」
「保障を頂けるのであれば、最善を尽くしましょう」
「わかった。一度、下がるといい」
そこで、謁見は一度、中断させ、商人たちを下がらせた。
すぐに会議室で話し合う。
「辺境伯がこれ以上腹を立てると、独立しかねません。どうか、お考えを」
「いや、あの腕輪、従者までそろいであったぞ? おそらく従者とみせてあれは家族だろう。一族で辺境伯領から抜けてきたのだ。命がけで。しかも、回復薬を手にする手段をもって、だ」
「回復薬の価値は、何とも言えないところだが、ここ最近、王都には1本も入らない状況だった。ほしがる者は多くいて、あれだけあれば王家の影響力は増すだろう。継続して手に入るのなら、なおさらだ」
「辺境伯と敵対してもいいことはないぞ」
「いや、さすがに独立までは考えておるまい。あれは武骨な分、根のところで陛下への忠誠は揺るがんだろうよ」
「回復薬にばかり目を向けているから、そのようなことを考えるのではないか。あの死霊事件の考察にあるように、盾と槍を準備するなどで、回復薬の必要がない軍備をすればよかろう」
「愚かな。回復薬を軍需物資と考えるなど、それこそ武骨な辺境伯と同じではないか。戦争などもはや200年は起きておらんし、王都が攻められるようなことなどない」
口々に意見を戦わせているように見えて、何名かは回復薬がほしいという言葉が今にも飛び出そうな様子だ。
「……誰も、あの者たちの身の安全の保障をするな、とは言わぬのだな」
そう言って見回すと、誰もが沈黙する。
あの商人たちの身の安全の保障はすでに議題ではないのだ。
まあ、王家の玉璽が入った保障であれば、どこかの誰かに手出しをされることはまずない。されたとしても、害した者が王国によって滅されるだけだ。害することの弊害の方が大きい。
こちらとしては書類のみで回復薬の継続取引ができる。それがどこから、どのように調達されるのかは、いちいち問う必要はない。知らぬ存ぜぬで通すのみ、だ。
「書類の準備を」
「はっ」
陪臣や秘書官がすばやく動き出す。
トリコロニアナ王家は、回復薬にとりつかれていたのだろう。
「ところで、タソガレ商会の、タソガレとは、聞かぬ言葉だ。どのような意味がある?」
再び謁見の間で商人たちと顔を合わせる。
これは場をもたせるための話題、というものだ。
だが、一瞬だけ商人は真顔になってから、すぐに笑顔に取り繕う様子が見えた。
……何だ?
違和感は感じた。だが、それが何かはわからぬ。
「…………古い、古い、それはもう、とても古い言葉で、陽が沈む時の様子をあらわす言葉だと言われております」
「ほう。それは、おもしろい。だが、商売が成功しそうな言葉には思えぬぞ」
「お恥ずかしい限りにて。古い言葉、というだけで価値があるかのように感じておりました」
「ふむ。身の安全の保障を求めるのも納得であるな。その意味では、神官などが目を吊り上げて怒りだしそうだ。そなたらの客には神官たちはならぬだろうよ」
「お戯れを……」
「いやいや、すまぬ。さて……」
侍従たちに目をやると、恭しく進み出て、玉璽を押した二つの書類を捧げ持ってくる。
ひとつは王家御用達の商会であることを証明する書類。
もうひとつは商会の者の身の安全については王家が保障することを約した書類。
ただし、外国では通用しないものだ。
商人が証書を恭しく受け取り、にやりと笑う。
「ありがたき幸せに存じます。国王陛下」
「今後も、回復薬の取引ができることを切に願うぞ」
「ええ、もちろんでございます」
そう答えた商人が、その従者たちが、一斉にその腕から金の腕輪を外した。
謁見の間が一瞬で沈黙に包まれた。
さっきまで商人たちがいた、まったく同じその位置に。
さっきまでいた商人たちとはまったく違う者たちが立っていたのだ。
「我らが何者であろうと身の安全を保障してくださるトリコロニアナ王国の王家とは、ぜひとも仲良くしていきたいものでございます」
そう答える声も、先程までとは違い、美しく、耳に心地がよい。
何よりも、そこにいる5人が、全て見目麗しい。中でも、二人の女性は絶世の美女だ。城や国を傾けることができると言われればその通りだと答える、何かを通り越してしまった美しさ。
「その、耳は…………」
やっとのことで口を開いたのは宰相だった。
「我らの耳は、こちらでは珍しいでしょうね。もう、こちらには我らの一族は一人として残ってはいないはずにございますので」
「まさか、本当に、長耳族、なのか……?」
そう。
彼らの耳は、ぴんと尖って、長かったのだ。
長耳族。
それは、かつて、人々が奴隷として近くに侍らせ、欲望のままにその心身を蹂躙し尽くした者たち。
いつしか、長命な彼らも死に絶え、血をつなぐ子を産むこともなく、死んでいったと。
奴隷となることを逃れた者たちは、ド・バラッドの聖なる山のさらに向こうにあるという、暗くて寒くて生きていくのも困難な地に移り住んだと言われている。
目の前に立つのは、神殿の伝承に聞く、まさに長耳族そのものの、姿。
何者よりも美しく、あらゆる人の心を惑わす、という。
「……辺境伯領から、やってきたというのではなかったか」
「ええ。辺境伯領を通って、ここまでやって参りました。辺境伯領のさらに向こうの地から」
暴論だ。
だが、本当に、聖なる山の向こうからやってきたというのも事実なのかもしれぬ。
「魔族との取引など……」
陪臣の一人が声を上げるが、長耳族の男が手を上げてそれを制する。
「今までに、我らと取引なさった者が、おりましたのでしょうか? また、我らと取引をして、損害を受けたという方は? そもそも、我らと会ったことなど、誰もないのではありませんか?」
そう言って、微笑む。その微笑みは、とろけるように美しい。
「だが、辺境伯領では魔物によって辺境の開拓村が滅びたという話もある! それに魔族が関係していたという話も!」
「我らが関係していたという証拠はございますか? それと、魔物など、この王都の近辺にもいるのではないですか? 人々はそれを倒して日々の肉を得ているのでは? どこにでもいる魔物が、たまたま辺境の地で暴れたからといって、それを我らの責任とするのは暴論にございましょう?」
「それは……」
「我らもあの地に引きこもってばかりではやっていけないと、そう考えました。そして、我らなら、みなさまがお望みの物を提供できるとも考えました。それが献上した品にございます。
偏見を捨て、事実を見て頂きたいのです。我らが直接みなさまと争ったことがございますか? ないでしょう? なぜなら、我らはもう500年以上、こちら側には出てきておらぬのです」
「メフィスタルニアの件がある!」
「その話については、いろいろと耳にいたしました。ですが、聞くところによると、メフィスタルニアは死霊に占拠された、と。そしてその死霊どもはメフィスタルニアから出ることはない、と。メフィスタルニア以外に被害を出していないのではないですか? つまり、原因はメフィスタルニアの何かであって、我々ではないと考えます。もちろん、我らに身に覚えはございません。聡明なる陛下、宰相閣下におかれましては、玉璽を押した証書で身の安全を保障した者が証拠もなく、ただの偏見で害されることのないようにお願い申し上げます」
理路整然と、そして、堂々と、さらには美しく、歌うような声で語る長耳族の男に、謁見の間にいた者たちはいつの間にか引き込まれていたのだ。
そして、おそらく、とか、たぶん、とか、伝承では、とか、そういうあやふやな何かでしか、わしらは彼らを否定する手段がないのもまた事実だった。
まさに、証拠はないのだ。
「取引を、と申したが?」
「ええ、取引を願います、陛下。ガイアララを統べる畏れ多くて名を口に出すこともできぬあのお方の使いとして、トリコロニアナ国王ガンラガメジⅦ世陛下に、お望みの物を。私はガイアララよりの使者ロイエンタルジル・ド・トトソレイユ。まずは外交使節に与えられる部屋を王城内に望みます。そして、その後は、長き友愛の時間を」
長耳族は魔族だ。神殿の伝承でそう学ぶ。だが、目の前の者たちはどうだ。ひたすらに美しく、賢く、言葉を尽くしてこちらに理解を求めてきている。
確かに、魔族によって何かの被害を受けた、というはっきりした証拠は何もなく、それはつまりこの数百年という間、何の事実もないのに伝承のみで魔族を恐れていたということではないか、と。誰一人として、出会ったことすらなかったというのに。
「今、我々は新しい時代への一歩を踏み出そうとしております、陛下。その栄誉は、河北最大の国家であるトリコロニアナ王国の国王にこそ、ふさわしい……」
新しい時代へと踏み出す。
甘い言葉だ。わかっている。それは甘い言葉でしかない。
だが、抗えぬ。
ロイエンタルジルというこの者の言葉には破綻がなく、論破できる隙もない。そして、ここでの態度もどこをとっても敵対的なものではないのだ。
「回復薬は、王家のものと、なる、か?」
「それが陛下のお望みとあらば」
わしは、魔族と手を組む道を、選んだ。
これが、罠とも気づかずに。
全ては回復薬のために。
魔族との友好は10日も続かなかった。
王城内の一室で、長耳族の女性を法衣貴族のとある男爵が邪な思いで押し倒し、その欲望を満たそうとして返り討ちにあったのだ。その法衣貴族の男爵は、有名な色男で、たくさんの女性と浮名を流すことを自慢するような男だった。絶対に、長耳族には近づけてはならぬ男だったのだ。
城を傾け、国を傾ける美しさとは、その言葉通りであった。
「陛下は、我らが、ずいぶんと長い間、奴隷として人の欲望のはけ口とされていた過去があったことをご存知でしょうか」
「国王として必要な歴史は学んだつもりである。この度のことは……」
「ええ、この度のことは、やはりニンゲンというものは、愚かで、欲望にまみれて、度し難い存在であると、滅ぼすべき存在であると、そう教えて頂ける、よい機会にございました」
「何、を……」
「我ら、ガイアララに生きとし生けるもの全て、その全力をもって、トリコロニアナ王国に報復を。
宣戦布告にございます、陛下。
我らはトリコロニアナ王国につながる者全てに鉄槌を下すことでしょう」
「宣戦布告だと?」
「さようにございます、陛下。外交官たる者を、不埒な目で見、見るのみならず、その手に触れて、己がものにしようとしたのでございます。外交関係が断絶し、戦となるのに何か、不足しておりましょうか。我らの屈辱の歴史も含めて、これ以上の侮辱はありません」
「いや、しかし……」
「我らは王都を離れ、次は陛下と戦場にてあいまみえることでしょう」
「待て、賠償など、さまざまな補償をもって、この度のことは謝罪しよう! 償いは必ず……」
「我らは償いなど、求めてはおりません、陛下」
「な…………では、何を……」
「ニンゲンに、滅びを……」
そう言って笑ったロイエンタルジルは、それでも、この世のものとは思えぬほどに美しかった。
「はじめから…………このつもりで…………」
「いいえ、陛下。我らは長い友愛を求めました。しかし、ニンゲンはそれに欲望で答えようとしたのです。愚かにも」
「…………そう、か。そういうこと、か。もうよい。近衛ども、こやつを捕らえよ! 他の長耳も逃がしてはならん! 王城から出さずに全て始末せよ!」
「そう騒がずとも、すぐに、闇の女神の身元へ向かいますとも…………」
その言葉を最後に、ロイエンタルジルは懐剣を取り出し、自身ののどに押し当てて、床へと身を投げた。
倒れたロイエンタルジルの首のあたりから、血が流れて、周囲を赤に染めていく。ロイエンタルジルの首には懐剣の刃が貫かれて、妖しく輝いていた。
わしは、そうか、魔族の血も赤いのだな、と。
間抜けにもほどがあるが、そんなことを思ったのだった。
残る4人の長耳族は見つからなかった。
それもそのはずだ。やつらは姿形を変えることができたのだ。
あの耳とあの美しさを隠してしまえば、見つけられるはずがない。あの姿が目を離せぬほどに目立つ分、それがなくなるとどこへ消えたのか、わかるはずもない。
「陛下、これ以上の捜索は無意味かと」
「では、どうせよと」
「本当に魔族どもが攻めてくるとは限りませんが、まずは辺境伯へ早馬を。北方の防備を固めよとでも伝えましょう。そうですな、近々、王太子が視察に行く、とでも。それを理由に」
本当にこの宰相はいらぬ知恵だけは次々と出してくる。
「よかろう。それで、本当に魔族どもが攻めてきたらどうするというのだ」
「それこそ、辺境伯の腕の見せどころではございませんか」
…………確かに、それはその通りだ。その通りなのだが、今、突然、この宰相が本当に怖ろしいと思ったのだ。まるで、全てが、他人事のように。
「これまでも、辺境の小さな開拓村が魔物に滅ぼされるということはございました。ですが、それよりも大きな町などで魔物の被害が大きく起きたことなどございません。何も怖れることなどないのです。そして、本当に攻めてきたのなら、北の伯爵がご自慢の騎士たちとともにせっせと戦ってくれますとも。そのための辺境伯なのです。独立などされるのではなく、王国のために戦う。そして、戦力を削られれば、王家の話も通りやすくなるというもの。全ては考え方にございますれば」
「そなたは……」
「そもそも、魔族など、いったいどのようなものなのか、伝承以外では何もわかってはおりません。何もできないからこそ、陛下の前ですぐに自裁したのでは? そして、姿を偽り、隠れ潜むのが精一杯なのかと。そういうことなのではないでしょうか」
唇に油でも塗ったのではないかと思うほどよく動く口がつむぐ言葉を聞いて、この宰相なら、実は魔族と通じていたと聞かされても驚かぬかもしれぬな、と。
そんなありもしないことまで、わしは考えていた。
わずか数日の短い友愛の時。
もちろん、献上された20本の回復薬以上に、回復薬が手に入ることはなかった。
そして、その20本の回復薬も、魔族の物だとして、誰一人としてほしがる者はいなかった。
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