木の枝の伝説(2)



 さて、前世の記憶をもったまま異世界に生まれ変わって早6年と数カ月が過ぎ……。


 おれ、アイン、7歳。


 相変わらず、朝起きたら姉ちゃんと言論によって自由を獲得するためのちょっとした戦いを行い、最終的に姉ちゃんの拳骨という軍事的侵攻によって敗北寸前まで追いやられるも、国際司法裁判所もこうあるべきだろうというくらい公正で公平な母ちゃん裁判所に泣き真似をしながら提訴して勝訴を勝ち取っている。


 そうして自由を勝ち取ったあとは景色を見ながらのんびり歩いて村長さん家に向かい、村長さんがさぼってることについては何も言わずに村長さんの代わりに税の計算をしつつ、ひとつ年下6歳のかわいい村長さんの孫娘シャーリーをかまっている。


 シャーリーめっちゃおれに懐いてんだけど大丈夫か、こいつ?


 ……思い込みじゃないぞ? 事実だからな? 本当だぞ? 本当に懐いてるんだからな?


 でもさ、こんなに警戒心なしで懐かれたらいつか変な男に騙されて連れ去られたりしないか心配じゃね? なるよね、フツー? 心配に?


 ……でもそんな心配がいらないくらいこの村は平和なんだってことかもしんないけどな。


 それにしてもこの村、けっこーいろんなものが採れる。

 麦とかいもとかはもちろん、森が近いから薬草とか木材、あと果物とか栗とか。果物はりんごみたいな形のディンゴとか、洋梨みたいなペルーアとか、ぶどうみたいなフライセとか、前世で知ってる果物とよく似てるけど変な名前のやつがある。


 栽培してる訳じゃなくて森に自生してるとこから採ってる、らしい。

 あ、フライセは酒造りに使われてる。要するにワイン。ワインはなんでかこの異世界でもワインという。本当になんでだ? 材料はぶどうって言わないのに。フライセ。不思議。


 それと毛皮とか肉とか。猟師さんがいるんだ、村に。牙とか爪とか骨とかも村長さん家には届く。


 そんで年に二回、領主さまんとこから徴税官さんがやってくる。

 うちの村がある地域一帯の領主さんは辺境伯。いいよね、辺境伯。かっこいい。異世界的に。ただの伯爵よりも、格上の侯爵よりもいい感じがする。公爵とか大公とかにはやられちゃうけどな。いいよな、辺境伯って響き。


 ただし、領主が辺境伯ってことは、この村があるのは辺境、つまりど田舎。ド・ゴールとか、ド・メディチとか、ド・ラヴァリエールとか、ド・レイとかじゃなくてド・イナカ。「ディー」・イナカじゃないよ? ド・イナカだからな!

 まあ、見渡す限りの大自然なんだからそりゃそうだってなもんだよな。


 このときのおれは全然気づいてなかったけど、村長さんから話を聞いた徴税官さんを通じて、辺境伯へ。

 そしてさらには辺境伯から王都の王宮へと、辺境の神童の噂が届いていたらしい。噂ってすごいよな。

 ま、このことでいろいろと迷惑するのはもっと後のことだけどなー。


 それにしても毎日、いろんなものが届く。すっげえ豊かな村なんだなって思う。文明中世だけど。文明中世だけどな。二回言っとく。


 でも、肉とかどうすんの? どう考えても腐るよな? 姉ちゃんがおれの頭が腐ってるっていう勘違いとかとちがって、どう考えても肉は腐るよな? 姉ちゃんが何と言ってもおれの頭は腐らないけどな!


 あきらかに村人の人数に対して猟師さんたちが村長さん家にもってくる肉の量が多いもんな。あれだ、受容と救急だな。あれ、なんかちがうな? 受救バランスが悪いのかな?


 気になったから村長さんに聞いてみることにした。


「そんちょーさん、このうちにいっつもたくさんのおにくがとどくけど、くさらないの?」

「アインよ。わしのことはじいちゃんと呼んでおくれ」


 ……いえ、結構です。村長さんは村長さんで。このままずっと村長さんでいかせて頂きたいと存じます、はい。


 いや、なんていうかもう、村長さんがおれとシャーリーくっつけようっていう魂胆が見え見え過ぎてなんか痛いんだよな、これ。

 おれだってシャーリーは間違いようのない美幼女で、いつか必ず美少女へと育ち、さらには美女となることは確信してる。確信してるよ?

 でもさあ、世の中はこの村だけじゃないよねえ? もっと広いはずだよな? きっとどこかにおれに惚れる美女たちがいるはずなんだよ、うん。

 そもそもおれたちまだ7歳と6歳なんだよ? だから、今すぐ決めるってのはさ、ないよね? そうでしょう? そうだよな。


 ……こんな考え方をしていたから前世で「ディー」の名をもつ男の中の男であり続けたのかもしれない賢者さまだったおれ……いや、ないな。ただ単にもてなかっただけの可能性大。

 ぐわっ、心にレイピアが突き刺さった気がする! 自分で刺してどうする?


 いかん。話がずれてる。そこじゃないよな!


「肉はのう、わしが魔法で保管しておるからのう。腐ることはないんじゃて」


 そうそう、その話、その話。それが知りたかった。そういうのが聞きたかった。


 ……ていうか魔法? へー、そういう魔法、あるんだな。アイテムボックス的な? あ、いや、やっぱあるんだな、魔法。

 今までこの辺境のド・田舎の村で生まれ育って約7年、一度たりとも誰かが魔法を使ってるとこなんか見たことなかったけどな、やっぱあるんだな、魔法。

 さすが異世界。さしゅいせ。あ、噛んだ。落ち着け、おれ。落ち着いて……さすいせ。よし言えた。


 どうやったら魔法は身に付けられるんだろ?


 修行とか? 覚えるのに師匠が必要なのかな?


 学園とかあったりして?


 ワァオ。


「……そんなことよりも、じいちゃんと呼んでくれんか、アインよ」


 そんなことよりもじゃねーよ!


 呼ばない。呼ばないぞおれは! 断固たる決意をもって呼ばない! 村長さんはあくまでも村長さんだからな! シャーリーはかわいい。めっちゃかわいい。ものすっごくかわいい。

 でも、未来にまだ見ぬシャーリー以上の美女がいないこともないかもしれないはずなのだ! そうだろ?


 おれは計算に集中するフリをして村長さんの言葉を聞き流す。完璧に。漢字の間違いもなく。


 さっきまで魔法の話に興味があったはずなのに、一瞬で気がそれてしまう。子どもの集中力が続かないのって罪だな。


 このときに魔法の話を聞き続けたら、もう少しだけ早く気づいていたはずなんだ。


 あの、重大な事実に。


 あの、とんでもない、信じられないくらいの事実に。






 ……それから二カ月くらい過ぎたある日。


 お昼前に仕事を終えて帰ろうとしたおれに、父ちゃんに用事があるからと村長さんがついてきた。


 父ちゃんに用事って何? まさかおれとシャーリーのこと? かんべんしてくれー。


 村長さんは7歳のおれの歩幅に合わせて、とってもゆっくり、のんびりと歩く。


 ……分かってる。いい人なんだよな、村長さんは。でも……。


「それでのう、アイン。シャーリーのことなんじゃがのう……」


 ……これさえなければ、な。


 本当にこのおれに対するシャーリー推しさえなければ、税の計算の仕事は子どものおれにやらせてさぼるけど、基本的にめっちゃいい村長さんなんだよ?


「どうかのう、大人になったらアインはシャーリーと結婚すればいいと思うんじゃがのう」

「ぼく、こどもだからけっこんとかよくわかんないよ?」

「……アインよ、普通の子どもは逆じゃよ。すぐに『うん、ぼくけっこんする!』とか言うのじゃ」


 え、そうなの? そういうもんなの?


 あ、でも、言われてみれば子どもってのはそういうもんかもな。純粋だもんな、子ども。

 うわあ、おれ、神童とか呼ばせて浮かれてたけど、気持ち悪い子どもだな。なんかやだな。嫌なことに気づかされたぞ。


 そんでもさ、これはしょーがねーよな、前世の記憶あるし。身体は子ども、中身は「ディー」の名をもつ男の中の男でありながら青い果実を残した少年の心を忘れない大人だからな!


 結婚なんて知らねーよ! したことないし? 何それ、おいしいの?


 もちろん、うんぼくけっこんする! なんてぜってー言わねーからな。言うもんか……からの言うもんか大臣。えっへん。……って、子どもか! 中身も子どもか、おれ?


「だがのう、そんなアインだからこそ、シャーリーを任せたいのじゃよ」


 うおっ、びっくり。


 一度落として上げてくるとはやるな村長さん。今のはちょっとぐらっとしたぞ。ちょっとだけどな。


「アインよ。もうわかっとると思うが、この村でアインは神童と呼ばれとるんじゃ。意味はわかるの?」


 おれはわかっているけど、どちらともつかないような感じで何も言わずに首をかしげてみせた。


「まあ、神童の意味はともかく、じゃ。アインはこの村だけではない。辺境伯領全体……いや、この国で一番の神童にちがいない。6歳で税の計算をひとつも間違えずにやりとげる子どもなどおるはずがないからの」


 うほっ。そりゃそうだけど、そりゃそうなんだけど、そんな子どもがいる訳ないんだけどさー。いやあ村長さん、あげてくるねー。

 こっちもあがってきちゃうよ? べた褒めじゃね? あげあげだよな? 国一番の神童とか……いや、大陸一? 世界一じゃね? といっても中身大人のエセ神童だけどな!


「アインは計算が得意じゃろう?」

「うん。ぼく、けいさん、すき」


 結婚じゃなくて計算なら言ってやるぜ! 子どもっぽくな! 結婚は言わないけどな!


 おれにだって子どもフリくらいできる!


 ……フリなんかしなくても子どもじゃねーの? という説もあるけどな。


「この村にはのう、知っておると思うが、アインと同じ年頃の子どもは五人しかおらん」


 それは知ってる。もちろん知ってる。税の計算にとっても関係するからな。当然知ってる。下手すりゃ村長さんよりも詳しいくらいだな。


「男の子はアインと、ズッカ、ティロの三人。女の子はシャーリーと、アインの姉のイエナの二人じゃの。合わせて五人じゃ。分かるかのう? アインは計算が得意なんじゃろう? わしはのう、アインは早めにシャーリーと結婚すると決めた方がいいと思うんじゃがのう? 分からんかのう?」


 ……あれ? なんだ?


 何が言いたいんだ?


 子どもが五人で、男が三人、女が二人……五と三と二。こんな計算で間違う要素はどこにもないと思うんだけどな?


 ん?


 ……あ、あれ、ま、まさか、そんな? 馬鹿な? そ、そんなことが?


 くっ、村長さん……いやもはや敬称などいらん! 村長のやつめ!


 村長のやつはとんでもない問いを投げかけていきました。


 答えが分かったから、おれの心が盗まれそうだよ! シャーリーにっ! 誰かおれの代わりにおれのために戦ってくださらんか! 何も盗らずに! そんなボランティアなどっかの大怪盗なら心くらいいくらでもあげるから!


「……その様子じゃ、気づいたようじゃの」


 ちっ、顔に出してたかっっ?


 くそう、村長のやつめ、まんまとおれをはめやがって。


「どうかのう。シャーリーと結婚してくれんかのう」


 むむむ。


 計算も何も、五と三と二じゃ、ほとんど式も作れない。作れないんだけど、作った式で出る答えはもはや地獄……。


 男3ひく女2、イコール、男1。つまり、男が、一人……余るフィー!


 こんなちっちぇード・田舎の辺境村で、いつの日にか同世代の男が一人余るフィーだと? そんなもん、地獄も地獄、地獄の中の地獄、コキュートスだよ! 全員集合してね?


 しかもシャーリー以外の女って、姉ちゃんじゃん! 姉ちゃんじゃ結婚できないじゃん! この村じゃおれの嫁さん枠、シャーリーしかないじゃん!


 応諾か? ここで応諾するのか、おれ? 応諾どころか心も頭も汚濁まみれだよな?

 そんな打算的なごくごく簡単な引き算の結果で、シャーリーの幸せをおれが決めるのか? 決めていいのか?

 そもそもそれでシャーリーは幸せなのか? 証拠はあるのか?

 証拠を出してください。証拠がないのにそんなことを言うのは名誉棄損ですよ、まったく。

 ただ、シャーリーはかわいいけれども! シャーリーはめっちゃかわいいけれどもなっ!


 くぅ……村長のやつめ。二度と心の中ではやつに敬称をつけん。つけんぞ!

 だが、だがしかしこのままでは、前世から引き続きすでに40年を超えた「ディー」の名をもつ男としての時間がさらに長引き、大賢者どころか賢者と聖者の両方の力を併せ持つというまぼろしの賢聖になりかねんっ!

 そんなテンプルパを超えるとんでも魔法が使えそうな存在になど、この新たな人生ではなりたくない!

 すでに心はパニメダだよな? だがそれでも絶対に嫌だと言い切れる! もうおれは一刻も早く、一度だけでもいいから、「ディー」の名を捨てて一人の男になりたいんだ! 切実に!


 しかし、しかしだ。ここであっさり応諾しては世界一の神童の名が廃る。もはやおれの神童としての地位は天上天下唯我独尊、あだやおろそかにはできん!

 それに、この瞬間に応諾したら、今の今まで三ひく二という小学1年生レベルのごくごく簡単な引き算の計算問題の答えが分かっていなかったも同然ではないか、諸君!


 ああ、もう! おれの頭の中の予算委員会が与野党激論で紛糾してもはや乱闘騒ぎだよ! 野次は飛ばすな! 飛ばすんじゃない! 水とかかけちゃ絶対にダメだ! いいか、やるなよ? ふりじゃないぞ? 聞いてるんですか総理! 総理っっ!


 ……落ち着け、おれ。一度落ち着くんだ、おれ。


 沈黙は金。


 沈黙は、金。


 ここで応諾など天上に輝くおれの神童の地位が汚濁にまみれる。選べる選択肢はやはり、沈黙のみ。


 ただーしっっ!!


 今後のシャーリーとのお遊戯については、十分に優しさと思いやりをもって接した上で、頼りがいのありそうなところなんかも見せつつの、口には出さないけどおれお前が好きなんだぜ的な感じも匂わせていくことにしたいと、この言葉で施政方針演説を結びとします。ご清聴、ありがとうございました。


「……ふむ。返事はせぬか。神童と呼ばれるアインの頭の中をのぞいてみたいものよ」


 ……いいえ。


 絶対に見せられませんので。


 かんべんしてください。


 おれは、村長のやつから顔をそらして、空を見る。


 今日は快晴。スーパー快晴。めっちゃ晴れ。この空模様なら、と……ほら、やっぱり。いつもの、あの、白と青の山が見える。


 父ちゃんに聞いてみたけど、父ちゃんは知らなかったんだよな、あの山の名前。


 村長のやつなら知ってるかもな?


「……そんちょーさん、あの、あそこのいちばんとおくの、いちばんたかーい、あおとしろのやまのなまえ、しってる?」

「口を開いたかと思えば話題をそらすとはのう・・・」

「……しらないの? とうちゃんもしらなかったけど?」

「いや、知っとるぞい。あれはのう、『ド・バラッドの聖なる山』じゃ」

「ああ、それで……」


 ……それで見覚えがあったんだな。なんだすごく納得し……た……って、え、あれ?


 見覚えがあって、聞き覚えもある?


 あれが『ド・バラッドの聖なる山』だって?


 おれは村長のやつと並んで歩いていた足を不意に止めた。止めてしまった。


 足だけでなく、思考も、その瞬間は呼吸さえも。


 いつも気にはしないけど聞こえてくる風音や水音などの自然の音も耳に入らない。


 おれのすべてが凍り付いて止まったかのような、衝撃の瞬間。






 ……なんであの山が『レオン・ド・バラッドの伝説』の中の山と、見た目も、名前も、どっちも一緒なんだ?






 ここから、おれの物語が始まったのだ。





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