スグリ

 ずっと、空気になりたかった。父さんのタバコの煙が消える先。母さんの肺に入り、その生に貢献するもの。ぼくは、ぼくという形を捨て去りたかった。

 朝なんて来なくて良いと思った。父さんと母さんが眠っている間は、彼らの口が開くことも、腕が振われることも、足が上がることもない。

 彼らが良い夢を見てくれると良い。夢見が悪いとき、父さんは更に乱暴になるし、母さんは怒鳴り散らす。ぼくは夢なんて見ない。常に眠くて、常にうとうとしているぼくには、何が夢で何がそうでないのか、分からない。

 彼らが楽しそうにしているとき、ぼくの、空気への憧れはますます強くなる。薄まって、煙よりも薄まって、全く見えなくなってしまえれば、彼らはきっと永遠に楽しくいられるだろう。ぼくを見つけて唇を歪め、物を壊して部屋を荒らすこともなくなるだろう。

 けれど、いくら願っても、ぼくは空気にはなれない。ぼくという形は、どんなに火傷を負おうとも、血を流そうとも、へこもうとも、変わりはしない。捨て去れはしない。

 だから今日も、部屋の隅で息を止める。少しでも空気に、透明に近づけますようにと念じながら。

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