ガザニア

 少年の足は重かった。家のドアを開ける前に、重いランドセルを置き、ほどけてもいない靴紐を弄り、花壇の雑草を何本か抜き、家路を急ぐアリたちの行く末を、じっと見守った。台所の換気口から漂ってくる美味しそうな夕飯の香りが鼻をくすぐったけれど、それでもまだ、顔を上げられなかった。

 夕陽がすっかり落ちかけてから、ようやくのろのろとドアを開いた。小さなただいまの声が、母のおかえりにかき消された。

「遅かったじゃない……どうしたの」

 右手にお玉を持ったままの母は、言葉の途中で、少年の泥だらけの服に気がついた。元気ではあるが、服を汚すような遊び方をする子ではない。少年はまだ脱いでもいない靴の先に目を落として、黙っている。

「ケガはしてない? バイキンが入ったら大変だからね。泥のついた手で目とか触るんじゃないよ。早くお風呂に入らないとね」

 理由は聞かれなかった。ただ少年は、母の声音ににじむ、自分への心配と愛情を感じた。彼はようやく口を開いた。

「あっくんがね、たっちゃんのことを無視しようって言ったの。ぼくは、いやだって言ったんだ」

 少年の声が震えた。

「そしたら、あっくんと、あっくんの友だちが、協力しないやつは友だちじゃない、って。グラウンドで突き飛ばされて、ボールをぶつけられて」

 一瞬しゃくりあげそうになり、しかしなんとか我慢した少年の声は続く。

「これでもたっちゃんをかばうのか、って笑われて、だけどぼく、たっちゃん好きだから、だから」

 母は、それ以上言わせなかった。その細い身体を引き寄せて、自分の腕の中に大切に仕舞った。少年は母の、夕飯の匂いと暖かさに包まれた。暫くそうしてから、母は少年の体を解放した。

「あんたは正しいよ。あんたは正しい」

 そうして、少年は熱い風呂に入った。夕飯は、彼の好きなカレーライスだった。

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