ヤグルマギク

 息荒く地面に倒れ伏す師を見下ろして、少年は手にした剣を下ろした。まだ幼さの残る大きな目に、月光が揺らめく。

「躊躇うことはない……教えた通りにやりなさい」

 既に深傷を負っているとは思えない、冷静な表情と言葉が、少年の耳に届く。暫しの沈黙の後、少年は顔を歪めた。

「……ぼくは貴方に教わったのです。剣の振るい方も、狩りのやり方も、食材の見分け方も、料理の仕方も、……正しくあるということはどうあることかも」

「だから、こうしたんだろう。教えた通りに」

 少年の唇が震え、喉の奥から微かな声が漏れる。尊敬する師の身体に突き立てた剣の感触が、掌に生々しく残っている。それを、もう一度。今度は確実に、もうこれ以上苦しめないように。

 理解と可能とは、同義ではない。

 少年は、自分の頭より下を動かすやり方を思い出せなかった。

「貴方は、なぜ……なぜ、領主様に逆らうようなことを」

 その問いに、仰向けに倒れた男が浅く笑う。出来の悪い生徒の答えに、呆れるように。少年は、狩を上手くできずにいた頃、よくその笑みを目にしたものだった。

「私は教えたはずだ、考えるということを。与えられた教えをなぞるだけでは足りない。考えなさい、私の行動の意味を。今ここで私が死んだなら……それからずっと、お前はその意味を考え続けなくてはならない」

「分かりません、ぼくには……」

 男は目を瞑り、小さく息を吐いた。残された力を振り絞るように呟いた。

「考えなさい。己が正しいと思って力を振るったなら、その結末の後も、考え続けることを引き受けなければならない」

「先生、ぼくは……」

 男は目を開き、少年を見上げた。月の光が散らばる柔らかい眼差しに、少年は在りし日を思った。

「私はもう、お前の先生ではないよ」

 それが最後の言葉だった。少年は剣を手放し、息絶えた男の側に駆け寄った。もう二度と誰にも呼びかけないだろう言葉を、月が沈むまで繰り返し続けた。

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