コエビソウ
美しい女性だった。それが死のうとしていた。
まず目に入ったのが赤いハイヒール。その高さと細さに驚いている間に、それはフラフラと歩道橋の柵の方へと近づいていった。ひょいと軽く上がった脚に慌てて縋り付き、重力に従おうとしていた半身もどうにか引き戻してからようやく、その顔を見ることが出来た。
なぜ死のうと思うのか分からないほど、美しかった。もちろん全ての人間が美醜のせいで死を選ぶと考えている訳では無いが、そういう疑問が浮かぶ程に、彼女は美しかったのだ。
とにかく落ち着かせようと近所の喫茶店に入り、向かい合って座る。彼女は暫く黙ったままだったが、やがてぽつりぽつりと話し始めた。
「私はもう美しくなくなったから、死のうと思ったんです。一生の中で最も楽しく、誰からも愛された日々は過ぎ去ってしまいました。生きていても恥を晒すばかりです」
たしかに彼女がもう少し若かった頃、それはもう誰からも愛されただろうことは容易に想像がついた。彼女にとってそれが人生のピークであり、それを過ぎてしまった今の自分に絶望したから、あんなことをしようと思ったのだ。
「けれど貴方は美しいですよ。勿体ない」
気がつくとそんな言葉が口をついて出ていて、目の前の女性は目を丸くしていた。しまったと思ったが、一度言ってしまったのだから仕方ない。もうどうにでもなれと、私は言葉を尽くして彼女の美しさを説いた。彼女は驚き、赤面し、顔を隠し、後ろを向き、机に伏し、そしてようやく笑った。
それから六十年経つが、彼女はやはり美しいまま、私の隣でいつも楽しそうに笑っている。
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