エンジェルトランペット

 彼女をひと目見た時、灰色で覆われていた世界が鮮やかな色彩に包まれた。視覚だけではない、聴覚も嗅覚も触覚も研ぎ澄まされて、まるで先ほどまでの自分は死体だったのかと思うほどだ。

 天使が現れたのだ。

 深夜の地下街に舞い降りた天使は、もうコートが必要な季節だというのに薄手の白いワンピースで、人のまばらな通路を、軽く飛ぶように歩いた。なぜだか呼ばれたような気がして、ふらふらとその後ろを追う。私と同じようにして歩いている人が、他にもいる。夢見るような顔つきで、酔っぱらったような足取りだ。かく言う私も、既に何度か躓き、肩を壁にぶつけている。ふふふ。

 やがて、天使とその信者の一行は、小さなチャペルのような場所へ辿り着いた。どこをどのように歩いてきたのか、さっぱり覚えていない。少女と共に入って行くと、既に集まっていた他の信者たちがどよめいた。少女に向かって手を合わせ、口々に「天使様」と呼ぶ。少女は無邪気に笑いながら、前方の壇上へ上がり、ぱっと手を広げた。

 彼女の背後のステンドグラスから差し込む月光に、純白の花びらが輝く。ひらひらと舞う花びらは彼女の細い手の中から無限に湧き出てくるようで、私たちは暫く惚けて見つめていたが、やがて少女の隣に立った女が放った一言で、一斉に動き始めた。

「天使様の花には素晴らしい御利益がありますぞ」

 私たちは這いつくばって花びらをかき集めた。自分の手の中に収まりきらないものは上着のポケットに、鞄の中にと、とにかく詰め込んだ。それでも足りずに、手近な人間から奪おうとした。逆襲されて頭を打った、足を蹴り上げた、首を掴んだ、腹を殴った、ああ、まだ足りない、こいつのせいで花びらが落ちてしまったじゃないか、血走った眼、眼、眼、清廉な微笑みがこちらを、ああ、ふふ、これで御利益が、花びらが。

 

 テレビも新聞も、地下街の隅に転がった幾つもの変死体を報じた。年齢性別、就いている仕事も様々な彼らの身体からは、多量の麻薬成分が検出された。

 それと同じ成分をその身体から放つ「天使様」と呼ばれる少女が一躍脚光を浴び、瞬く間に死の海を作り上げていくのは、それから間もなくのことである。

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