マーガレット

 海底に咲く花がある。人魚の涙から生まれるその花は、月の光を集めたような色で波にそよぎ、暗い水の世界に柔らかい明かりを灯す。

 人魚の涙の中でも、花になるのは、真珠のような涙だけだ。それは、人魚が恋しい人を想うときに流れる。純粋な情が海に触れた途端、真珠のような珠になり、たゆたい、やがて海底に流れ着く。そこで、緩やかに花となるのだ。


 その花を見てすぐに、私は彼女のことを思い出した。

 もう何年も昔、乗っていた漁船が暴風に弄ばれて難破し、どうにか泳ぎ着いた小さな無人島で、出逢った彼女。ほっそりとした美しい上半身に魚の下半身をした彼女は、言葉も通じぬ私に食べられる海藻や小さな蟹などを提供してくれ、夜には独特の声色で歌ってくれた。私の体力が戻る数週間のうちに、彼女との間には、言葉にする必要のない、暖かい気持ちが流れるようになっていた。

 私の体力が戻ってすぐ、彼女は近くの航路を行き過ぎるところだった船を引きつけ、私を見つけさせた。惜しむ間もなく別れることになった私は、船の上から、どんどん小さくなる彼女を見つめた。

「どうです旦那、海底の花なんて珍しいでしょう。奥様へのお土産に如何です」

 言われるままに買ったその花を、私は机の上に飾った。あの時、船の上から確かに見た、彼女の涙を思って、少し泣いた。

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