オタクが来たりて、ホラを吹く

霧間愁

戦場にて

 何もかも動かくなった。

 もう指も、手も腕も、視覚情報を司る機能さえも、まともに動かない。関節部分の駆動音が微かな音ともに、その機能を停止したのを感じる。

 握りしめていたはずの突撃銃が、地面に落ちて安っぽい音を鳴らした。もしかしたら腕が引きちぎれたのかもしれない。

 その落下音で皮肉にも聴覚機能は正常と分かる。

 残っている機能は、聴覚、思考、視覚。ただ視覚機能は敵の徹甲弾が頭部半分に直撃してしまい、見えているのは片方のみ。加えて撃たれた状況、体勢がよくなかった。

 行動不可能になった僕が見つめることになったのは、崩れかけの壁だった。

 天井がないせいで、明るく壁の細部まで確認できる。赤い煉瓦が所々見えていた。屋上近くの階層なら、くすんだ空も見えただろう。

 せめて敵性位置情報を送信できる窓際とかにしろよ、僕。

 こんなにも間抜けな僕は、こんなところで活動停止をしてしまう。そんな僕を怒りながらカバーしてくれる味方はいないのだ。

 死を座して待つ。そんな格好のよいものでもない。

 ただただ、やることがない。

 壁には何もないわけではなく、コルクボードが残っている。元々の住人に書かれた文章が乱雑に張り付けれていた。


 経緯を簡単に説明をする。

 ここは市街地のど真ん中、崩れかけたアパルトメントに踏み込んで敵の上部から射線を確保しようとしたのだ。

 在る程度の上層から味方を支援するために、階段を駆け上がった。

 敵も同じことを考えていた。

 で、呆気なく、やられた。

 敵は僕にとどめを刺すことなく、行動停止を確認して走り去ったのだ。


 乾いた破裂音が鳴り始めた。

 さほど遠くない場所で本格的な銃撃が始まったようだ。仲間が敵と戦っているのだろう。


 いつまでこうして起動して、いられるだろうか。ただ、聞こえてくる銃撃の音で激しさを増していくのは判った。

 そのうちにどちらかが空爆要請をして、この辺りは焼け野原、瓦礫の山、まぁなんだっていい。最悪、その時には、スクラップに戻るだろう。こんな時は、空を仰ぎ見ながらその時間まで待ちたいが、前述した通りどこも動かない、もちろん首関節部分もだ。

 コルクボードに張り付けられた文章でも読んで時間を潰そう。味方の支援もロクにできない状態なのだ。それ位は許されるだろう。ただ死を待つ、というのも悪くないかもしれない、自分を慰める。

 “果たして戦端は開かれるだろうか?”

 戦前に書かれた文章なのだろうことは解っていた。

 簡潔な書き出しは、まるで歴史家か辛辣な評論家のそれを思い起こさせた。書いた本人はどうなったのだろう。徴兵されたのだろうか、それとも思想家らしく幽閉され獄中で叫び続けているのだろうか。彼、彼女どちらか解らないが予想通り戦争は起こり、今やどの国も総力戦になるという最悪の、いや、この世界は地獄になった。殺人の為だけに生み出された機械兵が戦場を占拠し、ただ破壊と虐殺を繰り広げている。

 その内の一体がこうして断言するのだ、間違いない。


 “最近の思考が、どうにも其方に向かってしまう。世界的に緊張が高まっているように見受けられる記事を多く見かけるからだろう。

 まぁ、そんなものは愚かな人間は繰り返すからな、と肩をすくめて終わらせることも出来るが、やはり無視できないまでになっている。問題は経済活動だ。”


 経済活動?

 そんなものはデータベースにない。演算装置がエラーを吐き出していた。殺戮兵士には必要としない情報の一旦だ。どうにも書き手は達観しているように思える。


 “超大国である二つの国が戦争引き起こせば、もちろん世界は未曾有の大混乱に陥ることだろう。それによって何が起こるか。そんなこと考えなくても誰でも解る”


 コレは戦前のいつ頃書かれたモノなのだろうか、という疑問が僕の中で強くなっていく。この作者はおそらく中枢にいなかったにも関わらず、正しく世界情勢を理解していたのではないだろうか。

 発砲音が少なくなってきている。膠着状態に陥ったのだろうか、それともお互いもしくはどちらかが撤退したか。同僚、仲間たちの顔が浮かぶ。空爆要請して戦略的な事を理由に断られ、怒鳴り散らす友人を思い浮かべる。

 この戦争に勝者は、果たして存在するのだろうか。

 記憶装置の端っこで、エラーの文字が連続で書き続けられている。


 “貧富の差こそ戦争の原因だ。極論だろうが、これは誰も読むことのない雑文。故に好き勝手に書き散らかそう。そもそも、それは個人から始まり、そして企業間、国、言語、思想、民族、と形を問わず、概念とも言えぬ状態で、ただひたすらに広がって蔓延していく。AとBに貧富の差がうまれ、差が広がると、Cがその間に生まれる。AとCの間が縮まることはなく、CはいつしかBに落とされ成り下がる。歴史とは単なる、その繰り返しだろう。経済的強者たるAは、いつまでも強者なのだ。富を独占したいと待望しようがしまいが、持つ者に集まるシステムの世界では、結局資本を多く持つ者に富が集中していくのだ”


 なるほど、そして結果この戦争か。空を仰ぎ見たい気分だった。


 “この国は、かの二大超大国の狭間で平和を享受してきた。資金的にも二国から多くの投資され投資し、文化文明が発展、成熟してきた。だから、言うわねばならない。いや、オタクならば、オタクだからこそ言おう”


 視覚機能が一瞬ショートしたのか、黒色に明滅した。刹那で復帰する。

 エラーを連呼する演算機構がショート寸算だ。破壊された部分を補おうと自動で速度を上げたのだろう。

 オタクとは一体何なのだろうか。経済活動を自虐的に揶揄したが、本当にオタクという言葉はデータベースに存在しない。


 “戦争になれば、エンタメ関連がやべぇ。いや、アニメがやべぇことになる。好みのマンガがラノベが、抹殺抹消される。サブカル系エンタメの大虐殺が始まってしまう。動画配信サイトで配信するVや実況者もその活動が危ぶまれるのだ。ヒキコモり生活を支える糧が消えていく。そもそも徴兵されて、この部屋から出て行かなくてはならなくなる。いやだ、そんなのは考えられない”


 書いた筆者は、もしかして解離性同一性障害か何かの人格障害を患っていたのだろうか?

 同じ言語で書かれている筈なのに、読んだ文章に理解できる単語がほとんどなくなってしまった。エンタメは、エンターテイメントの略でいいだろう、アニメはアニメーション、撮影手法の一つのことだろうか。マンガは漫画、実際に見たことはないが絵であることは知っている。やべぇ、ラノベ、サブカル、V、実況者、ヒキコモり、などの単語は、データベースにない。

 外部データベースにアクセスしたいが、そもそも戦闘中だ。頭半分吹き飛ばされ、通信機能も残っているかも判らない状態なのだ。最悪、機能使用のために通電して、そのままショートしてお終いになるかもしれない。

 思考が乱れる。


“ここに高らかに宣言しよう。我々オタクは戦争に反対する。それは己の嫁を守るために、己の夫を守るために。己の推しを守るために、出来ることをするのだ。兵役を拒否、二国の主要企業の株を買い締め、反戦のための大衆思想の操作、思いつく限り出来ることを何でもしよう。この部屋から出ないために、出ずに出来ることを限りなくしよう。出れる奴は出て何かをすればいい、出れない奴は出ずに何かをすればいい。我々の思考は、”


 文章はここで終わっている。一応続きはコルクボードに張り付いているが、焦げて燃え滓のようになって読める状態ではない。

 もう片方の視覚機能が残っていれば、もしかすれば読めるかもしれないし、行動不能でなかったら近づいて、分析解析をして残された文字を読めるかもしれない。

 まぁもう時間はない。

 頭上からジェット音が聞こえてきた。予想通り空爆が始まるのだろう。あと数分の思考活動だ。

 この文章の筆者の試みは、失敗したのだろうか?

 少なくとも、僕のデータベースに戦争直後にそういった反戦活動が行われたとという記述はない。


 爆撃音が鳴り始めるなか、僕はなんとか一言をつぶやいた。

「ホラ吹きが

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