夢であってほしいと願っても
西田彩花
第1話
「ねぇおばあちゃん、私はどこから生まれてきたの?」
「遠くにいるお母さんだよ」
「お母さんはどこにいるの?」
「…侑以ちゃん、見て!」
「なぁに?」
「あっち、流れ星だよ!」
「えー見えなかったぁ。侑以、お願い事叶わないのかなぁ」
「流れ星が見えないときでも、ずっとお願いしていれば叶うものなんだよ」
「お母さんは、流れ星くらい遠くにいるの?」
「…そうだねぇ」
「じゃあ、お母さんに会えますようにって、侑以お願いするんだ!」
私は祖父母に育てられた。両親は離婚していて、物心ついたときには祖父母の家にいた。父の顔も母の顔も、見たことがない。詳しいことも教えてもらえなかった。
少し田舎にある学校に通っていて、私の家庭環境は奇異の目で見られた。直接悪口を言ってくる人もいたけれど、教師は軽く注意するだけで、何も変わらなかった。
思春期になると、自分が特殊な家庭にいることが恨めしくなった。何も悪くないはずの祖父母を責め、夜は帰らない日が増えた。心配されても、関係なかった。
高校の頃、いつもどおり夜遊びしていた日のことだった。そこでいつも遊んでいる人たちは、家庭環境が複雑な人が多かった。引け目を感じることがなくて、楽に思えた。
眠くなってきた頃、家に帰ろうとした。
「あれ?今日帰るの早いじゃん」
「そう?…ホントだ、まだ1時だね。なんか眠くってさ」
「眠気覚ましに何かやっちゃう〜?」
「いやいや、今日はもう帰るよ」
「そっか、じゃ、また明日ね」
「うん、じゃあね」
帰路に就こうとしたとき、男子の中で一番親しくしている壮汰から声をかけられた。
「送ろうか?1人じゃ危ないよ」
「えっ、大丈夫だよ。いつも1人で帰ってるし」
「この時間帯、他校のタチ悪い奴ら多くね?」
「…まぁそうだけど…」
「侑以、送ってもらいなよ。男子がいると安心じゃん」
「でも家遠いよ?」
「だから1人じゃ危ないんだって」
「わかった。じゃあ壮汰、お願い」
私は壮汰と2人で歩き出した。いつもは意識していなかったけれど、歩くのがちょっと早いなと感じた。そっか、男子は歩幅が広いから…と思いながら壮汰を見ていると、がっしりとした肩幅に、なんだかドキッとした。私とは違うんだ。だから、私を守れるんだ。
「あ、ごめん、歩くの早い?」
振り返って聞く彼の顔は、なんだか凛々しく見えた。ドキドキしながら頷くと、壮汰は歩く速度を落としてくれた。
「侑以の家、こっちで合ってる?」
「…うん」
「眠くない?大丈夫?」
「…うん」
ドキドキ鼓動が高まるのが自分でもわかって、顔を合わせられない。
「…え!?」
突然壮汰が腕をつかんだ。そのまま横道に引っ張られ、理解できないまま草むらに押し倒された。目の前には壮汰の顔があって、何が起こっているのかわからなくなった。
「ねぇ、ちょっと、やめて」
彼の力は強くて、どうやっても私は動けない。
身体を触られている感覚はあって、それでも彼を引き離そうとした。その時、強く頬を打たれた。
「大人しくしろよ、ブス」
恐怖心が湧き上がって、力が入らなくなった。
「ほら、声出せよ。感じてるんだろ?」
声の出し方がわからなくて、また頬を打たれた。泣きながら、声を出した。
そのまま何も考えないよう何も考えないよう頭の中で唱えていると、彼の動きが止まった。
「誰にも言うなよ。言ったらお前の学校にも広めるからな」
そう言って、彼は背中を向け、去っていった。それをぼんやり眺めていると、次第に暗がりの草むらが目に入ってきた。蝉の声が聞こえる。ずっと鳴いていたのかな。あの蝉は、誰に気づいてほしくて鳴いているんだろう。私も声を出して泣けば良いのだろうか。でも、なぜか涙は出ない。
ふと空を見上げた。至るところに星があって、輝いていた。ぼんやり眺めていると、これは夢なんだと思えてきた。その時、流れ星が光った。
「…侑以ちゃん、見て!あっち、流れ星だよ!」
祖母の声が聞こえた気がした。夢でありますようにと、そう願った。願ったその時、涙が落ちた。
どうやって帰ったかは覚えていない。翌朝祖母がひどく心配していた。制服が汚れていたからだ。
夢じゃなかったんだ。流れ星が夢を叶えるなんて、嘘だよ。
「大丈夫、こけただけ。土日にクリーニングに出すよ。今日はこれで大丈夫」
そう言って制服に着替え、家を出た。学校には行かなかった。その日から、夜遊びはしなくなった。夜遊びしていた私が悪いのだから。
高校を卒業すると、都会にある会社で働き始めた。あの夜の出来事は、不思議と思い出さない。人間の記憶はよくできているなと思う。
慣れない生活の最中、祖母が倒れたと連絡があった。数ヶ月入院すると聞いたけれど、仕事に着いていくのが精一杯で、見舞いに行けなかった。入院中の世話は、祖父と親戚に任せた。
早朝、電話が鳴った。疲れが溜まっていたのでイライラしたが、スマホを手に取った時、嫌な予感がした。
「…もしもし」
「侑以ちゃん、おばあちゃんがね、今亡くなったって」
「…え?」
「職場に連絡して、病院に来なさい」
私はすぐに家を出た。よく知らない病名だったけど、軽度で心配しなくて良いと言っていたのに。どうして。どうして。どうして。
病院に行くと、本当に祖母は亡くなっていた。泣いたのはあの夜以来だと思う。私はずっと、家庭環境を恨んできた。祖母はそれをどう見ていたのだろう。自分がすごく駄目な人間に思えた。
祖母を見ながら泣いていると、知らない女性が入ってきた。
「お母さん!なんで急に…」
祖母の手を握りながら号泣する女性を不思議に思った。側にいた親戚が、あなたのお母さんだよと教えてくれた。
私は女性に近づいた。
「…あの」
母だと教えられた女性は、一瞥してまた祖母に視線を戻した。
私はまた、部屋の隅に戻った。女性と一言も話さなかった。
ずっと連絡してこなかったはずだ。それなのに、どうしてこのときだけ、あんなに泣けるんだろう。あまりにも身勝手ではないか。そんな考えが過った時、自分もそうだと気づいた。私は祖母に、感謝の意を伝えたことがあっただろうか。今私が流している涙は、卑怯なものなのか。
今後の日程などを話している時も、全然頭に入ってこなかった。病院を出た時はもう暗く、スマホを見ると会社からの着信がたくさん入っていた。連絡しないままだったことを思い出したけど、全身の力が抜けたようで、掛け直す気力が湧かなかった。
祖父母の家に行こうと歩きはじめた。何も考えていなかったが、不意にあの夜の草むらが目に入った。この道を通るのは避けていた。その場所を見ると、記憶が鮮明に蘇ってきた。彼の顔と、息遣いと、感触と。痛みと、声と、恐怖心と。
呼吸が苦しくなってきて、海の方へ向かった。防波堤に座ると、蝉が鳴いていることに気づいた。ねぇ、私も泣いて良いの?
下を見ると、真っ黒な海があった。あの暗闇に入れば、全てが楽になるのだろうか。頭がくらくらしてくる。
少し顔を上げると、水平線が目に入る。…流れ星は流れないんだろうか。
「流れ星が見えないときでも、ずっとお願いしていれば叶うものなんだよ」
こんな日は、祖母の声が聞こえるんだなとぼんやり思った。流れ星にお願いしたことは、叶わなかった。あの日の出来事は、夢じゃないのだ。だけど、母に会いたいと願っていたことは、今日叶った。祖母の言うことは正しかったのだ。
だったら、私はこれから何をお願いしようか。その答えが出ないまま、水平線をぼんやり眺めていた。
夢であってほしいと願っても 西田彩花 @abcdefg0000000
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