第4話 年頃の男女が密室で二人きり……

 ガタッと音を立てて立ち上がると、小倉たちの方へと足を進める。


 嗚呼、やはり嫌いだ。嫌いだ嫌いだ嫌いだッ! 俺はこいつらが心底嫌いだッ! クラスメイトの面前だろうと、教師の目前だろうと、相手が女の子であろうと関係ない!


 俺が世界で一番好きで、俺が世界で一番愛している人を傷つけて嗤っていやがるこいつらを、このまま野放しにはしておけない。


「な、なに……やっ、ちょ、近づかないで!」


 小倉はヒステリックに叫ぶが俺は止まらない。キンキンキンキン癪に障る声で鳴く犬っころを、俺は許容できない。


「黙れ、阿婆擦れが。ぶっ殺すぞ小倉ァ!!」


音を立てて立ち上がった小倉は俺から目を逸らさずに一歩二歩と後ずさる。それを見て俺は走り出した。小倉も走り出す。


 しかし、俺の方が走り出しが早く、追いかけ合いになる前に、彼女の腕を掴んだ。ぎゅっと力を込めて腕を引くと、体重の軽い小倉が俺に引き寄せられる。

 俺はタイミングを見計らい腕を持ち上げ――小倉の顔面めがけて拳を突き出した。


「ねぇ!」


 ――が、紙一重、彼女に触れる寸前で胡桃さんが大声を上げる。冷や水を浴びせられたように思考がクリアになっていく。そんな俺を視界には収めずに、しかし俺に向かって胡桃さんは言葉を続けた。


「私、寒いんだけど……」


「……ぁ、ああ、ごめん」


 小倉の腕を離して胡桃さんへ近づき、制服の上着を彼女に着せる。そうだ、今は何より胡桃さんを大切にしなければ。小倉への激情はあくまでも俺の事情。優先順位を間違えるな。


「まだ、寒い」


「……じゃあ、帰ろうか」


「…………ん」


 わずかながらも確かに首肯したのが見えて、俺は彼女の鞄を手に取ると、震える手を取って、教室から歩き出す。


「お、おい、お前ら!」


 教室から教師の声が聞こえてくるが、止まる気はさらさら無かった。



  ☆



 校門まで彼女と手を繋いで歩く。先程の教師の発言は思いのほか声が大きかったのか、道中の教室から廊下を歩く俺たちに――より正確には胡桃さんに奇異の視線が注がれた。


 お互いに無言のまま校門までやってくると、俺はその静寂を打ち破る。


「タクシー呼ぶけど、いい?」


「……うん」


 電話をかけて待っている間、ハンカチを渡して簡単に身体を拭いてもらう。あまりにびしょ濡れだと乗車拒否されてしまう可能性があったからだ。


 しばらくしてやってきたタクシーに乗りこみ、そこでどこへ行くのか考えてなかったことに思い至った。取り敢えず俺の家だろう。胡桃さんもキ〇ガイを家に招きたくは無いだろうし。


 しかしそんな考えも、彼女が自宅の住所を口にしたことで霧散した。揺られて到着したマンションは見るからに高そうだ。


「……入って」


「いいの?」


「……今回だけ」


 マンションのエントランスを抜け、エレベーターで登る。終始無言。俺は階層を表示するデジタルに目をぼうっと眺める。


 不意に、胡桃さんの左手が俺の右手の甲に当たる。それは、ほんの少し触れる程度のもの。しかし離れることはなく、むしろ胡桃さんはグッと押し付けてきて――俺はその手を握った。


 じんわりと交換される互いの体温。俺の方が高いのか、少し冷たく感じた。だけどそれも最初だけで、しばらくすると溶け合ったように同じ体温になる。


 手はエレベーターを降りても繋いだままで、廊下を歩き、玄関の扉を開けて、一息ついた頃になってゆっくりと離された。


「……シャワー浴びてくる」


 いくら身体を拭いたからと言って、まだ寒いのだろう。すぐにでも温めるべきだ。しかしその前に、このどんよりとした嫌な空気を吹き飛ばしたいなぁ……。


「背中流そうか?」


「……入ってきたらシャワーヘッドで頭蓋骨が陥没するまで殴るから」


「よし、それじゃあ一緒に入ろうか!」


「このキ〇ガイ……はぁ、普通に嫌だから入ってこないで」


「それじゃ、仕方がない。ゆっくりと待っているとしようかな」


 シャワーを浴びにバスルームへと赴く胡桃さんを見送り、部屋の中央――巨大なテレビの前――に置かれたソファーに腰掛ける。


 手持ち無沙汰ではあるし、現在好きな人の家に居るという夢のような状況であるが、俺はグッとこらえる。


 現状、胡桃さんに味方は居ない。家族は別々に暮らしているそうだし、友人はいない。読モや女優業も今は休止している。そんな中で、彼女に不安を抱かせるようなことは出来ない。


 手慰みにスマホを取り出す。鞄は学校においてきたがポケットの中に自分のスマホだけは入っていた。現代人のさがと言える。


 LIMEのメッセージが飛んできていたので確認すると、桐島くんから一見届いていた。



桐島:忘れ物は俺が預かった


俺:ひぃぃ……そんなぁ……

俺:鞄ちゃんは……鞄ちゃんは無事なんですか!?

俺:せめて声だけでも聞かせてくだしあ


桐島:ふっ、いいだろう

桐島:『音声ファイル(鞄のチャックを開ける音)』

桐島:無事に解放して欲しければ、言うことを聞け


俺:はい……


桐島:古賀胡桃の面倒を最後まで見ろ

桐島:それが完遂されたとき、こいつを返してやる

桐島:もし解決していないのに学校に来てみろ

桐島:鞄ちゃんとは二度と会えないと思うんだな


俺:わ、わかりました!



 くだらないやりとりを終えてスマホを切るのと、胡桃さんが浴室から出てきたのはほぼ同時だった。


「……っ! ぁ! くぉわっ!」


 素っ頓狂な声を上げてしまうのは許して欲しい。だって俺の眼前に居たのは濡れ髪の胡桃さんなのだから。毛先からはバスタオルで拭いきれなかったのだろう水滴がぽつりぽつりと落ちてフローリングを濡らしている。


 身に纏うのはラフな部屋着。ダボッとした長袖のTシャツに、スウェットのズボン。読者モデルとして活躍した彼女は、制服だろうと、私服だろうと、絶対にずぼらな服装は選ばなかった。


 しかし今、現在進行形で彼女はラフな服装に身を包んでいる。


「ぁ、ああ、ああっ!」


「な、なにっ!?」


「ありがとうございます! 素晴らしい! 写真に収めたく思うのですがよろしいでしょうか!?」


「よろしくないんだけど!? っていうか、気持ち悪いんだけど……」


「だって可愛いんだもん! いつもは綺麗なのにいきなりこんな可愛い姿見せられて、平静を保てって方が無理だよッ!」


「……はぁ。コーヒーとココアとお茶、どれがいい?」


 どうやらもう相手はしてくれないらしい。ここまで拒絶されたのに写真を撮るような真似はしない。俺は居住まいを正しながら「じゃあコーヒーで」と注文。

 しばらくするとマグカップに注がれたコーヒーがやってくる。胡桃さんはココアのようだ。マグカップはお揃い。新婚みたいで嬉しい。


「なんだかこうしてると新婚みたいだね」


「……」


「楽しいだろうなぁ、胡桃さんとの結婚生活。愛に満ち満ちた素晴らしい家庭。ご近所さんからはおしどり夫婦なんて呼ばれたりして――」


「……」


「……胡桃さん? どうしたの?」


 無言を貫く胡桃さんに声をかける。彼女は俯きながら手に持っているマグカップの中へと視線を落としていた。


「なんか、疲れたなぁ……って」


「……」


「『話聞くよ?』とか言わないの?」


「聞くも何も、大体の事情は知ってるからね」


「あー、そういえばストーカーなんだっけ」


「酷いなぁ。……見てたから分かるだけだよ」


 彼女を取り巻く現状。

 クラス内での孤立、女子からの虐め、加えて――読者モデルと女優業に対するストレス。俺は知っている。


「それをストーカーって言うんだけど……はぁ」


 大きくため息を零すと、彼女はココアを一気にぐいっと飲み干す。空いたマグカップを持ってキッチンへと赴き、戻ってきたときには数本の缶を抱えていた。


「って、それお酒じゃん。駄目だよ、未成年が飲酒したら」


「まだしてない! ――その、自殺する前にどんな味なんだろうって試したくなっていろいろ買い込んでたやつ。これ以外にもたくさんネットで買った。ワインとか、日本酒とか……」


「それで、それを持ってきてどうするの?」


 おおよその想像は付いていたけれど、尋ねるのは重要なことだ。

 案の定、俺の問いに胡桃さんは淡々と答えた。


「今から酒盛りしない?」

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