第2話 俺をきっちーと呼ばないで!

 俺に机の上には『ラノベ』が乗せられていた。


 ――まるで晒し上げるように。


 するとクラスの男子が大きく声を上げた。


「おい、こいつこんなの読んでるぜ!」


 ――まるで晒し上げるように。


 どういう理由を持ってそんなことをしたのかは知らないし、知りたいと思わない。あまり関わりの無い相手であったが、それは俺の主観で、もしかしたら彼は俺のことを友人と思っていて『イジり』の一種だったのかもしれない。


 けれども、だけれども、俺の心は酷く傷ついた。特に周囲のクスクスと笑う声と、キモいという声が何度も何度も鼓膜を殴打して、脳漿をばらまいた方がいっそのこと楽になれるのではないだろうかという程の『苦渋』を味わっていた。


 嫌だ、嫌だ。

 消えたい、消えて無くなって、くしゃくしゃの使い捨てのティッシュペーパーみたいになってゴミ箱に消え失せたい。

 つまりは、死に――


「止めなよ、そういうの!」


 大きな声で教室の空気――読む方の空気を切り裂いたのは、長い黒髪を揺らす美少女だった。



  ☆



 ベッドで目が覚める。アニメのポスターやフィギュアが陳列された棚など、おおよそ考えられる限りのオタク部屋である俺の部屋は二次元に染まっている。


 しかしながら、部屋のドアに張られたポスターだけは三次元の物だ。

 長い黒髪に、楽しそうな笑顔。胡桃さん――その表情を見ているだけで胸が高鳴るし、頭が熱に浮かされたようにぼーっとしてくる。可愛い。可愛いよ、愛してる。


 俺はポスターにキスをしようとして――


「兄貴ー、起きてるかー!」


「ふげらっ!」


 妹の乱入により、おでこでキスする羽目になった。凄く、痛いよう。


「何して――って、えぇ……またぁ? 確か同級生でしょ? さすがにキモいよ……」


「し、仕方ないだろう!? 好きなんだから!」


「う、うーん。ま、まぁ、犯罪まがいのことをしなければ何でもいいけどさぁ……」


「そんなことするわけ――」


 と、そこで俺は昨日のことを思い出す。

 つまりは『俺とセックスしようっ!』というあの発言。あれはもしかすれば、犯罪と言っても差し支えない宣言だったのでは? ……いや、多分大丈夫だろう。胡桃さん怒ってなかったし!


「え、ちょ、なに? 何で黙るの!?」


「……はっ! あ、いや、何でも無いって――」


「嘘嘘嘘、無理無理無理! あり得ないって、まじないって! おかーさーん! 兄貴が、兄貴がぁぁああああッ!」


「だ、だから違うって!」


 俺は大慌てで妹の後を追って階下へと向かった。



  ☆



 朝、教室へ到着するとすでにそこには胡桃さんの姿があった。

 教室の隅の席で一人着席する彼女の周りには誰も居ない。ぼっちというか孤独というか、いや、孤高と言った方が正しいだろう。そこらの高校生とは一線を画す容姿は人を寄せ付けない雰囲気を醸し出していた。


 まぁ、俺の愛の前には全く意味を成さないが。


 誰もが避けようとする中を堂々と突き進み、自席にて読書にふける彼女にご挨拶。


「おはよう! 胡桃さん!」


「…………はよ」


「あはははっ、元気がないなぁ! おはよう! 全世界に轟く美声で、俺の鼓膜を是非とも揺らして欲しい!」


「き、キモいんだけど」


「辛辣だなぁ。まぁ、そこがらぶいんだけれども」


 嫌そうな顔を浮かべる胡桃さん。負の感情だろうと好きな人に意識してもらえるとは、なんとも嬉しいことこの上ない。

 朝一の胡桃さんとの会話に喜びを噛み締めていると、不意に俺の肩に腕が回され、腕はそのままぐいっと首を絞め始める。こんな極悪非道な殺人まがいの行動をするのは、俺の知る限り一人しか居ない。


 抗議の声を上げる前に、腕の主が口を開く。


「おい、何やってんだおめー」


「ぐぅぅ、サッカー部のエースにしてイケメンで性格も完璧なのに何故か俺と友人関係を築いている桐島きりしまくん。苦しいから離せ!」


「何で説明口調? きっちーくん」


「……ちょ、ちょっと待て! なんだその呼び名は!」


「いや、だってお前キ○ガイみたいなんだもん」


「だからって友人に付けるあだ名がきっちーくんはヤバいだろ! コンプライアンス的に! 倫理委員会が許さないぞ! なぁ!? 胡桃さん!」


「どうして私に振るのか分からないんだけど。けどまぁ、確かにキ○ガイが由来のあだ名なんて、私も酷いと思う。可哀想だねきっちーくん」


「呼んでるじゃん! くそ、何だよ! こんなのおかしいだろ! 俺は普通だ! 至って常識人だ!」


「常識人はそんなこと言わねーんだよ」


 ぐっ、と首に回された腕が一瞬強くなったかと思うと、すぐに離される。元々本気ではなかったのは分かっていたが、それでも苦しかった。


「ぐ、ぐぬぬ……」


「そんなに睨んでも取り消さねーぞ。つかちょっと面かせ」


「え、嫌なんだけど」


「古賀さん、こいつ借りてくけどいい?」


「おい、桐島くん。何を勝手に――」


「元々私のじゃないし、返品もいらない」


「胡桃さん!?」


 愕然と肩を落としてみるけれど反応は変わらない。俺は桐島くんにずるずると引きずられて、教室の外まで連行された。そのまま廊下の隅の方――つまりは人気の無いところ――まで連れて行かれると、桐島くんは鋭い目で俺を睨んできた。


「お前、マジでどうしたんだ?」


「? 何がだ?」


「なんつーか、前までのお前もなかなかにいかれてた。いかれてたけどよ、それでもまだ常識的ないかれ具合だったじゃねーか」


「具体的には?」


 真剣な声で返答すると、桐島くんは一瞬押し黙り、言葉を選ぶように口をまごつかせながら、しかし、結局は直球に言葉をぶつけてきた。


「……あの空気の中で、古賀に話しかけるとかさ、おかしくねーか?」


「おかしくない」


 俺は即答し、続ける。


「何だよ、空気って。俺は話しかけたいから話しかけただけだ。いや、確かに空気が悪いって言うのは分かっている。特に女子共だ。嗚呼、ウザい空気を出してやがる。俺の嫌いな空気だ。俺の愛している胡桃さんに対して、嫌悪というか嘲笑というか、毛嫌いというか嫉妬というか、つまりは悪感情をばらまいている、気持ちの悪い空気だ」


「なら――」


「だが、そんな物は知らない。そんな空気を読んで、胡桃さんが傷つくのを指を咥えてただ見ているのが正しいって言うのなら、俺はいかれ野郎でいい」


 淡々と述べる。感情なんて込めてやらない。こんな討論に意味は無く、論争は虚無の時間を生むだけだ。まっすぐに目を見つめて言い終えると、桐島くんは大きくため息をついた。そしてガシガシと頭を掻いて「わかった」とはっきりと言った。


「お前の考えは分かった。そういうことなら俺は何も言わねーし、いかれてるって言ったのも取り消すよ」


「……わかってくれるのか?」


「あぁ、友達だからな」


 そう言って、ニッと笑みを浮かべる桐島くん。ああ、だから俺は彼と友人関係を続けられる。こんな性格のいい奴、胡桃さん以外では彼ぐらいしか居ないに違いない。


「ありがとう」


 だから、感謝の言葉はすんなりとこぼれ出た。

 右手を差し出すと、彼も右手を差し出し、握手。


「――感動的な場面だね。片方が私に対して『俺とセックスしようっ!』なんていきなり言ってくるキ○ガイじゃなければ」


「……」


「え、何それ」


「あれ、知らないの? 昨日の放課後、きっちーくんが私に言ってきた言葉だよ」


「……お、俺は愛しているから、本心を口にしただけだ! わ、分かってくれるだろう? 桐島くん!」


「いや、それは無理だわ。きっちーくん」


 友人の無慈悲な言葉に、俺は膝から崩れ落ちた。

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