第34羽 ロクと小鳥、約束する

 夜は静かだ。深夜のこの時間帯、車が家の前を通ることもなく、セミが鳴くこともない。エアコンをつけているためほどよく涼しく、寝るのに快適な環境は整っているはずだというのに、


 ドク、ドク、ドク、ドク。


 ロクは全く眠れなかった。何故なら外が静かでも心音が騒がしく、部屋が涼しくても体が熱い。


 その原因はもちろん、すぐ側で横になっている小鳥の存在だ。


(こんなん、寝られるか)


 ダブルベッドは大きく、二人が気をつければ体が触れ合うこともないが、見方を変えれば、気をつけなければ触れ合ってしまう。寝返り次第では即タッチだ。


 掛け布団も大きな一枚を二人で使っている。


 ロクと小鳥は背中合わせにして寝ていた。故に互いの息遣いは聞こえず、相手が寝ているのかどうか分からない。

 

(小鳥遊は、もう寝たのか?)


 気になってしまう。一目確認しようと体の傾きをほんの少し変えて、顔だけ小鳥の方に向けた。部屋は電気を消しているが月明かりのおかげで小鳥の背中が視認できる。しかし背中だけでは、結局寝ているのか分からない。


 元の体勢に戻る。



 一方の小鳥。


(こんなの、寝られない)


 ロクとおんなじことを考えていた。小鳥から誰かと寝る方がよく寝れるなどと誘っておいて、その実、全くの逆効果だ。まあ、元より安眠効果を期待していた訳ではない。


 優しく感想を言ってもらえて嬉しかったことや、寝室に男子をがいるという初めてのシチュエーションや、時間的にも夜中のテンションになっていたことや、とにかくそういう色々なものが合わさってあんな行動に出てしまった。


(先輩は、もう寝たのかな?)


 気になってしまう。そっと顔を持ち上げて、視線を先輩の方へ。小鳥の背中よりも大きな背中が見えるが、こちらも寝ているかどうかは判断できない。


 元の体勢に戻る。


 小鳥は知る由もないが、ロクが小鳥の様子を確認したのと入れ違いだった。



 …………。



 しばらくして。



 今度は同時に、ロクと小鳥が互いを確認した。


「「!!」」


 目が合って、思いがけない視線のかち合いに、二人はすぐ元の体位に。


 背中合わせで互いの顔が見えないまま、会話が始まった。


「……た、小鳥遊はまだ、起きてたんだな」

「先輩こそ、起きてたんですね」

「まあ、なんか、なんとなく寝付けなくて」

「私もです」


 平静を装う。冷静になれば慌てるようなことでもないのだが、まるで相手の就寝姿を盗み見していたのがバレたかのような、そんな錯覚が両者にあった。


「なんでこんなに、寝れないんだろな」

「不思議ですね」

「な、不思議だ」

「はい、不思議です」


 不思議ではない。


 二人とも、『先輩(後輩)がいるから落ち着いて寝れない』と言いたくないだけである。


 もし言ってしまえば、いつものように別々で寝ることになり、この時間が終わってしまう。


 だから不思議だと言って理由の分からないフリをする。地頭の良い(らしい)二人にしてはとても雑な切り抜け方だ。


「しゃ、喋ってたら寝れないよな」

「そうですね。口を閉じましょう」


 会話が終わればまた静寂が訪れる。聞こえるのはエアコンの稼働する小さな音だけ。


(…………)


 ロクは意を決した。そろりと姿勢を変え、背中合わせの状態から脱却する。


(……!)


 ロクのもぞもぞと動く小さな物音を小鳥の耳は捉える。静寂の中では微かな音も聞き取りやすかった。何より掛け布団を共有しているのだから、振動は嫌でも伝わってくる。


 体の向きを変えたのであろうことを察する。


(仰向けかな。うつ伏せかな)


 どうでも良いことに思考を割く。そして、小鳥も姿勢を変えることにした。寝返りを打つかのようなフリをして、仰向けになる。


 もちろん目は閉じたまま。


(……チラッ)


 こっそり顔を横に傾け、目を開ける。


 ロクは仰向けだった。横顔がよく見える。目を閉じて寝るその寝顔は可愛く……


 パチリ。


 ロクも顔を傾けて、小鳥を見た。またもや視線が重なる。


「「!」」


 再び顔を逸らした二人。背中合わせから両者仰向けになっていたことで、顔を見合わせた時は、先程よりもずっと鼻先の距離が近かった。


「な、なかなか、寝れないな」

「はい」


 鼓動の速さが最高潮に達する。とても気まずく、そしてとても高鳴っていた。体内時計はとうに機能しておらず、二人で横になってからどれだけ時間が経ったのかも分からない。


 変な気分だ。その変な気分に当てられて、小鳥は少しだけ左手を動かした。


 ぴとり。


 左手の小指とロクの右手の小指が触れ合う。


「!」


 小さな感触。ロクも触れ合ったことには気付いたが、手をどかせることはしなかった。二人の指が触れ合ったまま、チクタクとアナログ時計の針が一秒ずつ動いていく。


(に、握って良いのか……? これは、握って良いのか!?)


 ハグはもちろん、『手を繋ぐ』にも程遠い、こんな僅かばかりの接触。それだけで頭がバグりそうになる。


(良いんだよな!? 行くぞ、行くぞ!?)


 いざ、ロクが手を動かそうとした時だった。


「……先輩」


 ビクッ。小鳥のささやきで、その手が止まる。指は依然触れ合ったまま、ロクは平静を装って話を進めた。


「ど、どうした?」

「私、志穂さんと約束したんです」

「? どんな?」

「だらしない先輩を支えるって約束です」

「だらしないは余計だろ」


 ロクと小鳥は遂に寝ることを諦めた。ヘタレなロクに至っては手をつなぐことも諦めた。


「それに俺だって、小鳥遊を支えるって約束してる」

「? 誰とですか?」

「あっ」


(そういや小鳥遊には、俺が生活費出してることは秘密にしてたっけ)


「内緒だ」

「ずるいです」

「言いたくないんだ。見逃してくれ」

「……良いですよ。でもそれなら、代わりに私たちも約束しませんか?」

「約束?」

「お互いを支え合うっていう、約束です」


 ずっと天井を見たまま喋っていたロクは、小鳥の方を向いた。すると小鳥もロクの方を向いて微笑んでいて、胸がドキリとする。


「ど、どうしてそんな約束を?」

「理由がいりますか?」

「……いらないな」

「じゃあ、指切りげんまんです」


 ずっと触れ合っていた小指。それを小鳥がそっと絡めてくる。最初はロクも驚いたが、少し曲げて、指を握り合う。


「指切りげんまんって残酷だよな。針千本飲ますなんて」

「そうですね。では私たちは青汁にしましょう」

「健康的だな」


 静かに笑い合う。そして、「指切りげんまん、嘘ついたら青汁のーます」と、小さな声で小鳥は歌った。


「指切らない」

「……え? 切らないとダメじゃないか?」

「昔お母さんに聞いたんです。指切りの由来ってすごく怖くて、本当に指を切っていたらしいって」

「そうなのか」

「だから切らないんです。それに」


 ギュッと、小鳥の指を曲げる力が強くなったことをロクは感じ取る。


「繋がったままの方が、約束で繋がってる気がして、私は好きです」

「……そっか。そうだな」


 もう一度笑い合う。話をしてリラックスした二人はやがて、指を繋いだまま静かに眠るのだった。



 翌朝、嘘のようなロクの寝相に小鳥が戦慄したのは、また別の話である。

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