3章

第20羽 ロクと小鳥、朝食をとる

 二日間続いた快晴は、とうとう梅雨に飲まれて雨へと変わってしまった。晴れてるうちに雨雲は力を溜めていたのか、ロクが小鳥を拾ったあの日よりもずっとどしゃぶりで、アスファルトで作られた道路には朝早くから水溜りが発生していた。


 ザーザー、ザーザー。


「ん……」


 ぐっすりと寝ていたロクを起こしたのは、そんなあまりにも騒がしい雨の音だった。いつもは目覚まし時計にしか反応しないロクを起こしたのだから大したものだ。


「すげえ雨だな」


 窓の外を見て、しばらく茫然とする。眠気の抜け切らない頭が覚醒したのは、そのまま一分が経過した頃だった。おもむろにスマホをつける。



   6:03

 6月26日 水曜日



「まだ六時……」


 文芸部には朝練などなく、七時半に起きても十分学校に間に合うロクが、この時間に起床することなど滅多にない。早起きは三文の徳と言うが、ロクにとっては早起きより三分の睡眠だ。


 しかし今日ばかりは、二度寝しようにも雨音がやかましい。


「……仕方ない、起きるか」


 やむなくベッドから降りて伸びをした。


(ゲームでもするか?)


 家を出るのは八時頃。朝食や歯磨きの時間を考えても、たっぷり一時間以上の暇がある。執筆する気にもなれなかったので、ゲームで時間を潰すぐらいがちょうど良かった。


 そんなことを考えながらモニターに目をやると、真っ暗な画面に映った自分の姿に驚く。雨のせいで湿気が強いのか、かなり寝癖がついていたのだ。


(……小鳥遊には見せられねえな)


 以前なら、酷い寝癖も家を出る前に直せば良かった。しかし今は異性の同居人がいて、なるべく早く直しておかないとその子に見られてしまう。


 ゲーム機に伸ばしていた手を引っ込めて、素早く寝室から出た。階段を降りて、髪を整えるために洗面所(脱衣所)に向かおうとするも……


「あ、先輩。おはようござ……」


 時は既に遅かった。


「ぷっ、何ですかその髪」


 珍しく小鳥が吹き出す。


「何も見なかったことにしてくれ」

「はい、いいですよ……ふふっ」


 楽しそうに笑う小鳥は、今日も台所に立っていた。ロクは知らなかったが、小鳥はこんな時間から弁当を作り始めていたらしい。


「それにしても先輩、今日は早いんですね」

「そっちこそ。いつもこの時間には起きてるのか?」

「はい。だいたい六時前ぐらいには起きてます」

「すげえな」


 ロクの口から素の感嘆が漏れる。毎朝六時に起床など、ロクには到底無理な芸当だ。朝早くから子供の弁当を作る全国のママさん、通勤の早いパパさんを、心の底から尊敬している。


「寝癖直してくる」

「そのまま学校に行ってもいいんじゃないですか?」

「行ける訳ないだろ、恥ずかしい」


 冗談気味な小鳥の口調に本音を返す。


「そうですか? かわいいですよ」

「! ……言ってろ」


 すると小鳥はそんなことを言ってきた。その口元は少しだけ緩んでいて、どうやらロクをからかっているらしい。


 しかしからかわれているのだと分かっていても頬が赤くなってしまい、それを隠すために顔を逸らしてさっさと洗面所に向かう。


 ロクの寝癖直しはシンプルだ。まずタオルを取り出し、水で髪を濡らし、タオルで拭き、ドライヤーで乾かす。


 僅かな時間で一連の流れを終えたロクは洗面所を出た。その時には小鳥が弁当作りを始めており、フライパンの上で何かを焼いている。


「手伝えることはあるか?」

「大丈夫です。家事は全て私の役目ですから任せてください」


 小鳥には無理をしているような気配もなかったので、「そっか、じゃあ頼む」と軽く任せた。


「俺は朝食まで上でゲームしてる」

「では、朝食の時間になったら呼びに行きますね」


  ・

  ・

  ・


 ロクが一人で暮らしていた時、朝食など面倒でとることすらしなかった。その頃のロクが今の朝食風景を見ればさぞ驚くことだろう。


 バターが染み込んで表面がキラキラと輝いているこんがりトースト。丸皿に乗った半熟のスクランブルエッグ。その周りに添えられた彩りをよくしてくれるプチトマトとレタス。レタスのそばに並ぶ、切り込みの入ったウインナー。


 そして白いミルクが、透明な細長いコップに入って左手奥に置かれている。カラフルで洋食チックな食卓は、控えめに言ってオシャレだった。


 食事は見た目から。見栄えの良い食卓はそれだけで食欲をそそり、ロクはあっという間に朝食を食べ終える。しかし小鳥の方はまだ食べ終わっておらず、トーストも半分ほど食べた所だった。ゆっくりと食べ進めていくその姿は、まるで小動物のようである。


「? 顔に何かついてますか?」

「いや、そんなことない」


 その様を見守っていると、小鳥に首を傾げられてしまった。首を横に振って、何でもないと知らせる。どしゃぶりの一日の始まりだったが、朝から美味しいものを食べられて気分は晴れやかなロクだった。


 しかしそんな気分は、学校に着いて朝のSHRショートホームルームが始まった頃にサーっとどこかへ去ってしまう。


「お前ら、今日からテスト一週間前だからなー」


 地獄の始まりである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る