後輩の女の子を拾いました

ほまりん

1章

第1羽 ロク、女の子を拾う

 六月中旬のとある日。


「最悪だ……」


 梅雨の時期は雨が多い。それは本州に住む日本人にとっては当たり前の話で、もちろん桜庭ロクも理解していた。


「今日は久しぶりに晴れるって言ってたのに」


 だがこの日、ロクは傘を持っていなかった。一人暮らしのロクは毎朝欠かさず天気予報を見るようにしているのだが、今日は一日晴れの予報だった。


 ここ数日雨が降りっぱなしだったため、片手は常に傘で塞がっていた。その状態から久しぶりに解放されると浮かれて、念のために持って来ようとしなかったロクにも責任はあるのかもしれない。


「折り畳み傘、やっぱりいるかな」


 ボヤキながら校舎玄関で立ち尽くす。空をどれだけ眺めても灰色から変わることはなく、それでも青くなれと淡い期待を抱いた。


 何せつい一時間前までは晴れていた。中間試験の結果が悪く、補習を受けているうちに天気は機嫌を悪くしてしまったのだ。


「……仕方ない。コンビニまで走って買うか」


 いつまで経っても晴れそうにない空に、ロクは諦めて帰ることにした。記憶が正しければ、帰り道にあるコンビニには折り畳み傘が売っていたはずだ。


 一本でも鞄に入れて持ち歩いていれば今日のような失態はなくなる。


「それ!」


 雨音の騒がしい中、鞄で頭を隠して駆け出す。珍しく道端にカエルがいたが、コンビニへと急ぐロクがそれに気づくことはなかった。


  ・

  ・

  ・


「ありがとうございましたー」


 ウィーンと自動ドアが開く。コンビニを退出したロクは、早速買ったばかりの折り畳み傘を開いた。


 千円札と引き換えに手に入れたそれは、開いてみると思っていたよりカバーできる範囲が狭い。


「小さいな」


 ロクの体格は男性の平均程度だが、傘からかなりはみ出てしまう。鞄や靴などはどう足掻いても雨から守れない。


 多少は購入前からはみ出ることを覚悟していたため、仕方ないなと割り切って歩き出した。それでも鞄で頭を守っていたこれまでと比べれば随分マシだ。


(今日の晩飯はカップラーメンか牛丼か)


 帰路を行きながら夕食について思考を巡らせる。昨日はインスタントの焼きそばだったのでそれ以外が候補だった。


 手作りをするという発想はない。食材を買うのも食器を洗うのも面倒だし、何より料理スキルがない。


(誰か飯を作ってくれる人がいればなぁ)


 そんなことを考えながら自宅へと歩を進めるロク。


(ま、そんな人がいる訳……)


 ふと、その足を止めた。不思議な光景を目にしたからだ。


(うちの学校の制服だ)


 視線の先では一人の女子高生がしゃがんでいた。髪は染められておらず短めで、ワイシャツの上にスクールベストを着ていた。


 太腿に鞄を乗せて、その鞄に腕を乗せてぼーっとしている。それだけなら何もおかしくはない。しかし彼女は、傘もささずに雨に打たれていたのだ。


「…………」


 ロクは止まっていた足を再び動かし、無言で道を行く。そして彼女の前まで来たところで、そのまま通り過ぎてしまうか逡巡した。


「……風邪、引くぞ」


 結果、ロクの良心が勝った。濡れることを厭わない彼女にわざわざ忠告をするのも野暮かもしれないが、体調の悪化を招きかねないため見過ごすことができなかったのだ。


「はい」


 彼女はたった一言、それだけ答える。「はい」とは何なんだろうか。風邪を引くことを覚悟しているということなのだろうか。


「この傘、使うか?」

「大丈夫です」


 ロクの提案は断られてしまう。彼女は表情の変化が小さく、淡々と返事してくるためなんだか無機質な物に話しかけているような錯覚に陥った。


 何を考えているのかあまり分からない。


「……ずっとそこに座ってるのか?」

「はい。帰る場所がなくなったんです」

「帰る場所って、火事でも起きたのか?」

「いえ。母が私を捨ててどこかに行きました」

「へ?」


 不意に飛び出した発言に戸惑う。


「えっと、父親は……」

「元からいません」

「……ほんとか?」

「私、嘘はつかない主義なんです」

「そうか」


 彼女の言葉が本当なのだとすれば、相当に深刻な事態だった。どうしてそんなことをとりわけ感情の起伏もなく言えるのか。


「ずっと邪魔者扱いされてきました。なので、そこまでショックじゃありません」


 そうロクが思っていると、まるで考えを読んだかのように彼女が言う。


「だから、気分は普段とあまり変わらないです」


 初対面のロクは彼女のことを何も知らない。だからそれが嘘かどうかなど判別できない。


 悲しそうな表情をしている訳でもなく、本当に落ち込んでいないのかもしれない。


「なあ、少し聞いていいか?」

「なんですか?」


 しかし尋ねたいことがあった。


「今、雨に打たれてることに対して何か思うか?」

「いえ、特には」

「それは普段もなのか?」

「?」


 彼女が小さく首を傾げる。


「普段も、雨に打たれても何にも思わないのか?」

「……いえ」


 質問の意味を理解した彼女は、少し俯いて答える。


「いつもは、不快です」

「そうだよな」


 ロクはしゃがんで彼女と目を合わせる。そして「じゃあやっぱり」と続けた。


「落ち込んでんだよ。ショックを受けてないような気がしても、気は沈んでるんだよ。雨の不快さなんてどうでもよくなるぐらい」

「……そうかもしれませんね」


 そっと、彼女の頭に傘をかざす。ロクが差していた折り畳み傘をだ。それはやっぱり小さいが、彼女は男性に比べると遥かに小柄で大部分を覆うことができた。


「行くあてはあるのか?」

「ありません」

「……なら、来るか? 俺の家。その、一人暮らしだが」


 女子を家に招くなど少し恥ずかしかったが、それでも勇気を出して誘う。


「……はい」


 この日、ロクは女の子を拾った。

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