ブラックおかあ

 朝6時過ぎに夫が弁当を持って家を出た。

いつも思うことだが、近距離の職場で就業開始が8時なのに早すぎる。

 夫が言うには早朝のほうが仕事は捗るらしい。

健康的な生活かもしれないが5時前に起床して準備をする私の身にもなってくれと言いたい。

 今朝はそんな気持ちが呼び起こされていた。理由はただ単に眠かったから。

テレビを見て夜更かしをした自分の自業自得だとわかってはいるけど夫とのやり取りにイライラとした口調を発してしまう。もちろん、朝なので控えめにだけど。

きっと娘が居たら「」と、いつもと同じように低い声でつぶやいていただろう。

 

 台所を片付けたあとに服を着替えようとクローゼットの二つ折りの扉に左手を伸ばす。

指が4本するっと取っ手に滑り込む。

「えっ、なんで」ひとり呟き、指を見る。親指以外の私の太い指が隙間なく取っ手に吸い込まれている。この家に20年以上住んでいるが初めての経験だ。

ゆっくりと指を上へ引き抜こうとしてみるが痛いだけで現実を突きつけられた気分になる。

いっそのことしばらくの間このままいようかと思うが直ぐに否定する。手を下げた状態でいたら余計に指が腫れてしまって抜けなくなる。

再び挑戦するが痛いだけで何度繰り返しても状態は変わらない。

頭の中に119が浮かぶ。

「いやいや、こんなおばちゃんがパジャマ姿でクローゼットの取っ手に指を突っ込んで抜けませんなんて。ましてや後々なんと噂されるか。悲惨すぎる」

「朝から夫にイライラを出した報いか」

痛いのは仕方がないと覚悟をしてもう一度挑戦しよう。できれば骨折はしませんようにと願いながら左小指を右手で引っ張ると、なんとか2段階ほどで抜くことができた。ほっとしてもう大丈夫だと次に薬指を抜こうとするが難しい。それならと位置を調整しながら人差し指をひっぱるとすっと抜けた。やったー、あとはもう正真正銘の自由の身となった。


 曇天に合わせたように、なんとも重たい一日のはじまりとなってしまった。

当分の間、は封印しておこうと心に刻む。

(いつまでもつかしら)

 

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