うたと母

 リビングに戻ると、義父が戸棚を開け閉めして、なにやら探していた。


「どうしたの?」

「あぁ、お茶を淹れようと思ったんだけど…。あれ?お茶っ葉が…、うーん、お茶っ葉が入った丸い筒が、いつも置いてある所になくて」


 義父の背中から視線を落とすと、ダイニングテーブルの上に急須と湯飲み茶碗と、その横に茶筒が置いてあった。


「お義父さん」


 振り返った義父は、私が指差した先にある茶筒に気づいて、照れ笑いをした。


「年だなぁ。自分で置いたの、忘れてたよ」


 なんでもない、ただの日常の中だったら無邪気に笑えただろうけど、今日は哀しみを帯びている。




 義父と初めて会ったのは、おばあちゃんが亡くなった日だった。


 おばあちゃんは生前、「自分が死んだら、葬式も墓も仏壇もなんにもいらないよ。骨は適当にばらまいとくれ」と言っていた。親戚にもわざわざ言わなくていい、聞かれたら「そういえば死んだらしいよ」というくらいでじゅうぶんだとも言っていた。


 つくづく、おばあちゃんらしいと思う。


 だから亡くなった時、親戚にも知らせなかったのに突然現れた男性――義父は眠っているおばあちゃんにしばらく頭を下げたあと、戸惑う私に向かって言った。


「うたちゃん、一緒に住まないかい?」


 それから、おばあちゃんの希望通りに海洋散骨をおこなって、その後母は結婚し、私はこの家に来て義父の娘になった。




「ただいま………」

「美和ちゃん、お帰り」

「うん。…お帰り、お姉ちゃん」

「…ただいま」


 買い物袋を提げて、妹の美和が静かに入ってきた。


 美和は、私がこの家に来て約一年後生まれた。

 私と違って、美和は母にかわいがられたと思う。

 愛する人との子供と、そうでない子供とではやはり違うのだろうか。おそらく美和も気づいている。




「…………………」

「…………………」

「…………………」


 三人で黙ってお茶を飲む。


 低いハトの鳴き声、微かな冷蔵庫の運転音、チッチッと動く時計の秒針。




(ここって静かね…)




 郊外の新興住宅地であるこの辺りは緑豊かで、きれいに並んで似たような家々が建っている。

 十三年ぶりだからか、じつはここに来るまでに一本手前の道に間違えて入ってしまった。たぶん表札がなかったら、自信を持ってインターホンを押せなかっただろう。


「…そうだ、私いろいろ買ってきたの。何か食べる?」


 美和はガサガサと、袋から買ってきたものを出した。

 ミルクチョコレート、マカロン、白あんのいちご大福、栗蒸しようかん、クロスワードパズルの本、花の刺しゅうが施されたエプロン、小鳥のキーホルダー。それから――――と、まだ美和は次々と出している。


「お母さんが好きだったもの、全部買ってみたの」


 テーブルに広げられた母の好みだという品々を、ぼんやり眺めた。


(意外にかわいらしいものが好きだったのね)


 食器棚の中の水玉模様のカラフルなコーヒーカップ、壁にはアザラシの赤ちゃんのカレンダー、ギンガムチェックのクッションがふたつ置かれたソファー。これらも母の好みなのかもしれない。

 私がいた頃は…どうだっただろう、あまり覚えていない。できる限り家には帰らなかったし、帰ってもほとんど自分の部屋に籠っていたから。


「これ、たまにお母さん買ってたよね。甘党なのに」


 と言って、美和は“お徳用”と書かれた袋に入ったお煎餅を出した。


(これ…)


 手の平サイズの、ごつごつした昔ながらのお煎餅。毎日のように食べていたやつだ。

 …まぁ、あの頃はお煎餅だけじゃなく、ほかにも手当たり次第という感じだったけど。

 食べに食べて食べまくっていたから、“うだくてん”になってしまってた。


 食べることで、代わりの満足感を得たかったんだと思う。


 お小遣いはもちろん、バイトができるようになるとほぼ毎日シフトを入れて、そのバイト代もすべて食べるものに充てた。バイトに行く前、菓子やらパンやらおにぎりやらでいっぱいの袋を提げて、よく河川敷で食べてたな。




 それから高校を卒業して、またおばあちゃんの家で、今度はひとりで暮らし始めて…やっと息ができた気がした。




 これからは、もう、母は忘れるいらない――――と思えるようになれた。











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