~70~ フランクの提案

 コンコン。

「フランクです。失礼してもよろしいですか?」

 思わぬ来訪に羽琉が反射的にエクトルを見ると、これまで穏やかだったエクトルの表情が、微かに眉間にしわを寄せた険しい表情になっていた。

 しかしその表情はすぐに元に戻る。

 羽琉と視線を合わせたエクトルはにっこりと微笑み、フランクの入室を促した。

 エクトルの表情を不思議に思いつつ、席を立った羽琉がドアを開けると、きちっとした身なりのフランクがそこに立っていた。

 羽琉に「こんにちは」と軽く会釈をして、促されたフランクが部屋に入ってくる。そして直立不動のまま、佐知恵に「初めまして」と低頭した。

「エクトルの通訳兼補佐として来日に同行しているフランクと申します。大事なお話を中断させてしまい申し訳ありません。私から1つ、提案させて頂きたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

佐知恵も羽琉も不思議そうにフランクを見つめる中、エクトルだけは静かな溜息を吐いて微かに俯いた。

 フランクが何を言うのか、エクトルは察している。

 そしてフランクもそれを分かっているからエクトルの方を向かず、佐知恵と羽琉に発言の許可を得ようとしていた。

「……えっと」

 エクトルからの返答がないことが気になった羽琉は隣をちらりと見やる。俯いていてよく見えなかったが、その表情はどことなく曇って見えた。

 エクトルも羽琉の視線を感じているはずだが、先程のようにその表情が晴れることはなかった。

「あ、すみません。よかったらこちらにどうぞ」

 直立のフランクに、羽琉は自分が座っていた丸椅子を譲った。椅子を余分に用意していなかったので自分の席を空ける。

 それを一度は断ったフランクだったが、佐知恵や羽琉からすすめられ、軽く頭を下げてから丸椅子に腰を下ろした。それを見届けてから、羽琉もベッドの端に腰を下ろす。

 位置関係が変更してもエクトルに動きがなかったので、羽琉からフランクに「提案とはなんでしょうか?」と話を促した。

「その前に、お話はどこまで?」

「あ、エクトルさんとの交際とフランス行きの話はもうしました」

 交際まで打ち明けたことに驚きの表情をしたフランクは、すぐ表情を改めるとそれを踏まえて話し始めた。

「フランスでの小田桐さんの生活についてですが、言語も含め、まずは現地に慣れて頂く期間が必要だと思います。日本とは異なるものが多いと思うのでマナーや法律など、ある程度知識を入れておいた方がトラブル回避にも役立つでしょう」

 フランクの言葉に、佐知恵も羽琉も納得するように肯く。

「その全てが落ち着き、心身共に小田桐さんに余裕が出来ましたら、是非、私の妻である友莉の会社に就職して頂けないかと思っているのですが、如何でしょうか?」

「……え、友莉さんの?」

 羽琉に軽く肯き返したフランクはそのまま視線を佐知恵に向け、友莉が日本人であることとフランスで個人経営をしていることを補足し、佐知恵が肯いたのを確認してから話を続けた。

「全てがゼロからのスタートになる小田桐さんの精神的負担を、少しは軽く出来るのではないかと思うのです。先日電話で話しているので、小田桐さんも友莉の人となりを少しは理解されているのではないですか?」

「えっと、そうですね……長い時間話をしたわけではないですが、性格や考え方は好きだと思いました」

 好印象を受けたと羽琉は佐知恵に伝える。

「先程電話で確認したところ、友莉も小田桐さんなら大歓迎だと話していました。元々、人手不足で求人をかけていたので、この話は友莉にとっても都合が良いのです。それに友莉の会社ならば言語や就職の不安も、そこまで感じることはないと思われます。もちろん小田桐さんの意思が最優先なので断って頂いても構いません」

「え……っと」

 羽琉が答えあぐねていると、「すぐに返事を出さなくても結構ですよ」とフランクが小さく笑った。

「小田桐さんも今初めて聞いたことなので驚かれている事と思います。就職についてはフランスに来てから慣れるまでの間でゆっくり考えて下さい」

 「話はそれだけです」と言ったフランクはすぐに席を立つと、佐知恵と羽琉に軽く頭を下げてから、「それでは失礼致します」と部屋から辞去した。

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