~68~ カミングアウト

「はい。どうぞ」

「元気にしてた? 羽琉」

 にこやかな笑顔と共に佐知恵が部屋に入ってきた。

 出迎えた羽琉は「うん」と微笑み返す。

「今日は、何か……」

 そこまで言い掛けてから、ようやく部屋の中にいたエクトルの存在に佐知恵は気付いた。

「こんにちは、初めまして」

 佐知恵の入室と同時に立っていたエクトルは、佐知恵に対して深々と頭を下げ挨拶をする。

「……」

 佐知恵は絶句して瞬きを繰り返し、エクトルを凝視してしまった。

 まず羽琉の部屋に外国人がいたことに対して驚き、次にその外国人の容姿の綺麗さに目を奪われてしまっていた。日本語を話していたという情報はその数十秒後に脳内に届く。

「母さん、取り敢えず中に入って」

 突然のことに呆然と立ち尽くしている佐知恵に苦笑した羽琉は、半ば背中を押すようにして佐知恵をパイプ椅子に促した。

 椅子に座る前に佐知恵も「えっと、こんにちは。初めまして」と戸惑いつつ、エクトルに挨拶を返す。

 そして佐知恵が腰を下ろしたのを見届けてから、エクトルと羽琉は腰を下ろした。

「母さんに紹介するね。こちらはエクトルさん。フランスの方で、今は仕事で日本に来日してるんだって」

「エクトル・ド・ダンヴィエールです。エクトルと呼んで下さい。フランスで流通関係の企業に勤めています。日本へは企業進出のための実地調査に来ています」

 羽琉の紹介の後に、エクトルも自分の名前を告げる。

 先程の羽琉の言葉の真意がまだ完璧に読み取れていないため、取り敢えず羽琉がする話の流れに乗ろうと、エクトルは軽い自己紹介だけに留め、不要な発言をすることを控えた。

「日本語がすごくお上手なんですね」

 心底驚いたように目を丸め訊ねる佐知恵に、エクトルは「ありがとうございます」と素直に受け止め微笑む。

「急に時間を取ってもらってごめんね。でも僕から直接伝えたいことがあったから、今日、エクトルさんにも来てもらった」

 佐知恵は小首を傾げて、話の先を促す。

「驚かせると思うけど正直に言うね。僕は隣にいるエクトルさんと、お付き合いさせえてもらってるんだ」

 「……え?」と眉根を寄せた佐知恵もだが、エクトルもまさか最初からそのことを話すと思っていなかったので度肝を抜かれる。

「それで今日母さんに話したかったことは、僕がエクトルさんと一緒にフランスに行くと決めたことを伝えたかったんだ」

「フランス!?」

 佐知恵の表情が険しくなる。

 思いもよらぬカミングアウトの上に、渡仏の話まであるとは想定出来るはずもない。突拍子もない告白をした羽琉に、エクトルを見やる佐知恵の視線が胡乱になる。

「エクトルさんは胡散臭い人じゃないよ。容姿が整い過ぎてるから、最初は僕もそう思ったけど、今はエクトルさんのこと誠実な人だと思ってる」

「……その根拠は?」

 佐知恵に訊ねられ、「いろいろあるけど」と言い少し考えた後、羽琉は「日本語、かな」と答えた。

「半年前に一度エクトルさんと会ってるんだけど、その時は英語で話し掛けられた。でも半年後……つまり今なんだけど、エクトルさんは流暢な日本語で僕に話し掛けてきたんだ。母さんも分かると思うけど、半年で日常会話以上のことを話せるまでに語学が上達するのは並大抵の努力じゃないと思う。それも教室に通うことなく、忙しい仕事の合間を縫って独学でだよ。僕も語学は好きだけど必要に駆られない限り出来ないと思う」

 エクトルは目を伏せる。

 自分からは羽琉に伝えていない情報だ。もちろんどこから漏れたのかは考えなくても分かるのだが。

「仕事上、その必要があったからということではないの?」

 尤もな佐知恵の言葉に、羽琉も「僕も最初はそう思った」と肯いた。

「仕事で必要だからかなって。確かに日本語を話せる方が仕事をする上でスムーズに物事が進むかもしれないけど、そこまで急を要するほどのことじゃないと思う。だってエクトルさんには通訳の人が付いてるんだよ? 目隠しで話してたら日本人だと思うくらいに綺麗な日本語を流暢に話せる通訳の人が。だから要職に就いていて、ただでさえ多忙なエクトルさんがわざわざ日本語を覚えなくても別に問題はないと思うんだ」

 疑ってかかるのは母親なら仕方がないことだ。

 だから佐知恵からの質問にちゃんと答えられるよう、羽琉は慎重に言葉を選んでいた。

 ただ佐知恵としては、最初こそ驚きはしたものの、冷静になるのは早かった。それは海外生活を経験しているからかもしれないが、元々同性愛に偏見がなかったこともある。恋愛自体、当人同士の気持ちの問題であり、それは母親だからといって止められるものでもない。これまでの恋愛経験に加え、再婚を経た佐知恵だから、その思いはよく分かる……よく分かる、のだが――。

「羽琉がエクトルさんとの付き合いを決めた理由はそこだけ?」

 羽琉は一瞬きょとんとしたが、ふわりと微笑み頭を振る。

「まだあるよ。でもきっと僕が話すより、母さんも接していけばちゃんと分かると思う」

「……」

 佐知恵は微かに瞠目した。

 周りに気を遣った愛想笑いじゃない柔らかな羽琉の微笑みは、久し振りだった。その微笑みを取り戻すまでに、羽琉はどれだけ苦しんだのだろうと思うと胸が痛む。その笑みを思い出させてくれたのは月の光という環境と、そこで知り合った人々との触れ合いがあったから。そして、今、目の前にいるエクトルもその1人なのだと、羽琉から漂う雰囲気が物語っていた。

「あとね、エクトルさんは僕の過去も知ってる。それも含めて、僕のことを受け入れるって言ってくれた」

「……」

 そこまで深い話をしていたことに佐知恵は驚かされた。

 羽琉の中で今も癒えない心の傷を話せる――実際は友莉がバラしたのだが――までにエクトルに心を開いている羽琉と、それを知った上で受け止めたというエクトルの本気を感じる。

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