~67~ 羽琉の決心
今朝、優月の部屋に行ったらいつも笑顔で走り寄ってくる可愛い優月の姿がなかった。そのことを検温に来ていた笹原に訊ねると「養子先の親戚の方と外出してるわよ」と教えられた。
「昼食も外で食べるみたいだから、帰ってくるのは午後4時頃って言っていたわ」
「そうなんですね。あ、今日は母が来る日なので外出はしません」
「そう。じゃあ今日はお母さんとゆっくり過ごすのね」
笹原は特に何の疑問も抱かず、羽琉から渡された体温計を見やった。
「熱もないわね。体調はどうもない?」
「はい」
「よし。じゃあ受付に今日の外出はないって伝えておくわね」
「ありがとうございます」
バインダーの紙に羽琉の状態を書き込んだ後、笹原は部屋を後にした。
小さく息を吐き時計を見つめると、針は9時10分を少し過ぎていた。
昨日佐知恵の来る時間帯を伝えた際エクトルは、「お母様より先にそちらに着くようにします」と言っていたので多分9時半までには来るだろう。
そう思っていると部屋のドアを軽くノックする音が聴こえた。反射的に「どうぞ」と言うと、思った通りの人物がドアを開け、顔を覗かせた。
「ハル。おはようございます」
今日も嬉しそうに朝の挨拶をするエクトルに、羽琉も微かに笑みながら「おはようございます」と返事をする。
「緊張して眠れなかったのでは?」
近寄ってきたエクトルは丸椅子に座っている羽琉の顔を覗き込み、心配そうに訊ねた。
「緊張はしてますが、昨日はちゃんと眠っているので大丈夫です。今日は同席して下さってありがとうございます」
「いいえ。ハルの大事な将来について話し合うのですから当然です。お母様に納得してもらえるよう頑張りますので、ハルも自分の素直な気持ちをお母様に伝えて下さい」
エクトルの纏う空気や柔らかな口調、穏やかな表情が、羽琉に不思議な安心感を与えてくれる。
「はい。あ、こちらに座って下さい」
羽琉は部屋に予め用意していた折り畳みのパイプ椅子を広げ、エクトルの前に置いた。
「ありがとうございます」と言ってエクトルが腰を下ろすと、「エクトルさん」とどこか決意のこもった羽琉の声音が耳に届いた。
「僕がフランスに行くことを、母は反対すると思います」
「……」
直球で言われ、エクトルは羽琉を見つめたまま無言を返す。
「でもちゃんと話せば分かってくれると思うんです。僕の、母だから」
次いだ羽琉の言葉に、エクトルは微かに目を瞠った。
羽琉の表情には不思議なほど、焦りや動揺などが見えない。その言葉には母子だからこそ分かる羽琉の確信が込められていた。
「だから、エクトルさんとの付き合いをちゃんと話しても良いですか?」
「……」
羽琉の言葉に驚きはあったが、前言からそう言うことは予想していたので苦笑しつつも肯く。
羽琉がそう決めたのなら自分はそれに倣って渡仏行きを説得すれば良い。交際しているからという理由は強みにはならないと思うが、それも1つの要素であることは間違いないので、少しでも理由が欲しいエクトルにはありがたい申し出だった。それに隠し事をしたままだと、どこかで綻びが生じることもある。佐知恵にいらぬ誤解などを与えないためにも、包み隠さず話すことは自分たちにとってはメリットがあるとエクトルは思った。
コンコン。
ドアをノックする音でエクトルは反射的に時計を見やる。
まだ10時にはなっていないが、「入っていいかしら?」という声でノックの相手が佐知恵だと分かった。
「……」
エクトルの中に密かな緊張感が走った。
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