~44~ パズルの完成図
「すごく心配させてしまったんですね。もしかしてエクトルさんも眠れなかったんですか?」
床に膝を突いているエクトルに再びパイプ椅子を勧めながら羽琉が訊ねる。
「私は普段がショートスリーパーなので何とも言えません。でもハルのことは気になっていました」
羽琉の促しによってパイプ椅子に腰を下ろしたエクトルだが、右手だけはまだ羽琉の手と繋がったままだ。
「今日は連絡がこないと思っていたんです。羽琉も疲れているだろうと。だから昼前に連絡がきたことには驚きましたが、それ以上に嬉しかったです。でもメモの内容を誤解しているとは思いませんでした」
恥ずかしそうに照れる羽琉は「すみません」と頭を下げた。
「英語の読み書きは苦手ですが、エクトルさんのメモはちゃんと読める英文でした。ただちょっと上の空で読んでしまったので、変なところだけ強調して記憶してしまったようです」
羽琉をジッと見つめていたエクトルはふっと笑みを浮かべる。
「そうだったんですか。何にせよ誤解が解けて良かったです」
繋がれたままの羽琉の右手にエクトルの左手が遊ぶように指を絡めてきた。
そこにいやらしさは全くない。慈しむようなエクトルの眼差しが色気を感じさせなかった。だから羽琉も右手を振り解こうとせず、されるがままになっていた。
「羽琉の手は少し冷たいのですね」
ふいに言われ、羽琉は自分の手を意識した。そこでエクトルの手が温かいことに気付く。
「私の手が温かくて良かった。いつでも羽琉の手を温めてあげられます」
エクトルの穏やかな表情と声音に、羽琉の心臓がキシキシと妙な音をたてたような気がした。それは不快ではないが、今まで感じたことのないものだ。その感情の名前を羽琉はまだ見つけられない。
ただ一つだけはっきりしていることがあった。
「……本当はショックだったんです。会わないと書いてあったあの文章が」
急に話し始めた羽琉に、エクトルは察しているような様子で微笑み返す。
「僕は否定されたり、拒絶されたりするのは慣れています。直したいと思っている自分の性格が原因だということも理解しています。でもエクトルさんからのメモには、自分でもびっくりするぐらいショックを受けていて、避けられた原因を必死に探していたんです。でも結局、受け入れることでその追究を諦めてしまいましたが……」
話すのが苦手な羽琉はいつも、話している途中で乱れる呼吸を整えるのが癖になっているのだが、今は違う理由で呼吸が乱れ鼓動が速鳴りしていた。
しかし困ったことに羽琉はそれが嫌ではなかった。ただ面と向かって言うのは恥ずかしくてエクトルから目を逸らしてしまう。
「でもエクトルさんと会えなくなるのは淋しいと、思いました」
「……」
しばらく沈黙が続き、エクトルの無言が気になった羽琉は意を決してちらりと上目遣いでエクトルを盗み見た。
すると切なげに微笑むエクトルと視線がかち合った。その細められた碧眼に、羽琉は吸い寄せられるように顔を上げる。
「同じです。私もハルと会えなくなるのは淋しい」
「……同じ、ですか?」
「その度合いは違うかもしれませんが、ハルの抱いている淋しさは私が感じているものと同じです。でも私の場合、ハルと会えなくなればしばらく休職しないといけなくなりますね。全く使いものにならないと思うので。フランクにかなり迷惑を掛けることになりそうです」
そう言ってエクトルは小さく苦笑するが、羽琉は笑うことが出来なかった。
最初から感じていた。エクトルはずっと断られること前提で羽琉と会っていたのではないかと。それは口調や会話の端々、そして表情からなんとなく察していた。
それでもエクトルは、答えを焦らせたり、自分の都合の良いように羽琉を誘導するようなことはしなかった。どんな答えを出したとしてもそれを受け入れるだけ。そして別れの言葉を最後に羽琉の前から姿を消すのだ。きっと二度と会えないだろう。
だが、それを嫌だと思っている自分がいる。そしてエクトルと会えなくなるのは淋しいと気付いた自分がいる。そこまで導き出せたのなら、答えを出しても良いのではないかと羽琉は思った。パズルのピースはまだ足りないが、完成図はもう決まっている。
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