~42~ 勘違い
今日は鳴らないだろう、そう思っていたエクトルは油断していた。
お陰でいつもはワンコールで取っている羽琉からの電話を、もうすぐ留守電に変わるという寸前で慌てて取る羽目になった。
「ハル! すみません、出るのが遅くなりました。体調はどうですか?」
公衆電話からの着信は全て羽琉だと思っているエクトルは、電話越しの相手を確認する前に即座に訊ねる。その間の無さはエクトルがいかに羽琉を心配していたかを窺わせた。
「……はい。もう大丈夫です」
慌てた様子のエクトルに、若干驚きつつ羽琉は答える。そしてエクトルが電話に出てくれたことにホッとし、安堵の息が洩れた。
「昨日はご迷惑をお掛けしてすみませんでした。施設まで運んで下さってありがとうございます。それと……僕としては、『会わない』というエクトルさんの意見に反論する気はありません。もし連絡も絶ちたいということでしたら、これで最後にしようと思います。今までありがとうございました」
意外に淡々と話せたなと羽琉は思った。
動揺はメモを最初に読んだ時だけで、その内容を受け入れるのも早かった。
我ながら淡泊だと思ったが、深く信じる前に……エクトルに対する確定的な答えを出す前に、こういう結果に至ったことに関してはどこか安堵の気持ちがあった。
今ならまだ傷は浅い。
「え、ちょっと待って下さい。どういう意味ですか?」
怪訝そうなエクトルに、羽琉は電話前で小首を傾げながら「……メモの内容を受け入れます、ということなのですが」と説明する。
「メモ? えっと、多分、何か誤解しています」
羽琉が思わぬ方向へ考えていたことにエクトルは慌ててしまった。
「会わないと書いたのは、ハルの体調が戻るまではということです。ずっとというわけではありません」
そう言われて羽琉もメモの文章を思い出す。
確かにもう会わないとは書いてなかった。その前後の文章もひたすら羽琉の体調を気遣っているものだった。ならば、どうして二度と会わないなどと思い込んでしまったのか。
その原因に思い当たる節が羽琉にはあった。
文章を読んでいる最中に中途半端に思考が止まってしまったからだ。だからこそ余計にそのワードだけが印象強く残ってしまった。それは羽琉にとってエクトルからの「会わない」という言葉が、あまりにも衝撃的過ぎた証拠だった。
「ハルと会えないのは私が一番嫌です。嫌われているならまだしも、ハルが一生懸命私への答えを見つけてくれているのに、今離れるなんて出来ません」
「…………」
エクトルの言葉に、表現し辛い感情が羽琉の中で渦巻く。限りなく戸惑いに近いが、確実に違う感情も混じっている。
「私を諦めないで下さい。私はハルの答えが出るまでいつまでも待ちます」
羽琉は息を呑んだ。
諦めようと思っていたわけではない。ただエクトルが会わないというのなら、それに従うしかないと思っていた。
だが本当は納得出来るエクトルへの答えを出したかった。だからこそ期限付きで午前中だけだがエクトルと会い、その人となりを知ろうと思った。
最初は自分のどこが好きなのだろうと、エクトルのことを物好きだと思って接していた。奇特な人だと。人を不快にさせる自分の性格を知っているからこそ、そんな自分と会っていて不快にならないのかと不思議に思いつつ、いつも自分に向けられるエクトルの笑顔を見つめていた。
エクトルはこれまで羽琉が出会ってきた人とはどこまでも違っていた。そして優月や笹原とも違う。
その違いは何なのか?
自分の気持ちの答えも出したかったが、その違いを探したいとも思っていた。
いや。違う。
その違いこそが自分の気持ちそのものなのだ。そしてそれがエクトルに伝えるべき答えになる。
「ハル。お願いです。何か話して下さい」
「…………」
言葉が出てこなかった。
今、口を開いたら、頭で考えていたことではないことを口走りそうな気がした。伝えるにはまだ何か足りない。
そうこうしているうちに、反対側の廊下の奥から昼食を乗せた配膳車のキャスターの音が聴こえた。柱時計に目をやると針はもう12時を指している。羽琉も部屋に戻らなければならない。
「あの、午後から会うことは出来ますか?」
咄嗟に出た言葉だった。
羽琉自身も少し驚きつつ、エクトルの返事を待つ。
「もちろんです」
電話越しに明るい声が響いてきた。そして「何時頃が良いですか?」と続けて訊ねられる。
「えっと、エクトルさんの都合の良い時間帯で結構です」
「そうですね……では1時半頃、そちらに伺います。羽琉は部屋で待っていて下さい」
月の光に来ると言うエクトルに、「え、でも……」と羽琉が小さな声を上げた。
「確か午後の外出は許されていませんよね? それに昨日の今日なので外出は控えた方が良いでしょう。ユヅキやササハラサンが心配します」
エクトルの言う通りだ。羽琉も2人に余計な心配をさせたくない。
「では、お待ちしています」
素直にそう言うと「はい。待っていて下さい」と、弾んだ声が返ってくる。
その声音だけで電話越しでも、嬉しそうに微笑むエクトルが目に浮かぶようだった。
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