~16~ 再会③ ー日本語ー

 結局思い出すのを諦めた羽琉は、眉間にしわを寄せたまま視線を戻した。その目の前には碧眼を細め羽琉を優しく見つめているエクトルがいる。

「!」

 瞠目した羽琉は息を呑んだ。

「私が見えますか?」

 やっと自分と焦点の合った羽琉にホッとしたようにエクトルが訊ねる。

「私のことを憶えていますか?」 

「……」

 そうにこやかに訊ねられ、羽琉はバツが悪かった。昨日偶然思い出したが、今もまだ名前を思い出せずにいる。憶えている、とは到底言い難かった。

 何となく察したエクトルは残念に思いながらも、「ハルは私に興味がなさそうでしたからね」と苦笑した。

「私はエクトル・ド・ダンヴィエール。エクトルと呼んで下さい」

 そうだ。エクトル。半年前もそう言われたんだった。

 やっと名前を思い出し――結果的に教えられたのだが――羽琉の中にもやもやしていた霧が晴れる。

「……? あれ、日本語……」

 ようやく気付いてもらえたエクトルは、子供のように嬉しそうに笑みを深めた。

「はい。日本語を覚えました。読み書きは出来ないのでまだ完璧ではありませんが、直接ハルと話したくてこの半年で出来る限り覚える努力をしました。私の日本語はどうですか?」

 フランス語のニュアンスが混じっているが、会話するのに何の不安もなかった。日本語が全く出来なかったエクトルが、この半年でどうやってここまで習得出来たのか、羽琉は気になる。

「お上手です。どうやって覚えたんですか?」

 羽琉に褒められ、エクトルは「良かったです」と安堵の息を洩らした。

「上達するのに1番協力してくれたのはフランクですね。今回通訳として私と行動を共にしているのですが、フランクは日本語がとても堪能なんです。ファムが日本人ということもあるのでしょうが、本人も大学で日本語を学んでいました」

「ファム?」

「あ、すみません。えっと……恋人、じゃなくて」

 日本語でどう言うのか悩んでいるエクトルに、「もしかして奥さん、ですか?」と羽琉が助け舟を出す。

「そうです。ワイフですね」

 恥ずかしそうに訂正したエクトルだったが、羽琉はすごいとしか思えなかった。確かに日本語はひらがな、カタカナ、漢字と覚えることが多いので、読み書きをマスターするには相当時間が掛かるだろう。だがヒアリングだとエクトルは普通の日本人のように羽琉と会話を成立させている。フランクのような流暢さはないが、日常会話以上のことが普通に話せていた。

「フランスに帰ってからずっと日本語で話してくれとフランクにお願いしました。奥さんのユリにも細かな日本語を教えてもらいました。さすがに難しかったです。でもハルと話せると思うと苦にはなりませんでした。むしろ楽しくて、もっと覚えたくて、日本の映画や音楽をいろいろ参考にさせてもらいました」

 心底嬉しそうに言うエクトルを羽琉は怪訝気に見つめたが、そこでそう言えばと思い出す。

 エクトルは仕事で日本に来ていると以前言っていた。日本語を覚えるのは仕事にも役立つからなのかもしれない。

 そう自分の中で納得していると、「ハル」と名前を呼ばれた。意識をエクトルに戻すと、妙に真剣な表情で羽琉を見つめていたことに気付いた。

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