第17話

「……」

「え、いいじゃん!」


 蔓延の笑みを浮かべる幸彩さち。しかし、芽衣めいの表情は硬かった。彼女は綻びそうな自分の表情を堪えるように、誰にも気づかれず舌を噛んでいたのだ。


「いいだろ、いいだろ! 俺がコーディネートしたからな」


 誇らしげに語る湊人みなとだったが、海威もなかなか似合っている自信は持っていた。ただ、芽衣に賛同を求めるように湊人が来たものの、芽衣は依然として口をつむったままであった。

 芽衣は確かに湊人の服が決まっていると明言していた。しかし、海威に関しては、芽衣は何も言わなかったのだ。海威は不思議と失望感を覚え、軽くため息をつく。


「えっと……次は芽衣と俺、幸彩と海威で行くか?」


 四人がペアになって回る、最後のローテーションだ。しかし、そこにいる誰もが気が向かない様子だった。まず、海威と幸彩に関しては、兄妹と知った今、目的もなく一緒にいるのはどこか気まずいものがあった。そして、芽衣と湊人に関しても、海威と幸彩とそれぞれ一緒にいられたために、今日の収穫としては十分だったのだ。


「もう帰らない? 結構、いろいろ買っちゃったしさ」


 幸彩は両手いっぱいにぶら下がる紙袋を軽く持ち上げて、そう言った。紙袋の数々。中には高校生には手が届かないようなファッションブランドの名前もある。芽衣も芽衣で、一つ二つと大きな紙袋を持っていた。

 話し合った結果、持ち歩くのも大変だと、四人は帰りの電車に乗り込んだのだ。まだ、昼過ぎの暑い時刻。電車まだ空いていた。



 ようやく芽衣と幸彩、そして海威の三人は行きの集合場所に到着する。湊人は彼の実家の最寄り駅で降りていった。しかし、近所に住む芽衣は、依然として、海威と幸彩と一緒にいるのだ。


「ねぇ幸彩ちゃんってどこらへんに住んでるの?」

「えっ私? えっとね……」

「まだ引っ越したばかりだもんね。でも、同じ駅の近くなんてびっくり!」

「そ、そうだね……」


 幸彩は言葉に詰まるようにそう言った。しかし、芽衣は海威と幸彩の関係を知る手がかりもなかった。

 そんなとき、降ってきたのは大粒の雨だ。天気予報でも晴れのはず。しかし、お構いなしに雨が降り注ぐ。紙袋が濡れてしまうと走った三人が到着した先は、二条家の玄関前だった。玄関先には屋根もあり、雨宿りとしては問題ない場所だ。しかし、三人がいるにはあまり広い空間ではない。


「雨上がるまで、海威んちに入っていい?」

「「……」」


 芽衣はどこか照れ臭そうにそう言うと、海威と幸彩の表情は青ざめている。普通なら、聞かれるまでもなく家にあげるだろう。そのため、この状況で断るのは、かなり怪しまれてしまうのだ。

 海威は焦ったように、ちょっと待っていてとそう言い残すと、家の中を駆け回った。玄関の靴から洗面の歯ブラシ、洗濯物やリビングに散らかる段ボールの山まで。柚美と幸彩の私物をすべて移動させた。

 そうして、覗くように、海威は玄関の扉をゆっくり開けた。


「いいよ、あがって……」

「そんなに散らかってたの。別に気にしないのに!」


 芽衣はそう言うと、服についた雨粒を手で払う。しかし、じっとりと濡れた服や紙袋は重くなっていた。幸彩と芽衣は海威に招かれるままに、二条家のリビングへと入っていく。


「なんか昔から変わってないね〜」

「そ、そうか。なら良かった」


 芽衣はどこか懐かしむように、リビング一体を見渡す。しかし、海威と幸彩は、芽衣の言葉に胸を撫で下ろしていた。ダイニングテーブルに芽衣と幸彩は腰をかける。

 海威はお茶の準備を始めた。ポットに水道水を注ぐと、電源をいれる。そして、海威はお茶パックを取り出すのだ。


「えっと、レモンはどこだったかな?」

「そこの棚じゃない?」

「おぉ、あったあった! ありが……」


 海威と幸彩は失態にハッと気付き、二人は瞬時に芽衣に目を寄せる。しかし、芽衣はスマホでちょうど母親に連絡をつけている最中だった。ふぅと海威と幸彩は安堵の息をついた。


「お待たせ。あったかい紅茶だよ」

「あれ海威って、紅茶飲むんだっけ?」

「えぇ、あぁお父さんが買ってきたみたいでね」


 海威は必死に取り繕ったが、その紅茶は柚美ゆみがアメリカから持ってきたティーパックだった。元来、海威と誠司が飲んできたのは緑茶なのである。しかし、芽衣はそれほど違和感を感じないようであった。

 三人の喉を、熱々のお茶がつたわっていく。雨に冷えた身体がだんだんと、身体の底からポカポカと温まっていった。


「美味しい〜」


 三人はリビングの大きな窓から空模様を確認する。ザァザァと雨音を立てて、まだまだ雨は止みそうになかった。


「それで芽衣はどうするんだ?」

「私は傘を貸してくれれば走って帰れるけど、幸彩ちゃんが……」

「幸彩ならもうしばらく、ここに残っていけばいいだろ」

「でも……」


 芽衣はどこか難しい表情をして考え込む。そんな彼女に海威と幸彩は必死に帰ってくれと念を送っていた。しかし、その念が届くことはなかった。


「ねぇ海威。私もまだここに残るよ!」

「いや、ずっと濡れたまんまだったら、風邪引くだろ? 早く帰ってさ……」

「それなら幸彩ちゃんも一緒でしょ。だからさ、シャワー浴びていっていい?」

「「えぇ?」」


 芽衣は瞳をうるうると輝かせると、お願いと頼み込むように子犬のような表情で海威に訴えかけた。しかし、シャワーという言葉を聞いて、海威の額から一筋の汗が流れる。まだトイレタリーを片付けていない。つまり、幸彩や柚美のシャンプーやリンス類は全て、風呂場に残っているのだ。


「ねぇ海威、お願い!」

「わ、わかったよ。ちょっと待ってろ!」


 海威は駆け足でトイレタリーを隠しに向かった。全てを物置に放り込む。そして、お風呂場に残るのは、いかにも男らしいシャンプーやコンディショナー、爽快感抜群のボディソープだけになった。


「いいよ!」


 海威が額の汗を拭ってリビングに戻ってくる。すると、芽衣と幸彩は紙袋から購入した服を取り出していた。替えの服については心配ないようだった。


「じゃあ芽衣ちゃん、先に入って来て」


 幸彩は海威との作戦会議のためにも、先に芽衣を入らせようと試みる。


「そんなんダメだよ。ウチのせいで幸彩ちゃんが風邪をでも引いたら!」

「じゃあ私が先に入ればいい?」

「ウチと一緒に入るの!」


 芽衣は頬を膨らませてそう幸彩に言い放った。そして、幸彩の手とグッと引っ張るように洗面へと向かっていった。

 そして、芽衣はショートの髪をふわっと浮かばせて振り返る。


「絶対に覗いちゃダメだからね!」


 可愛らしくしかめた芽衣は、頬を紅く染めてそう言い残すと、力強く洗面の扉を閉じていった。騒がしいリビングに平穏が訪れる。


「別に興味ないんだけどな」


 海威は頭を掻きながら、そっと呟いた。

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