第13話

「ピンポーン」


 二度目のインターフォンの音。期待と不安に満ちた焦燥感が海威を玄関へと急がせる。海威かいは勢いよく玄関を開けた。


「に、に、にじょ……」

「か、か、海威!?」


 玄関先に現れた白い透き通った肌の小柄な美少女を前に、海威は口を半開にしたまま呆然と立ち尽くす。幸彩さちだ。海威の目はしっかりと彼女を認識しているが、頭がとても追いつかない。しかし、それは彼女にも同様だった。柚美ゆみが現れると思って開いた玄関先に、海威がいたのだ。彼女の手からスッと鞄が落ち、彼女も目をしっかりと見開いたまま、動けなくなっていた。

 彼女が妹なのか、そう言わんばかりに、海威は後方に遅れて現れた誠司せいじと柚美の方へと、首を震わせながらゆっくりと向けた。


「さ、幸彩なのか……!」


 海威と幸彩の驚きの再会をいざ知らず、幸彩との感動の再会を果たした誠司は、玄関先へと足を走らせる。そして、50代にもなろう男が、いち女子高生に、抱きついた。そして、ギュッと抱きしめる。

 目を点にした幸彩は、腕をだらんと下に下げ、完全に脱力した。もともと白い彼女の顔色が、どんどん真っ白へと変化していく。


「お、おっと、スマンすまん!」


 誠司は慌てて幸彩との距離をとると、完全に消沈した幸彩の様子を見て、自分がしでかしたことの重大性に気がついた。幸彩はまだその場に、ただただ立っていた。


「さ、さ、幸彩ちゃん、さぁ、あ、上がってくれ……」


 覚束ない誠司の言葉を無視するかのように、靴を脱ぎ捨てた彼女は、母である柚美の元へと小走りに行き、彼女をギュッと抱きしめた。幸彩の頭を優しく撫でる柚美。誠司は傷つき、海威は戸惑う。こうして二条家一家が全員集合した。



「「「「……」」」」


 卓上に出された寿司の数々。これは誠司が予約して取りに行ったものの一つだ。ダイニングテーブルでは黙々と寿司に箸を伸ばす四人の姿があった。あまりの気まずさに、だれもなにも発さない。その場の居辛さは、幸彩がくる以前よりも悪化していた。


「「そ、」」


 誠司と柚美は偶然に同時に話を切り出そうとした。そして、双方が黙る。友人同士なら笑い事、夫婦同士なら仲良し、しかしこの状況でのハモリはさらに沈黙を加速させたのだった。

 誠司と柚美は目配せをしながら、どちらが話すのかを語り合う。


「そういえばさ……」


 誠司が仕方ないしにゆっくりと口を開くと、柚美はもちろん、海威と幸彩はギロリと誠司へと視線を向ける。誠司は気まずそうにしながらも、話し始めた。


「幸彩ちゃんは私が実のお父さんだってことは……お母さんから聞いてる?」

「……!?」


 幸彩は目を疑うように目をパチパチしながら、柚美を睨んだ。柚美が黙って頷くと、何も言わずに黙ってしまった。


「再婚するってことは伝えておいたんだけどね……」


 柚美は優しい笑顔でそう言った。柚美はあえて伝えないことで、幸彩へのサプライズの意味を込めていた。しかし、この状況が予測できたなら、彼女もしなかったのだろう。


「幸彩って呼ばせてもらうよ。私のことはお父さんと呼んでくれると嬉しいなぁ」

「――お父さん……」


 幸彩の溢した言葉に、心を時めかせる誠司。可愛い娘に『お父さん』と呼んでもらえるのには、他には比べ物にならない喜びがあった。


「それで、こっちが幸彩のお兄さんの海威だ。ただ、見たところ、どこかで知り合っていたのかな?」

「「……」」

「それは同じ学校の同じクラスだからね。そうでしょ、幸彩?」


 黙る二人に、誠司は何も知らない様子で聞いたのだが、誠司の質問に答えたのは柚美だった。海威はとっさに幸彩へ目を向けるのだが、幸彩は首を横に降った。なぜこの事実を柚美は知っているのか……海威は不思議と疑問に思う。

 すると、幸彩は感付いたように、そしてどこか絶望を覚えるかのように呟く。


「もしかして……お母さんが……」

「――そうよ。今まで離れていた分、同じ学校の同じクラスなら仲良くなれるでしょ」

「でも、お母さん、そんなこと、一言も……」

「まぁ伝えてなかったからね」


 柚美はにっこりと微笑む。しかし、海威と幸彩にとっては、魔性の笑みだった。この美しさの裏にある、底の知れない柚美の本性。海威はお母さんという存在に畏怖の念が打たれる。


「安心して。学校とクラスを合わせただけだから、それ以外は何もないわよ」

「「……」」


 柚美はまたも、にこりと微笑んだ。恐怖だ、海威はそう思って誠司を見たのだが、誠司の心はここになかった。彼はただうっとりと微笑む柚美を見つめていただけだったのだ。


「そういえば、海威は彼女さんと別れたらしいわね」

「……」


 柚美は調子が乗ってきたように、次の話題をはじめる。悔しくも悲しい、海威の苦い恋ばなしだ。柚美は目をまっすぐと海威に向けてそう言った。

 なぜ彼女がこのことまで知っているのか、海威は真っ先に幸彩を険悪な目つきで見つめる。しかし、幸彩は首を横に振ると、ぼそっと蚊の鳴くような声で、海威であることは伝えていないと言った。なぜか知っている柚美。この女性は侮れない、海威はそう確信する。


「海威! か、か、彼女いたのか!」

「ま、まぁ……」


 お互いを疑いあい、探り合う、そんな三人が睨みを利かせる中、誠司は能天気にも嬉しそうに蔓延の笑みを浮かべる。海威が別れた事実や情報源以上に、付き合っていた事実を喜んでいた。母親がいないことが、海威の彼女のできない原因なのではと誠司は危惧していたのだ。しかし、その心配は必要ないと分かったのである。


「もしかして芽衣ちゃんなのか?」

「なんで芽衣が出てくんだよ」

「湊人くんと家に来ていたときに、海威のことをずっと見てたじゃないか」


 誠司はワクワクしながら、どんどん質問していく。


「芽衣は相変わらず湊人にゾッコンだよ!」

「そっか……じゃあどんな子だったんだ?」

「もういいじゃん、別れたんだからさ!」

「……」


 つい声を荒げてしまう海威に、誠司は寂しげに口をしぼめる。行き過ぎた自覚はあったようだった。しかし、海威にとっては、傷口に塩を塗られるような気分でしかなかったのだ。

 海威は幸彩の方を見ると、にこりと不気味な笑みを浮かべる。


「そういえば、幸彩は太輔とのデートどうだったんだ?」

「……?」

「今日もわざわざ電車の時間もずらしてさ」


 幸彩は咄嗟のことに、飲みかけたお茶を吹き出しかける。この情報に、誠司はもちろん、あの柚美でさえも、驚いた様子だった。誠司に関しては、どこかショックを受けた様子だ。


「幸彩、さっそく彼氏いたのね。教えてくれないなんてひどいじゃない!」

「か、海威……!」


 柚美は面白いことを知れたと、嬉しいそうに微笑んだ。そして、海威に優しくウインクをする。ただ、幸彩は歯を食いしばった様子で、ギロリと強い睨みを海威に向ける。柚美にだけは知られたくなかった、そんな強くとげとげしい思いが幸彩から溢れ出ていた。



 それからというもの、だんだんと四人は自分の感情を露わにしていく。それぞれが感じる不安や心配、怒りや喜び。様々な感情がぶつかっていった。しかし、いつの間にか、四人は馴染んでいたのだ。海威、幸彩、お父さん、お母さん、それぞれにとっての新しい呼び方も、しっかりと浸透した。

 これが家族なのだと、四人は実感する。これが家族四人でとる食事なのだと。

 食べ終わった食器や容器を片付けする柚美。彼女はまた、にっこりとあの美しい笑みで微笑んでいた。

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