《僕恋色》僕らの恋は何色ですか?

美桐院

第一章|二人の出会いは東雲色

第1話

「――俺たち……別れよ」


 言いにくそうに両手をぐっと握りしめたまま、二条海威にじょうかいは感情を押し殺して別れを告げる。男に二言はない。これはもう決定事項だ。海威はそう必死に心に言い聞かせている。

 それでも、俯いた海威の顔はぐっしょりと涙に濡れていた。



 この決別は、とある少女との出会いが海威にもたらしたものだった。

 海威がその少女との出会ったのは、一ヶ月ほどの前に遡る。しとしとと雨の降る梅雨の六月。地面を跳ねる水の音に、ぽつりぽつりと傘に当たる雨音、そして教室で響くクラスメイトの声……

 じめじめとした陰湿な空気が立ち込める朝の教室に、海威は席に座って、そっと窓にもたれかかっている。ひんやりとした冷気を肩に感じながら、彼はどうにか気持ちを落ち着ける。


「皆さん、席についてください!」


 教室の扉を開けた担任は、そう言いながら入ってきた。すると、とたんに教室中にふわっと甘く華やかな薔薇の香りが広がる。担任の隣には、それらしい小柄な愛らしい少女の姿があった。

 セミロングのしっとりとした黒髪。髪色とは対照的な太陽を知らない白く透明な素肌。吸い込まれるほどに大きな丸い瞳。そして、小悪魔的なとても抗いようもない可愛らしさ。教室の誰もが、彼女の美貌に息を飲む。

 担任の細川は生徒たちの反応を面白がるようにクスクスと笑った。そして、大きく深呼吸をして、気持ちを切り替えたように、細川はその少女の紹介を始める。


「おはようございます。さっそくですが、こちらが今日から一年A組の一員になる二条幸彩にじょうさちさんです。二条さん、皆さんに自己紹介してください」


 細川はざわつく生徒たちに咳払いひとつ。静かになった教室の黒板に『二条幸彩』と大きく書いた。二条という名字は海威と同じだ。にもかかわらず、彼女の名前には、海威の名前にない不思議ときらびやかな響きが存在していた。


「みなさん、おはようございます。わたしは二条幸彩って言います。つい最近までは、母の仕事の都合で、アメリカに住んでいました。なので、下の名前で呼ばれた方が気軽です。ぜひ仲良くしてください!」


 彼女はハキハキと元気に自己紹介を終えた。彼女は圧倒的な可愛さだけでなく、底抜けの明るさとフレンドリーさを兼ね備えていた。そして、アメリカに住んでいたという特別な経験まである。そのどれもが、彼女をより魅力的な女性へと仕立て上げた。

 担任の細川も生徒たちの反応に大いに満足したようで、幸彩の席を選ぼうと教室の後ろの席に目を通す。教室の後ろにはいくつかの空席があった。


「良し、じゃあ二条さんの席は……」


 とそこで、細川の言葉を遮るように、彼女は颯爽と歩きだす。そして、彼女が足を止めたのは、窓からひと席離れた空席だった。そっと机に指を立てた幸彩は、振り返りぎわに細川にふわっと微笑みかけて言った。


「ここですね!」


 すると、細川の頬はポッと赤みがかり、彼は上下の唇を内側に巻き込んだ。幸彩の笑顔にはものすごい破壊力が秘めていたのだった。

 彼女の選んだその席は、ちょうど海威の隣の席だった。これはいきなり急接近できる絶好のチャンスだ。しかし、その後もふたりには何もなかった

 教科書のシェアするイベントもなければ、落ちた消しゴムを拾うときについ手が触れ合ってしまう、そんなハプニングも無論ない。実際起こるとは思っていなくとも、期待ぐらいは海威もしてしまっていた。



 そうして、休憩時間になると、A組の女子生徒たちがこぞって幸彩のもとに集まる。そこから始まったのは、転校生なら誰もが経験したことのある怒涛の質問攻めだ。海威は隣で盛り上がる女子生徒たちの会話にぼーっと耳を傾ける。

 幸彩がアメリカにいたのは12年、もちろん英語はペラペラ、そして兄弟はいない。さまざまな情報が海威の耳に入ってくる。そして、幸彩はどれだけ質問されても、嫌な顔をするどころか、すべてを笑顔で返していた。

 すると、女子生徒たちは途端に声のボリュームを押さえた。


「幸彩ちゃんって、どんな彼氏いるの?」


 その問いに、女子生徒たちは幸彩の方へと身を寄せる。そして、A組の男子生徒たちも、より大きな聞き耳を立てる。普段は騒がしい教室も、今は防音室のように静かだった。


「気になる〜やっぱり白人のイケメンだったりする?」

「意外と黒人のスポーツマンだったりして!」

「もぅ〜みんな、なんでいる前提なの! わたし、彼氏いないよ!」


 幸彩はつい教室中に聞こえるほどの大きな声で叫んでしまう。すると、それを聞くなり、男子生徒たちは机の下で小さくガッツポーズをとった。そして、それを見た女子生徒たちは冷ややかな視線を男子生徒たちに送る。

 まだまだこれからだと言わんばかりに、幸彩と女子生徒たちの会話は盛り上がっていく。

 とそこで、教室の扉から海威の元に一人の男子が歩いてくる。彼は海威の親友の宮田湊人みやたみなとだ。


「よぉ海威、まじヤバイな。幸彩ちゃん、めっちゃ可愛いじゃん」

「わざわざそんなこと言いにきたのか? ちょっとは他の生徒を見習えよ」


 休憩時間になってからというもの、A組の教室の外には、たくさんの生徒が一目幸彩をみようと集まっていた。どうやら湊人はその中を掻い潜って入ってきたようだった。


「一年の間でも、『美少女来たる』って有名になってるからな。でも、海威と同じ名字なのに、幸彩ちゃんは反則的に可愛すぎるだろ」

「おいおい、それは俺に酷くないか。それと、よくまぁ『幸彩ちゃん』って気軽に呼べてるな」

「だって海威も二条だから紛らわしいだろ。なぁ、海威と幸彩ちゃんって、何か遠い親戚だったりしない?」


 湊人は冗談まじりに、ヘラヘラと言った。しかし、名字が同じふたりが親戚だなんて上手い話はない。海威はまったくこいつは、と呆れた表情で湊人を見て、ゆっくりと首を横に振る。


「まぁ、そんなわけないよな。幸彩ちゃんは実際あんなに可愛いわけだしよ」

「おぃやっぱり俺の扱い酷いよな。あと、さっきから可愛い可愛いって――確かに可愛いけどよ……夏海なつみには負けるな」


 海威はどこか照れ臭そうにそう言う。夏海とは、同じ高校のひとつ上の二年生『朝倉夏海あさくらなつみ』のことだ。二人の出会いは高校始まってすぐの部活の新入生勧誘のとき。中学の頃の先輩に海威が顔を見せに行ったとき、そこでその先輩と話していたのが、海威の今の彼女でもある夏海だった。


「いやぁまったく熱いね。彼女持ちには敵わないな〜」

「湊人、なに冷やかしてんだよ。お前だって、最近芽衣めいと良い感じじゃんか」

「そんなこと……おっと、授業が始まるな。じゃあ、また寮でな!」


 湊人は芽衣についての話を有耶無耶にすると、逃げるようにして教室の出口へと向かった。しかし、出口で立ち止まった湊人はちゃっかり幸彩に視線をうつす。そして、どこか惜しむような表情で、湊人は教室の扉を閉じていった。

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