第36話

 秋葉瑛太改め秋葉瑛子の女装は天才の頭脳を持つ俺でも全く予想できなかった長短があった。

 まず長所。

「てめえ、女のくせに舐めたマネしてんじゃねえぞ!」

 自転車専門店にて。

 俺と霧島先輩は瀬奈から移動用手段として所有しておいた方が良いと助言されていたを回収しに来ていた。衣装、化粧はもちろんのことウィッグまで装着した俺はあろうことか女として認識されていたようだった。

 喉仏を自在に操れる俺は女性の声を出すことも容易だった。おかげで専門店の正面入り口を容赦なく破壊した俺たちに「何してくれてんだ!」と絡んできた店主――大漢も俺の正体には気がついていない。

 これなら父、純一郎がしでかした吊し上げにも合わずに済むだろう。

 ちなみにノリノリだった霧島先輩と瀬奈への仕返しとて「霧島せんぱい(語尾にハートマーク)※媚びるような声音)」「瀬奈ちゃん」と呼んだところ、鼻息荒くしてボイスレコーダーを起動させてきやがった。なんのしかえにもなってねえじゃねえか。

 そんなわけで、今に至るわけだが、目の前の大漢は俺のことを長身体躯の女だと信じ込んでいるせいか、ずいぶんと油断と隙だらけ。腕力だけでねじ伏せられるとでも思っているのだろう。

 これは決定事項だな。

 この終末世界でどれだけの人間が俺のことを捕獲しようと画策するか、見えないところはあるが、色んな意味で女として迫られるのは正体を隠すだけじゃなく奇襲や意識外からの攻撃を仕掛けるのに適している。

 また、俺自身は屁でもないが、俺を女だと侮った上で触れようとしてきたに対して暴力――これを正当防衛という――を振るう大義名分ができた。

 憲法や法律、人間が持つ理性やモラルが失われた世界で最も警戒しなければいけないのはゾンビの方ではない。

 頭のネジが外れた健常者の方である。

 会話が通じない――思考しようとしない人間の危うさは誰しもが経験あるだろう。

 俺がこれからしようとしている楽しい旅における敵は彼らである。

 俺たちの言葉や思考を理解しようともせず、ただ己のことしか考えられずに凶行に走る者。

 それで言えば目の前の大漢がそうだ。

 たしかに籠城された店の扉を壊されことは腹ただしいだろう。それは理解できる。当然だ。奴らが押し寄せてくるからな。

 だが、そもそもガラス張り――それもいとも容易く扉を開けられるような店に閉じ籠っているようじゃ、命の危機に晒されるのも時間の問題だ。事実、現状がそうなのだから。

 といったことを説くつもりだったのだが、向こうは扉を壊された時点で怒髪天を突くと言わんばかりに顔を真っ赤にしている。

 頭に血が上り過ぎだ。

 俺は大漢の伸びてきた手を捻り上げ、迫ってきた勢いそのままに背負い投げでアスファルトに叩きつける。

 容赦は加えない。最低でも意識は刈り取らせてもらう。

 そのまま鳩尾に踵落とし、思いっきり顔面を蹴り飛ばすことで意識を飛ばす。意識は一瞬で飛んだようだが、とどめに足を捻り立てないようにしておく。仮にも駐車場には瀬奈と村雨先生、玲ちゃんが待機しているキャンピングカーがある。

 万が一、ということがある。いくら大漢とはいえまともに歩くことができない人間になら送れを取ることはないだろう。

「……可愛い顔をしているのにやることはエゲつないね君は」

 と霧島先輩。たとえ世界が崩壊に向かおうとも健常者に対する対処法は価値観により思うところが出てくる。

 それは誰が悪いというわけではなく、日本という国が平和であった証拠であり、本来人間が持つべき倫理感だ。

 しかし、容赦を加えなかったにも拘らず、霧島先輩は平然とした様子。

 おそらくそれは彼女の過去と大いに関係があるのだろう。

 小さな感染者に手を下すことができなかった事実から俺は彼女が抱える闇にそれなりに見当をつけている。

 相手が子どもでない限り、俺の判断や武力行使に不快感を示し、不協和音を奏でることはないだろう。

 そういう意味でも村雨先生は貴重な存在だ。あれはおそらく催眠による意識改変すらもやってのけるだろう。

 健常者の対処、処理、始末による人間的な心のケアは全て彼女に一任するつもりだ。

「そういう霧島先輩は俺の対処にずいぶんと落ち着いていますね」

「――可愛げがないだろうか?」

「いいや。全く。凛として頼り甲斐しかありません」

「ふふ。君に褒められるのは悪くないね。さて、それじゃお目当ての物を回収しようか。たしか電動キックボード、だったかな? 私からすれば自転車の方が良さそうな気もするが」 

「自転車も決して悪いというわけじゃありませんよ。小回りこそ効きませんが、回収のしやすさは断トツです。奴らのせいで身動きが取れなくなればさっさと捨てればいいですからね。強いて難点を上げるとすれば持ち運びのしずらさでしょうか。キャンピングカーの容量にも限界があります。その点電動キックボードはコンパクトです。まあ、利点については回収してから瀬奈えもんから直接聞いてみましょう。きっと事細かく教えてくれますよ」


 ☆


「電動キックボードのことを聞きたい? ええ、いいわよ。まずなんと言っても、モーターで走る新しい電動よね。軽くて、コンパクト。折り畳むことも可。小回りも効くわ。モータとバッテリーがあるということからも容易に想像できるように地面を蹴ることなく風を切ることができるの。なんとその速さ40km/h! 40km/hよ⁉︎ 電動アシストでもせいぜい15Km/hだから、どれだけ爽快かは言うまでもないわよね。ドローンのときもそうだったけど、やたらと規制に厳しい日本だと普及しなかったかもだけど、今の世界なら関係ないし、使用するのになんのハードルもないわ! 奴らから逃げる際にも使えそうだし、なによりこれで監視カメラの設置、回収の時短が図れるわ。まあ、秋葉くんと霧島先輩を危険な場所に向かわせてしまうことには変わりないんだけど。でもこれってすごい発明なのよ!」

 瀬奈えもんがすごく目をキラキラさせながら嬉々として説明してくれた。

 普段はそこまでべったりじゃない霧島先輩にも食いつくように説明している。

 さすがの豹変ぶりに霧島先輩が苦笑を浮かべていたのが印象的だった。

 ちなみに、キャンピングカーでの車中泊の際、電動キックボードによる監視カメラの回設置回収は円滑になったことは言うまでもない。

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