第13話
「すっ、すぐに出て行け秋葉!ここは俺が先に占拠したんだ!」
ガチガチと歯を震わせながら威嚇してくる平石。瞳孔も見開いており、明らかに平常心を失っている様子。まともな会話が成り立つのかが心配だ。
「安心してくれ。長居するつもりはない。工具を拝借したらすぐに出て行く」
「ふざけるなっ‼︎」
なんでやねん。聞いてたか他人の話を。
「ここにある工具――武器はぜっっんぶ俺のもんだ! お前なんかに取られてたまるかよ!」
「落ち着け。叫べば叫ぶほど技術室に奴らが湧くぞ。バリケードも張ってないようだし、これ以上集まれば重さで扉を突破されるかもしれない」
「うるせえっ!」
おめえだよ。
この世界で最も厄介な存在は感染者じゃない。言語が通じないイかれた人間だ。
いくら非日常になっているとはいえ、ここまで取り乱しているようじゃ彼の寿命は近い。
早ければ十分後には絶命しているかもしれない。
俺は平石を無視し、バールを探すことにした。
もちろん彼がそれを許してくれるわけもなく、
「出て行けって言ってんだろうが!」
再び威嚇してくる。
さて、どうするか。
これまで俺が彼らのような有象無象にやられた振りをしてきたのはその後の処理が面倒だったからだ。お咎めなしで
だが、感染者が技術室の扉を破るのは時間の問題。
意識を失っているうちに餌になっていた、というのも可哀想ではある。
いや、むしろ恐怖や痛みを感じずにあちらの橋を渡ることができるのは幸運か?
決断しきれなかった俺はひとまずバカ正直に向かってくる平石の腹を蹴り飛ばすことにした。ドンっと尻餅をつき、持っていた鈍器が床に転がるや否や、
「痛ってぇ……秋葉のくせに、秋葉のくせにいいいいいいいいっー‼︎」
だからいちいちうるせえんだよお前。その無駄な大声が感染者を引き付けているって何度言えばわかる。だから凡人は嫌いなんだよ。
「お前が悪いんだからなっ!俺の警告を無視して抵抗してきやがって……!」
平石は木造の机の下に手を伸ばしたかと思いきや、
「おいおいおい。おーいおい」
彼の手にはチェーンソーが握られていた。
……勘弁してくれって。
「謝ったってもう許さねえ」
それを視認したときさすがの俺も恐怖を覚えた。
もちろん凶器そのものじゃない。理性を失った人間の行動に、だ。
言うまでもなく俺はこの学校を脱出するつもりだ。外界はこういう頭のネジが外れた人間が一番危険かもしれない。それを痛感させてもらえたのは良い経験になった。
もちろんこれからの愚行には怒りを通り越して呆れしかないが。
――ブウウウウウウウウウウウウウウンッッ‼︎
その轟音は辟易どころじゃない。本気で目の前の男を殺したいと思った。よくここまで後先考えずに行動できるもんだな。
「うわああああああああああああああああああああっー‼︎」
平石は稼働させたチェーンソーを大振りで迫ってくる。
さすがの俺も今回ばかりは慎重に見極めながら回避をしていく。
足場や背後、もちろん刃に細心の注意を払いながらだ。
やがて俺は黒板を背にしたところで、
「ちょこまかと逃げやがって。これで終わりだ!」
黒板は鉄でできている。その事実を知っているか否かで、運命は大きく変わっただろう。少なくとも自滅することはなかったはずだ。
俺は大振りのそれを難なく躱し、平石から距離を取る。
一方、彼の身には危険が迫っている。
勢いよく振り下ろしたチェーンソーはキックバックを起こしていた。
反動で凶器から手を離した平石は再び尻餅をついている。
この時点で俺の脳裏には自業自得がよぎっていた。
なぜなら高速で回転している刃は宙で舞っていても健在。
さらにそれが彼の頭上にあったからだ。
彼に声をかけてやる義理はないが、俺は指先で上を見るよう注意する。
「上だ平石」
「えっ?」
俺の忠告を素直に聞き入った平石は指先を視認する。
そこには忌々しいほどに轟音を響かせる凶器が彼の頭上に迫ろうとしていた。
一瞬で決断できれば躱せたそれも恐怖かパニックで頭が真っ白になっていたんだろう。
ただ、顔を真っ青にしながら見つめていた彼の結末は言うまでもなく、
「ぎぃやああああああああああああああああああああああああっ!」
絶叫とともに身体が引き裂かれていく。
「痛い、痛い、痛い、痛い、痛たああああぁぁぁぁいっ!」
あー、あー、あー、あー。
皮を裂き、肉を抉り、刃が身体に沈み込んでいく。
まさしく地獄絵図。一般人なら一生モノのトラウマだろう。
さすがの俺でも直視しずらい光景だ。
「いや…だ…しに…たく、ない……しにたく――ない」
床が深紅に染まりながらもゆっくりと俺の方に張ってくる平石。
俺は彼にやられた振りをずっと続けてきただけだ。本当にイジメられていたわけじゃない。だが、一人の人間に集団で暴力を振るうことは立派な犯罪だ。もしも俺じゃなかったらそいつは自殺していたかもしれない。少なくともお前は他人の命を奪っていたかもしれない存在だ。日頃の行いが悪かったからこういう結末になった。ただそれだけのことだ。
「たす……け…て」
「安心しろ。お前の死は無駄にしない」
平石が息を引き取るのを見届ける。
身から出た錆びとはいえ、黒板を背にした時点でこうなることは予測していた。いや、むしろ期待していなかったと言えば嘘になる。
さすがに最悪な結末を迎えることになってしまったわけだが。
両手を合わせて平石を弔ったあとは、すぐさま工具を漁り始めていた。
本命はバールだが、使えそうなものはいくつか持っていくつもりだ。
「こちら秋葉。バールの回収に成功した。オーバー」
オペレーターの指示に従う兵士。そんな形だからこそ一度は言ってみたかった台詞だ。
女は馬鹿にするだろうが、男なら分かってくれる人も多いんじゃないかと思う。
ちなみに平石の頭上にチェーンソーが落ちる寸前にマイクの電源を落としていた。
それまでの会話が聞こえていた分、何かあっただろうとは瀬奈も勘付いているだろうが、まさかチェーンソーに刻まれ息絶えたとは思いもよらないだろう。
ある意味、人が人を食う以上に残酷な音声だ。十代の女子に聞かせるわけにはいかない。
『大丈夫……なのね?』
「ああ。五体満足だ。もしかして心配してくれたのか」
『当然よ。物騒な音が響いたかと思いきや、いきなり音が落ちて……秋葉くんの声を聞くまでずっと不安だったわ』
イヤホン越しのそれは鼻声だった。どうやら本当に心配してくれていたらしい。
「心配させたところ悪いがまたお願いしてもいいか?」
『……ぐすっ。人使いが荒いわよ』
「すまん。学校を脱出したら美味いもんをご馳走してやる。今はその言葉を信じてチカラを貸してくれ」
『はいはい。それで次は何をすれば――』
――バンッ‼︎
瀬奈の声が耳に入るより早く大きな音で遮られてしまう。
すぐさま音のする方に注意を向ければ奴らがバリケードごと押し倒して扉を破壊していた。
おそらくチェーンソーの轟音で引き寄せられた感染者により相当の重量になっていたんだろう。ここに来てやはり騒音の弊害か。やはり音はかなりナーバスな問題だな。
おそらく廊下にも相当の感染者が控えていることだろう。
一難去ってまた一難。
俺はゾンビの大群と対峙することになってしまった。
泣けるぜ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます