第8話

「立てるか瀬奈」

「えっ、ええ……それよりも榎戸先生が――」

「説明はあとだ。まずは安全な場所に避難する」


 ☆


 今となってはこの世界に安全な場所など存在しないだろう。

 瀬奈を庇いながらやって来たのはOA室。

 学生用のパソコンや周辺機器がある部屋だ。


「まずはバリケードを作る。お前も手伝ってくれ」

 誰もいないことを入念に確認した俺はOA室内のカーテンを全て閉じ、前後に二つある扉を覆うようにして机やイスを置いていく。ゾンビの侵入を防ぐことは基本中の基本中だ。


「よし。それじゃ次だが――」

「少し待ってもらえるかしら。緊急事態だってことは感じ取っているけれど、頭が追いつけていないの。説明してもらえないかしら」


 瀬奈は不安を隠しきれない瞳で俺をジッと見つめてくる。

 考えてみればそうか。彼女はさっきゾンビに襲われかけたばかり。

 事態を把握できていなくても無理はない。むしろ騒ぎ立てないだけ偉いとも言える。


 だが、

 だからこそ瀬奈をこの教室に避難させた。

 


「正直に言えば俺もまだ分からないことだらけだ。だが一つだけはっきりとしていることがある」

 ごくっ、と生唾を飲み込む瀬奈。俺は目を見据えながら言う。

「人を喰い殺す化け物が誕生してしまった」


「えっ……」

「わかりやすいところで言えばゾンビ。生ける屍。元人間の怪物ってところか」

「……まさか本気で言っているわけじゃないでしょうね?」


「榎戸の変わり果てた姿を見てそう思うならこの部屋から出て実際に確認しに行けばいい。そんなことをしなくてもこの部屋にいれば生徒の悲鳴やむさぼり食われる音が嫌でも耳に入ってくるがな」

 淡々と告げる。瀬奈は十代の少女。できることならもう少し時間をかけて寄り添うように説明してやりたいところだ。だが、いかんせん時間がない。


 俺はこのあと村雨先生と霧島先輩と合流し、拠点であるこの部屋に戻ってくるという任務が待っている。時間を浪費すればするほどゾンビは沸くように現れ、救出はおろか、俺自身のリスクも跳ね上がってくる。うかうかはしていられない。


「……わかったわ。五秒だけもらえるかしら」

 瀬奈は人差し指で頭をこねたあと、深呼吸。

 すーはーと息を整えて、


「それで? 私をこの部屋に連れて来た目的は何かしら」

 ゾンビの存在を認め、話の先を促してくる。

 その姿を視認したとき、俺は最初の賭けに勝ったと心の底から思った。


 正直に言えば、瀬奈が俺を信じきれずに勝手な行動をするようであれば、見捨てざるを得なかった。

 もちろん信じろという方が無理な話だが、この絶望的な状況で何をしでかすか分からない女子高生を庇いながら生き延びることは困難を極める。


 その点、瀬奈の順応性は驚異的だ。いくら目の前で榎戸たち、屍を目撃したとはいえ、俺を問い詰めることなく、この部屋に避難させた意図を確認してくる。

 俺の目は間違っていなかった。


「探り合いをする時間はない。だから単刀直入に言う。?」

 俺の言葉に感情の読み取れない表情をする瀬奈。

 彼女にとっては踏み込まれたくないところに入られたんだ。心地よいものではないだろう。


「……どうして女子高生にができると思ったか、それだけは聞かしてもらえるかしら。助けてもらったところ悪いけれど回答次第では袂を分かつことになるわ」


 やはりそこを無視して俺に手を貸すわけにはいかないか。

 今度は俺が深呼吸する番だ。

 当然だが一度しか言うつもりはない。耳をかっぽじって聞け。


「俺がそうだろうなと思ったことを羅列する。数年前、新聞の記事一面を賑わせる事件があった。海賊版サイトの壊滅だ。原因は外部からのハック。ウイルスの侵入を許したからだと聞いている。しかも驚くことに犯人は年端もいかない少女がだったという噂があった。そしてお前の言動には変人なところが多い。飯を取ることや洗い物をフローと言ったり、技術・専門用語が頻繁に出てくる。さらになんでも計算するところや、分解や組み立てが好きだと言っていたこともあったな。パソコンは自作するものだと。それに思考がデジタル、論理的だ。生物学上という意味で本来女は論理的説明を苦手とする。男よりも直感が冴えているからだ。つまりお前は根っからの理系、エンジニア気質の女ということになる。そして一番引っかかったのは桐生エリカがどうしてお前のことを犯罪者扱いばかりしているのか。当然だが火のないところに煙は立たない。そこで俺は興味本位で桐生エリカを調べてみた。彼女は警視庁に努める父親の娘だ。何かを聞いたんだろう。そして瀬奈、お前父子家庭なんだってな。悪いと思いながら調べてしまった。母親を若くして失くし、父親は仕事で夜遅くにしか帰って来ない。きっと寂しかっただろう。お前にとってはパソコンに触れることが唯一の楽しみ、気を紛らわせることだったんじゃないか。その証拠にお前の名前で検索したら幼い頃にプログラミングコンテストで優勝した記事がいくつか残っていたよ」


 説明し終えた俺に依然として瀬奈は感情が読み取れない。

「……はぁ。それで? 私に学校用のスペックが低いパソコンで何をハックしろと?」

「瀬奈!」


「言っておくけれど秋葉くんを許したわけじゃないわよ。落ち着いたらみっちり問い詰めるつもりだから覚悟しておいて」

「了解だ。さっそくですまないがお前に頼みたいことがある」

「聞くだけ聞いてあげるわ。できるかどうかは分からないけれど」


「このあと俺はとある人間を二人救出に向かう。差し当たってはまずこの学校に設置された監視カメラの映像が見たい。できるか?」

 瀬奈は胸のポケットから棒付きキャンディを取り出し、口に入れたあと、


「余裕よ」

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