第5章 訪問客

 「雫くん、お食事です」

さっき母に声を掛けた人とは違う看護師がやって来た。真っ直ぐに伸びる綺麗な黒髪を一つに束ねた人が。きちんと手入れがされているのか、電気の光が反射する。

 トレーを両手に持って来たので僕はベッドの横から机を引っ張り出した。看護師はありがとうと言ってトレーを机に置いた。どこか見覚えがある透き通るような真っ白な肌に切れ長な目。まるでお人形のような美しい顔立ちで、一見冷たそうに見える表情はどこか儚かった。

「調子はどう?」

「ありがとうございます。だいぶ良くなったみたいです」僕は彼女を見上げて答える。

「それならよかった。もし何かあったら言ってね」そう言って看護師は部屋を後にした。こちらを振り返ることなく淡々とした足取りで。


 机の上の箸を手に取る。病院食はとても質素なイメージがあった。しかしそれはテレビの中だけの話だったようだ。野菜がたっぷり入ったスープに大根おろしの載った和風ハンバーグ、付け合わせの野菜ソテーそしてデザートに小さなケーキまでついていた。まるでレストランで出されるような食事からは湯気が立ち込める。美味しそうな匂いが僕まで届き、食欲を沸かせる。スープをひと口、口に運べば優しい味が喉を通る。スープの温かさが食道を通るのわからせる。

「美味しい」思わず溢れた。少し味が薄いが、ずっと食事を摂っていなかった僕にはとても美味しく思えた。


 食事をあっという間に全て平らげ、ぼうっとしていた。すると母を呼びに来たのと同じ看護師がトレーを下げにきた。

「あら、雫くん。全部食べたのね。ここのご飯はお口に合ったかしら?」

「はい。とても美味しかったです。病院食ってもっと美味しくないと思っていました」

あぁ。最後の一言は少し余計だったかもしれない。それでも思わず声に出してしまった。看護師はクスクスと笑う。

「やっぱりそういうイメージよね。でも意外にいけるでしょ。今まではそうでもなかったんだけどね、新しく来た栄養士さんがすごく上手で美味しいって評判なのよ。雫くんはラッキーね」

得意げに話す彼女は僕のトレーを回収した。他にもトレーが乗っているカートにそれを乗せる。

「そうなんですね。よかったです」

「そう言えば自己紹介がまだだったわね。私は斎藤。斎藤梨奈よ。気軽に梨奈って呼んでね」

ウインクしな一重で目が細かったが、その笑顔はとても可愛らしかった。大きな口が綺麗に広がり、笑いがら言った。少し焼けた肌とショートカットの茶髪が彼女を幼く見せる。一五〇センチくらいしかなさそうな小柄な体型がそれを助長する。少し小さい鼻は彼女の小さな顔にはバランスが良く、小さい子が遊ぶお人形のようだった。僕にいたかは知らないが、親戚のお姉さんみたいな人だ。とても陽気で人懐っこい性格なのか、誰とでもこんな風に話しているのが想像できた。

「じゃあ梨奈さんで」

「はーい」梨奈さんは右手を高く挙げて言った。

「聞きたいこととかあったら何でも聞いてね。いい暇つぶしとかも教えてあげるよ。ちなみに今はね、憩いの場にある野球漫画がおすすめよ」右手を振りかぶり、ピッチャーの真似をした。

「あとで読んでみます。あ、一つ聞いてもいいですか?」

「いいよ。なになに?」梨奈さんはわざとらしく耳に手をあて、僕の口元に近づく。

「さっきご飯を届けに来てくれた看護師さんの名前わかりますか?」

さすがにそこまでは把握してないか。僕もなぜわざわざ彼女のことを聞いたのか、自分でもわからない。梨奈さんは右手を顎に当てて真剣に考える。

「うーん。誰だろう?」

「黒髪で、一本に縛ってたんですけど……」

「ああ、春田さんね」両手をパンッ、と叩き、僕の言葉に被せるように言った。

「ちょっと冷たい感じの人よね。これくらいの背の」左手を梨奈さんの頭より十センチくらい高く挙げた。

「多分その人です」

「嫌だ、雫くん。春田さんに恋しちゃったの」梨奈さんはふざけたように言う。

「違いますよ。ちょっと雰囲気が何というか、独特で気になったんです」

「わからなくもないわ。表情があまりないけど、綺麗な人よね」梨奈さんはうんうんと頷きながら言った。

「そうですね」さっき料理を運んでくれた時のことを想像する。

「そろそろ行かなくちゃ。また何かあったら言ってね。恋愛相談にものるよ」梨奈さんは笑顔で去っていった。


 梨奈さんが嵐のように去っていき、部屋は余計にしんと静まる。

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