僕は恐る恐る座席を立つと、

進行方向に向かい歩きだした。



本能が先頭車両を、

操舵室そうだしつ目指めざし歩いていた。



座席のあちらこちらにこびりついた血のみ。



その浅黒あさぐろい染みの中で動かなくなった金髪の女性。



ぬめった血のみ込む肌触はだざわり。



 脳にこびりつく死臭。



その合間あいまを抜け、見えない恐怖におびえながら、

ただひたすら先頭車両を目指す。



無差別殺人テロ



過去に起こった、無差別殺人を思い出す。



それは狂った宗教団体が起こした無差別殺人。



地下鉄サリン事件。



日本で起こった痛ましき事件。



電車の中で狂った宗教団体が、

サリンと言う毒ガスをまき、

死傷者を多数出したおぞましき記憶。



他にも電車の中で、

刃物で多数の人を殺害した事件なども

あった気がする。



いずれも日本の事件だ。



日本!?



そこでなぜ自分が、

日本のそんな古い事件を知っているのか

引っ掛かった。



僕は日本人なのか?



それは僕の過去を紐解ひもとわずかな手がかりだった。



いまだ僕は自分の名前さえ思い出せないでいた。



それはこれが一時的な記憶の錯乱さくらんなどではなく、

自分は記憶喪失きおくそうしつである事実をつげていた。



僕はいくつかの死体の横たわる座席を通りすぎ、

次の車両の入り口に近づいた時、

唐突とうとつに座席の下から足首をつかまれる感覚があった。



転びそうになって近場の背もたれにしがみつくと、

恐る恐る足首を見る。



そこには座席の下から小さな手がしっかりと、

僕の足首をつかんでいた。



白く小さな手。



恐怖のあまり背もたれをつかんだまま、

その場に座り込む。



座席の下からは、生気の無いにごった目が2つ、

こちらをじっと見つめていた。



 

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