緑がわたしを苦しめる

大江

第1話

 見渡す限り畑と山だ。東京のニュータウンで暮らしている僕にとって、植物の緑色と土の茶色が支配的なこの景色は新鮮に映ったが、三日も経てばすっかり飽きてまった。

 緑の季節、五月。ゴールデンウィークの休暇を利用して、僕は母方の実家に来ている。毎年この時期には親戚が集まることになっていて、僕は年の近いいとこたちと遊ぶのを楽しみにしていた。けれど、一歳年上のコウちゃんは中学受験の勉強で忙しいとのことで今年は来れないようだった。そうなるとその弟、賢吾も来ないということになる。

 家の裏手には山が迫り、その他三方には竹林や畑、まばらに人家が点在している。山間に拓かれたこの集落には、遊び相手のいない子ども向けの娯楽はなかった。


 この家には、祖母と伯父家族が住んでいる。伯父には亜矢ちゃんという高校生の娘がいる。亜矢ちゃんはよく笑う陽気な性格で、親戚一同集まったときには彼女を起点に皆笑顔になるのだった。

 このゴールデンウィークも、亜矢ちゃんはいつも通りの笑顔で僕たち家族を出迎え、おもしろおかしい話をして場を盛り上げていた。けれど、男子小学生の僕と女子高校生の亜矢ちゃんでは話も遊びも合わない。母と伯母、そして亜矢ちゃんの会話を隅で聞いていても、少し大人な話は僕にはさっぱりだった。


 唯一の暇つぶしだった携帯ゲーム機の電源を落とし、日向ぼっこでもしようと縁側へと向かったのは午後二時過ぎのことだった。縁側には、亜矢ちゃんがひとりぽっちで座っていて庭先を見つめていた。いや、庭先というよりもっと遠くを見ているようだった。集落を囲む山々の瑞々しい緑が広がる。このまぶしい景色を、亜矢ちゃんは無感動にボーっと眺めている。いつもと違う表情に少し戸惑って、声をかけてよいものかとオロオロしているうちに気づかれてしまった。

「やあやあ、何用かな?」

 少しおどけた調子で語りかけてきたその顔は、いつもの笑顔に変わっていた。

「暇だったから、日向ぼっこでもしようかなって」

 声に戸惑いが漏れ出していないだろうか。いつも通りを意識して僕も質問を投げかける。

「亜矢ちゃんも日向ぼっこ?」

「うーん、まあそんな感じかな」

 どうやら違うみたいだ。少し距離をおいて座る。しばらく沈黙が続き、遠くから鳥の鳴き声が流れ込んでくる。

「ケイくんは、こういう風景好き?」

 沈黙を破ったの亜矢ちゃんだった。

「どうだろ、きれいだとは思うけど」

 突然の問いに、なんだか曖昧な答えになってしまった。

「そっか」とつぶやいた亜矢ちゃんは、ひと呼吸おいてから言葉をつないだ。

「わたしはあんまり好きじゃないかな」

 その顔は笑っていたけれど、少しだけ影がかかって見えた。

「なんで好きじゃないの?」

 思わず聞き返す。

「なんでだろうね」

 亜矢ちゃんはそう言うとしばらく考え込んでいた。

「うまく言えないや。ただなんとなくね、この時期の鮮やかな緑を見ていると、胸の奥がざわざわするっていうか、落ち着かないんだよね。なんにも手につかなくなって。まるで若葉に気力を吸い取られてるみたい」

 最後のフレーズは冗談めかした口調だった。「なんてね」と付け足して。でも、本当にそう感じているのかもしれないと思った。声の奥に息苦しさというか疲れのようなものを感じたから。

 僕がなにも言えないでいると、亜矢ちゃんは外を見たまま言葉を重ねた。

「緑がわたしを苦しめる」

 僕にはよくわからなかった。緑が美しいとか癒されるとか、そういう感想はよく聞くけれど、苦しいなんて話は初めてだ。

「あくまで個人の感想だよ」

 僕の怪訝な表情を読み取ったのか、そう言った亜矢ちゃんは「わたしも本格的に日向ぼっこしよ」と、ごろんと横になった。これ以上この話を続ける気はないようだ。僕も倣って横になり、目を閉じる。午後の暖かい陽射しに包まれていると、ほどなく意識が薄らいで、ふわりと頭が軽くなる感覚がやってきた。眠りに落ちていく中で、僕はあの言葉を反復していた。

「緑がわたしを苦しめる」

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