謎好き少女と厄好き少年

まにゅあ

第1話 謎好き少女と厄好き少年の卒業式

 俺の名前は滝本圭吾たきもとけいご

 今日は夢にまで見た卒業式だ。

 武蔵野市立第七中学校での三年間は謎に満ちていたが、ようやくおさらばできる。

「ねえねえ、圭吾」

 このまま何も起きないでくれと祈っていたが、どうやら彼女の存在は神様でも荷が重すぎたようだ。

 栗色の髪から香る柑橘系の甘い匂いに心臓が跳ねたが、それを表に出さないように淡々とした口調で答える。

「……なんだよ」

 そんな心境を見透かしたように、隣の席で小悪魔的な笑みを浮かべる彼女の名は、鏡那京子かがみなきょうこ。彼女を一言で表すのであれば、「名探偵」だろう。

 名探偵だって? そんな子供っぽいことを言って恥ずかしくないのか――と罵る輩は少なくないだろう。なにせ、かつての俺もそうだったのだから。だが、中学三年間を彼女と共に過ごした今となっては、彼女が名探偵であることを疑う余地はない。

 仮にこの凝り固まった現代社会に名探偵という職業が許されるのであれば、彼女は間違いなく名探偵だった。

 探偵ではなく、名探偵。

 謎を鮮やかに解き明かす存在。

 時には論理すら飛び越えて、直感で真相に辿り着く存在。

 鏡那曰く、生まれたときからその類稀なる頭脳を持っていたわけではないらしい。それは当然といえば当然かもしれないが。

 名探偵の頭脳は、彼女の体質によるところが大きい。

 その体質についても今の俺は全く疑っていない。

 ――謎好き体質。

 これは、彼女が謎を好きという意味ではない。

 謎が彼女を好きなのだ。

 謎の方から彼女のもとへやって来るのだ。

 命名者は俺なわけだが、おそらく彼女の近くで一か月も過ごせば、この名を命名した俺の心境に共感してくれるだろう。

 このネーミングは正しかったのだと痛感してくれるだろう。

 そう、俺はこの三年間に何度痛い思いをしたことか。

 あるときは、屋上から降ってきた猿に巻き込まれて校舎三階の窓から転落し――草木に助けられた。

 あるときは、突然暴れだした犬に突進されて七百八十五段ある階段の上から転がり落ち――参拝客に助けられた。

 またあるときは、校舎に侵入した熊と戦い――運動神経に助けられた。

 ともかく、そういった謎を呼び込む体質によって彼女の名探偵としての頭脳は鍛え上げられたらしい。

 彼女とは別の高校に進学するため、痛烈な謎に見舞われることも二度とないことに喜びを隠せずに出席した卒業式だったが、どうやら事はそうたやすく行かないらしい。

 最後の謎が待ち構えているらしい。

 ――ねえねえ、圭吾。

 これは、彼女が謎を見つけたときの決まり文句で、俺が痛い目に合う前兆だ。

 先ほどから卒業証書の授与が始まり、クラスメイト達は名前を順に呼ばれ、舞台に上がって校長から卒業証書を受け取っている。卒業式としては珍しく、卒業生の席は決められておらず、自由席となっている。「自由、自主、自立」を重んじる校風のためらしい。そのくせ卒業証書は名前順で授与されるため、てんでパラバラに生徒が立ち上がって舞台に向かう様子はどこか滑稽に見える。

貝沢穂香かいざわほのか

 クラス担任の佐藤さとう先生の透き通った声が体育館に響く。

 次は鏡那の番だ。

「見て」

 当の本人は、何処吹く風と話を続けているが。

「佐藤先生の様子、変じゃない?」

「そうでもないだろ。多少緊張はしているみたいだけど」

 マイクの前に立つ佐藤先生はいつもより少し表情が固いように見えるが、変というほどではないだろう。大勢の前で生徒の名前を読み上げるんだ。緊張してもおかしくはない。

「さっきから何度もこっちを見て、浮かない表情をしているし」

 そう言われると、先ほどから佐藤先生は舞台に上がる貝沢さんの姿ではなく、卒業生が座るこちらの方にしきりに目をやっている。

 担任した生徒が卒業証書を受け取るのを見ずに、こちらばかり気にしているのは、確かに変と言えば変かもしれない。

「鏡那京子」

「はい!」

 打って変わって真面目な表情を浮かべると、鏡那は優雅に立ち上がって、俺の席の前をすっと横切っていく。

 腰ほどまである栗色の髪が上品になびく様子に思わず見入ってしまう。鏡那がくすりと笑みを零した気がしたが、見なかったことにする。

 心機一転、真面目に考えてみようか。謎から俺自身の身を守るためにも。

 鏡那が舞台に上がるときも、佐藤先生はこちらにちらちらと視線を向けている。貝沢さんのときだけ、という訳ではなかったらしい。その表情は物憂げで、何かを気にしているようだった。

 周囲のクラスメイトに目をやるが、特に気になる点はない。先ほどまでの俺たちと同じように、ちらほらと小声でしゃべっている生徒はいるが、その程度だ。

 まさか、そんな俺たちの態度を見咎めている?

 いや、それはないだろう。去年、一昨年と卒業式に在校生として参列したが、この程度のおしゃべりは普通にされていた。佐藤先生は新任ではないし、この学校の卒業式を何度か目にしているはずだ。

「ただいま。何か分かったかしら?」

 鏡那は、席を立つときの動きをまるで逆再生するかのように優雅に着席すると、優等生を演じるときの上品な笑みを浮かべたままで尋ねてくる。

「先生は、何かを気にしている」

「……そうだね」

 鏡那の浮かべていた上品な笑みが一瞬引き攣ったことに心の中でガッツポーズをしつつ、佐藤先生に視線を戻す。

 問題は、佐藤先生が何を気にしているのかだ。

「私はもう分かっちゃったけどね」

 意趣返しをするかのように勝ち誇った笑みを浮かべる鏡那に、対抗心が沸々と湧いてくる。

「うるさい生徒たち」

「ぶー」

「次に名前を呼ぶ生徒」

「ぶー」

「俺のイケメン顔」

「ぶたれろ?」

 可愛らしい笑みと疑問形の罵詈の組み合わせは、相手に恐怖の感情を植えつけることを身をもって知った。以後、冗談は慎むようにしよう。

 刺さるような視線に耐え切れずに顔を前に向けると、ふと佐藤先生と目が合った気がした。

 騒ぎ過ぎたか。

 今日で卒業するとはいえ、美人の佐藤先生に嫌われるのは不本意だ。卒業生の模範となるような行動を心掛けよう。

 隣からの視線が鋭さを増した気がするが、気にしない。

曽根孝弘そねたかひろ

 佐藤先生は視線だけでなく、手足までもそわそわと動かし、先ほどよりも表情がさらに重く固いものになっている。

 何か嫌なことが近づいているのか?

 それで、ますます挙動不審になっている?

「生徒の名前か?」

「ほう」

 鏡那の反応を見て確信する。

「名前の読み方が分からない生徒がいるんだ。だから、その生徒の名前が近づくにつれて、先生はそわそわと落ち着きがなくなっている」

 期待のまなざしが、みるみるうちに失望に染まっていく。

「滝本圭吾」

「はい」

 名前を呼ばれたので、立ち上がる。

「いってらっしゃい。行けば分かるよ」

 顔の横で小さく手を振る鏡那に首を傾げつつ、舞台へと向かう。

 舞台に上がる階段の手前で佐藤先生の横を通り過ぎる際に、「ごめんなさい」と小声で謝罪の言葉を口にされる。

 おいおい、一体どういうことだ。

 何が何だか分からないまま階段を上り、校長と演台を挟んで向かい合う。

 校長は、演台の隅に置いた一枚の紙と卒業証書に視線を何度か往復させると、「すまないね」と苦笑いを浮かべる。

「今はこれを受け取ってもらえるかな」

 ああ、そういうことか。

 受け取った卒業証書を見て、俺は謎の答えを知った。

 卒業証書の氏名欄には、こう書かれていた。

 滝本圭子たきもとけいこ

 卒業証書の名前が間違っていたのだ。


 卒業証書を片手に席に戻ると、鏡那が気遣うような視線を送ってくる。

「大丈夫?」

 普段からそんな態度で接してくれれば、可愛げもあるというのに。

「ああ。ちょっと面白かったし」

 鏡那はくすりと楽しそうに笑みを零す。

 佐藤先生が挙動不審だったのは、名簿にある俺の名前が間違っていることに気がついたからだろう。名前の読み上げはその場で訂正することができるが、作成済みの卒業証書はそうはいかない。式の途中で先生と目が合った気がしたのは、気のせいではなく本当に俺のことを見ていたのだ。「俺のイケメン顔」という答えは間違っていなかった。それを言ったら、鏡那は俺を罵るだろうが。

 校長が苦笑いを浮かべたのも、性別が違っていたからだろう。圭子は女性の名前だし、そこに男の俺がやってきて、校長も卒業証書の名前が間違っていることに気がついた。その場ではどうしようもなく、苦笑いを浮かべるしかなかったのだ。

「なんで分かったんだ」

 鏡那は俺よりも早く謎の真相に辿り着いていた。俺の卒業証書を見てもいないのに。

「謎が解けたのは、私が校長先生から卒業証書を受け取ったときだね。演台の隅に一枚の紙が置いてあったでしょ」

 校長が何度か見ていたあれか。

「あれは私たち卒業生の名簿一覧だった。おそらく卒業証書の名前に間違いがないか最終確認するための紙だと思う。そこで、圭吾の名前が圭子になっていることに気がついたってわけ」

「名簿一覧に目を通したのか?」

 卒業証書を受け取る時間は一瞬だったはずだ。その間に全ての卒業生の名前を確認できたとは思えない。

「見たのは、圭吾のところだけだよ」

「え?」

「だって、厄介事に巻き込まれるのは圭吾の専売特許でしょ?」

 おいおい、それは鏡那の方だろうと言いたかったが、「校歌斉唱」の声に、渋々立ち上がる。

 それはそうと、今回は痛い目に合わなかった気がする。

 そのことに安堵していると、彼女は小悪魔的な笑みを浮かべ、俺の耳元に顔を近づける。

「私が謎好き体質だとすれば、圭吾は厄好き体質だね」

 こうして、最後に精神的に痛めつけられて、俺の中学での三年間は幕を閉じた。

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謎好き少女と厄好き少年 まにゅあ @novel_no_bell

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