転生魔王のマニュアル無双

あけちともあき

第1話 プロローグは面接会場

 会社員、柘植隆作つげりゅうさくが目覚めると、周囲は一面の白い世界であった。


「入りたまえ」


 おごそかな声をかけられて、そこが扉の前であることに気付く。

 まるで面接だ、と思い、自分の姿を改める。

 着慣れたスーツ。ネクタイ、ベルト、革靴。

 少々くたびれた格好かっこうではあるが、最低限、みだしなみに問題はあるまい。


「失礼します」


 扉を開いた。

 そこに広がる空間は、隆作が想像する、社長室らしい社長室。

 ふかふか絨毯じゅうたんの床と、高級そうな机。壁には無数のファイルが詰め込まれた棚が並び、また別の壁には、いかにも高そうな絵が飾られていた。

 隆作には絵の良し悪しなど分からない。


 ふと、剥きだしの壁紙に目をやって、一瞬クラッと来た。

 そこはまるで生きているかのように、常に模様が形を変え、蠢いていたからである。


「壁は見ないほうがいい。正気を失うぞ」


 部屋の主が、机の向こうから言った。

 その姿は、眼鏡をかけた初老の男性だ。常に後光のようなものが差していて、細かな顔かたちは逆光でよく分からない。

 机の上のネームプレートには、


『魔神』


 とだけ記されていた。

 隆作は一礼し、魔神の向かいに設けられた椅子まで進んだ。


「掛けたまえ」


「はい」


 きびきびとした動きで、隆作は椅子に腰掛けた。

 背もたれには背を触れさせない。

 やや浅く座り、ピンと背筋を伸ばす。

 面接における、教科書どおりの座り方だ。


 魔神は机の上に置かれた書類を、ぱらぱらとめくる。

 眼鏡の上から、視線が隆作を射抜く。


「柘植隆作くん。年齢は四十。電気機器小売、ジェームズ電器の本部マーケティング部門主任、独身っと……」


 あれは履歴書か、と隆作は得心した。

 つまり、これは正しく面接である。

 だが、彼は疑問を感じた。

 自分は、ジェームズ電器を退職した覚えがない。


「記録を見るに……さしたる業績は上げていないようだね。むしろ、君の上司の課長が大きな成果を出し、今期最優秀社員に選ばれている」


 魔神の言葉を聞き、隆作の顔が引きつった。


「それは……表向きはそのようになっておりますが、地道な足を使ったマーケティングと、その他書類、陳列、接客マニュアルの作成を私が……」


「そんな記録はない」


 隆作のこめかみに青筋が浮いた。

 膝の上で握った拳がピクピクと痙攣する。

 隆作は気付かなかったが、彼の周囲に青白いオーラのようなものが揺らめき、空気がビリビリと振動した。

 彼は内心で、ともすれば溢れ出しそうになる激情を抑え込もうとする。


(落ち着け、落ち着け隆作。深呼吸だ。状況はよく分からんが、面接の場で感情をあらわにするなど愚の骨頂だぞ。そうだ、落ち着くためにプラモのことを考えよう。サンブリンガーの1/8VR-07モデルをそろそろ積みプラから崩さねばならん。……そうそう、あのニッパーは最高だと言う話だ。今日帰りに買いに行こう……)


 ふう、と深呼吸した。

 隆作の意思の力で、湧き上がった怒りを握りつぶす。

 この行為で、普段は胃がちくりと痛むのだが、今日はなんともなかった。

 隆作は、きっと上手くメンタルコントロールできたのだろうと、自分を納得させる。

 彼の趣味はプラモデルの作成だった。

 説明書どおりに組み上げれば、きちんと元となったモデルの形に完成する。

 これはとても気持ちの良い行為だったのだ。


 隆作の様子を見て、魔神は目を細めたようだった。

 はっきりとは輪郭が見えない彼の雰囲気が、和らぐ。


「なるほど。よく分かった。では、君が部署のトップであったとすれば、また状況は変わるのかね?」


「無論です」


 やや食い気味に隆作は言葉を発した。


「私が収集した情報と、作成したマニュアルは完璧ですから」


「ほう。随分な自信だ。……正直な話、君は候補者・・・八名のうちで、最低の成績だったのだよ。武力、知力、魔力、知覚力、技術力、生命力、そしてコミュ力。他の七名はこれに秀でていた。だから、私は自信を持って彼らを送り出したのだが……」


 何の話であろうか。

 隆作は内心で首をかしげた。

 だが、言葉の内容から察することはできる。

 自分の前に採用された者たちがおり、恐らく彼らは何かを行おうとして、失敗している。


「柘植隆作くん。君の秀でた部分はただひとつ、精神力。他はほとんどが落第ギリギリ。辛うじて知力がマシな値にあるというだけだ。これらは極秘裏に行われた魔王検定によるものだが、まさしく君は、史上最弱の候補者と言っていい」


「はあ」


 隆作の顔が引きつった。なんという、ひどい言われようだ。

 確かに隆作は、腕っ節には自信がないし、名前を書けば入れると揶揄される大学の出で、魔力と言うのは分からないが霊感はなく、感情の機微には鈍感な方だと思うし、プラモ作成だって下手の横好きだ。素組すぐみしかできない。色を塗ろうとして、無残な結果になったことがある。そして健康面では肩こりと腰痛があり、腹が出て、最近尿酸値が上がってきている。

 これは、もしや圧迫面接というものだろうか。

 こうして自尊心を破壊し、落とそうというつもりなのか。

 そう思った瞬間、隆作の腹が据わった。彼は負けず嫌いであった。


(ならば、心を折られる訳にはいかんな)


「表層的な能力とは、マンパワーによるものであります」


「ほう」


 魔神が書類から顔を上げた。

 じっと、隆作を見つめる気配がする。


「マンパワーとは、短期的には高いスペックを叩きだし、よい結果を導きだすように見えるものです。ですが、それは人間が無理をして出している結果に過ぎません。人は疲弊します。疲弊すれば必ずスペックは落ち、やがて初期に叩きだした成果など、とても達成できなくなるでしょう」


「ほほう。それはつまり、能力など不要と言うのかね?」


「最低限の能力は必要でしょう。ですが、その能力はどこで身に着けるのか。個人が先天的に持ち合わせた能力に依拠いきょすることは、愚の骨頂であると捉えます。能力が無いものも、教育によって能力を得ます。やり方を知らぬものは、マニュアルを与えればやり方を覚えます。すなわち」


 ぐっ、と隆作は身を乗り出した。


「マニュアルがあれば、常に安定して求められる成果を得ることができます。そこにマンパワーが介在する余地はありません」


 断言した。

 隆作は別に、心の底からそう思っているわけではない。

 能力的に優れた人間が、仕事に当たるに越したことはないのだ。

 だが、必ずしも仕事が出来る人間ばかりを集められるとは限らない。

 だからこそ、万人がそれなりに仕事を行えるだけのマニュアルを用意し、あらゆる状況で及第点以上の成績を叩き出す。

 それが、隆作の主義であった。

 ちなみに上手くいった試しはほとんどない。


 しかし、魔神はこの隆作の説明が気に入ったようだった。


「なるほど。それが君の力と言うわけか、柘植隆作くん。正に精神力。そして、数字には表れぬ力だ。ちなみに、マニュアル化できぬイレギュラーにはどう対応をするつもりだ?」


「ひたすらデータを集め、イレギュラーもマニュアル化します」


 無茶なことを言っているのだが、魔神はこれを聞いて大変喜んだ。


「できるのかね!? 言うなれば、相手は一騎当千の七人の勇者だ。私が選んだ七人をことごとく打ち破り、今もなお、我が陣営を苦しめ続けている。倒された七人は、誰もが君を大きく超える能力を持った者たちだ。これをも超える敵を相手に、どこまでマニュアルが通じる?」


「データを集めます。データを集め、ケーススタディを密にし、どのようなイレギュラーも、対応可能な案件へと落とし込みます……!」


「大言壮語を放つ……。だが、君のような事を口にする者はいなかった。さて、君は己の発した言葉を、やり遂げることができるのかな?」


 ぐっと、魔神から感じる圧力が増した。

 気を張っている隆作が、思わず気圧されそうになるほどだ。

 そこには、魔神が、現在抱えている案件に対し、強い危機感を覚えていることが感じられた。

 彼は、隆作の本気を見ようとしている。

 隆作が、頼るに足る存在であるのかどうか。それを示してもらいたがっている。


 やり遂げることができるか?

 隆作は自問する。

 正直に言えば、分の悪い勝負だろう。

 理想論だ。

 必ずできるとは口が裂けても言えないような、机上の空論だ。

 だが、このデータとマニュアルこそが、隆作にとっての全てだった。

 自信があるのではない。

 自分にはこれしか、できることがない。

 生まれてこの方、自分の才能など感じたことがない。

 自分に与えられた手札は、これだけなのだ。


「やり遂げて見せましょう」


 ならば、これで勝つ。


「彼我の戦力差は大きいぞ?」


「有能なスタッフで業務を円滑に回す事は大事ですが、マンパワーに頼った運営はその人員を欠いた時点で運行に不備を来します。どのような人材であれ、一定の成果を上げられる……そのためのマニュアルです」


「弱兵で文字通りの神兵を破るというのか! 良かろう」


 魔神は机の引き出しを開けると、そこから乳白色の小さな筒を取り出した。

 ハンコである。


「採用だ」


 ポン、と軽やかな音を立てて、書類に判が押された。

 その瞬間である。

 隆作の全身に力がみなぎった。

 くたびれたスーツは、鴉の濡れ羽のような輝きを持つ、漆黒の新品に。

 革靴は磨き上げられ、怪しい光沢を放つ。

 やや出ていた腹がキュッと引き締まり、日ごろのデスクワークで抱えていた持病の腰痛と肩こりが消えた。

 白髪が混じりだしていた髪は黒く染まり、豊かな毛量に。

 最後に、眼鏡が無ければディスプレイも見えなかった目が、ぐっと鮮明になった。

 そして、逆光で曖昧だった魔神の姿を、はっきりと捉えられるようになる。


 そこにいたのは、絶望と落胆に疲れきった、一人の男だった。

 何やら角が生えていて額にも目があり、肌の色が青い。


「あっ、人間じゃないーっ」


 隆作はびっくりした。

 魔神はそんな隆作の反応をスルーして立ち上がった。


「現時点を持って、君は八代目黒瞳王こくどうおうルーザックとなる。闇を見通す目を持った、魔族たちを統べる王だ」


 魔神の言葉に合わせて、隆作……いや、ルーザックの脳裏に必要な情報が流れ込んでくる。

 闇と光が争う世界ディオコスモ。

 光の神が召喚した七名の勇者の圧倒的強さ。

 破れる魔族。

 倒され続ける魔王。

 七名の勇者が七つの国家を築き、七王を名乗る……。


 一体どういうことだ、自分はファンタジーはよく分からないぞ、とルーザックが混乱しているところに、魔神は手を差し出した。


「魔王ルーザック。魔族を救ってくれ。君の力だけが、最後の希望なのだ」


 君の力だけが。

 魔法の言葉が、ルーザックの心拍を跳ね上げた。

 無意識のうちに、立ち上がっている。

 気付けば、差し出された手を握っていた。


「拝命いたします。必ずや、魔族を導き、わが社の業績を右肩上がりで回復させてみせましょう」


「頼むぞ、ルーザック……!」


「お任せ下さい」


(俺が責任者。俺だけが頼り。俺が最後の希望……!)


「最後に、君に二つの贈り物をしよう。一つは、黒瞳王に与える武器。済まないが、これが最後の一本だ。余り物の魔剣になる。特に能力はなく、とても丈夫なだけだ」


「ありがとうございます。余り物には福があると言います。……えっ、本物の剣なんですかこれ」


「そして、君が望む能力をひとつ。敵である七王と戦うための力となるものだ。慎重に考えたまえ」


 魔剣が本物の刃物であることを確認したが、ルーザックの質問には答えてくれなかったばかりか新しいプレゼントがあると畳み掛けてくる。

 ちょっと気が動転したルーザック。

 思わず脳裏に浮かべたのは、家に置いてきたプラモデルのことであった。


「では、いつでも組み立てるためのプラモを取り寄せる能力を」


「良かろう。君の事だ。こんな力にも、何か私が思いもよらぬ使い方があるのだろうな」


 体に熱が宿った。

 魔剣とともに、新たな力を得た感覚がある。

 そこで、ハッと我に返った。

 プラモを取り寄せる能力ってなんだ。

 そんなもの、どう使うんだ。


「ちょっと待ってください、今のなしで」


「健闘を祈る!!」


 聞いちゃいない。

 やがてルーザックの周囲が暗闇に転じた。

 足場が消え、どこかへと飛んでいく感覚を覚える。


 かくして、魔族が滅亡の危機に瀕した、異世界ディオコスモに。

 最後にして、最弱の魔王が降り立つのである。


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