第89話 リネの記憶

 有栖川陽奈ひなは目を覚ますと、自分がどこにいてなにがあったのか分からずボーッとする。

 魔物を一体浄化して、有栖川本社ビルに魔物が発生したところまでを思い出すとゾワッと全身が粟立つ。


「いやぁぁー!」


 陽奈の悲鳴を聞きつけたリネは「大丈夫!?」と仕切りのカーテンを開ける。体育座りのように体を丸くして震える陽奈を見て「しっかり!」と声を掛ける。しかしそんなリネの声も届かないほどに混乱していた。


「大丈夫、大丈夫だから……」


 陽奈を抱きしめて、耳元で大丈夫だと囁きながら頭を撫でてやる。すると少しずつ体の震えが収まり陽奈の瞳に光が戻る。


「……り、ね……さん?」

「よかった、戻って来れたね。もう大丈夫、ここには怖いものはなにもないから」

「リネさん……」


 安堵した陽奈はリネの胸に顔を埋めて泣き出す。

 リネはかえでから事のあらましを聞いていたが、ここまで酷く恐怖を植え付けられているとは思いもしなかった。

 ギュネイブは確かになるべく遭いたくない魔物として名が挙がる常連の一つだが、ここまで怖がる魔法少女は記憶に無かった。


「……ぐすっ。私……どうしてここに?」

「姫嶋さんが運んできてくれたのよ」

「姫嶋……かえでさん?」

「そう。知ってる?」

「はい……助けられたのを、覚えてます」

「そう。あの子やっぱりすごいのね」

「あれでまだ5キロメートルエリア担当だなんて、信じられません……」

「あっという間に高位ハイランクになっちゃうのかもね」

「彼女はいったい、何者なんですか?」

「さぁ。ただ、強い器を持ってることは間違いないわ……」


 リネはかえでが初めてここに来た時のことを思い出した――。


*   *   *


「失礼します」

「あら、的場さん? どうし――」


 珍しい人が来たと思ったら、重傷の魔法少女を抱えているのを見てリネは血相を変えて立ち上がった。


「こっちへ!」


 医務室の奥にある処置室へ入ると、診察台に患者を乗せてもらう。


「なにがあったの?」

「ワュノードに貫かれたようです」

「運悪く遭っちゃったのね……」


 ワュノードはランクBの中でも上位の強力な魔物であり、特殊型の中でも厄介な寄生型のため遭遇してしまう。5キロメートルエリア以下の、特に新人がする原因の多くはワュノードを含めた特殊型とのエリア外での遭遇である。


「魔力体組織を修復……体液補充……」


 魔法による処置と外科的処置のハイブリッド治療という器用な術式を展開する。


「さすが、元・高位ハイランク魔法少女ですね」

「……ふふ、昔のことよ」


 ブ○ック・○ャックとまではいかないまでも、見事な手際であっという間に止血すると傷口を塞いでいく。


「……ふぅ、これでなんとか大丈夫よ」

「ありがとうございます」

「ところで、神楽さんは?」

「今回の件を報告しに行ってます」

「そう。……もうどのくらいになる?」

「一年と3ヶ月ほどです」

「月日が経つのはあっという間ね。でも、いつまでもこのままってわけには行かないでしょう?」

「そうですね……。私はともかく、神楽は元来、我慢できる性格ではないので」

「そうよね……。私が力になってあげられたら良かったんだけど……」

「とんでもない、リネさんには大変お世話になってます。これは私が未熟だったせいです」

「あなたもあなたで、そんなに責任を感じる必要は無いのよ。あれは事故だったんだから」


 一年と3ヶ月ほど前のことを、リネは鮮明に覚えていた。まさか100キロメートルエリア担当の二人がこんなことになるとは、天界でも予想できなかっただろう。


「――では、そろそろ」

「お疲れさま。神楽さんによろしくね」

「はい」


 的場奏雨が医務室を出てから、リネはかえでの傷口にそっと指を這わせるとピクッと反応する。完治にはまだ時間が掛かりそうだ。

 あと10分遅かったら助からなかったかも知れない。ワュノードは10キロメートルエリア担当でも楽な相手ではない。tre'sトレズだからこそ間に合ったのだ。


運が良いのね」


 そう呟いて、リネは残りの雑務に戻って行った。

 

 ――その直後、姫嶋かえでの体に異変が起きたことをリネは知らない。

 かえでの全身が青く光り魔力が異常に高まっていくと、リネが治療した部分が見る見る間に完治してしまう。全身の細かい傷なども消えて何事もなかったように綺麗な体になった。


 その数時間後、すっかり治ったかえでを見て、若さをうらやみながら医務室のベッドにかえでを移したリネはのちに目を覚ましたかえで――楓人と初対面するのである。



To be continued→

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