第60話 浮つく気持ち

「では、詳しく報告してくれ」


 翌日、出社してすぐに会議室に呼び出された。もちろん有栖川の件についてだ。


「有栖川さんからのお話をそのままお伝えします。まず塩谷さんが先方に送ったプロトタイプに対して内容が雑であるとのクレームを頂きました」

「なんだと!?」


 真っ先に反応したのはもちろん塩谷さんだ。プロジェクトがいきなり暗礁に乗り上げ、しかも解決のために指名されたのが後輩というだけで心中穏やかではない。そこへ仕事が雑だと言われれば当然こうなる。


「てめぇこの野郎、俺の仕事に文句あるってのか、ああっ!?」

「塩谷、今は話を聞きなさい」


 課長の早山がなだめると、渋々引っ込んだ。

 だが俺には分かる。このあとの未来が容易に想像できる。正直この話だけはしたくないが……彩希との約束があるし仕方ない。


「それと、プロジェクトを進めるには条件があると」

「なんだね? その条件というのは」

「……担当替えです」

「なんだとっ!?」

「……有栖川さんは担当替えについて指名したかね?」

「はい。……私にと」

「……っ!!」


 パイプ椅子を蹴り飛ばして真っ直ぐ俺のところへと早足でやって来る塩谷さんは、怒りに震える拳を振り上げた。


「塩谷!!」


 課長が鋭く叫ぶとギリギリのところで拳が止まる。


〈マスター、危険を感知しました。対応しますか?〉

〈今はいい〉

〈分かりました〉


 あまりの出来事にメイプルが反応してしまった。やろうと思えば防御できるし、なんなら反撃だってできる。だがそれは使っていい力じゃない。


「樋山くん。君に担当替えをお願いしてきた意図は分かるかね?」

「まず、当社が開発した個人情報管理システムを有栖川HDホールディングスでも採用していただいたようで、バグや不具合など少なく安定していて完成度が高いという評価を頂きました。先方が仰るには、その技術力を見込んでの提案だった……ということでした」

「なるほど、つまり樋山の腕を買ったわけか。……私としても今回の提案は不思議だったんだよ。正直、我が社は有栖川から仕事を受けるような会社じゃない。なのに突然どうして話が舞い込んだのか……。そうか、君がコネクションの役割を果たしてくれたというわけか」

「いえ、そんな。……私はただ自分の仕事をしただけです」

「それでいいんだよ。このプロジェクト、君に任せていいかな?」

「はい! 僭越せんえつながら担当させていただきます!」

「よし。塩谷は別の仕事をしてもらう。いいな?」

「……はい」


*   *   *


「ふぅー……」


 自分の席に座って深いため息をつく。本当に殺されるかと思った……。


「先輩、大丈夫ですか……?」

「ああ……なんとかな」

「殴られたんですか?」

「いや、ギリギリのところで課長が止めてくれた」

「課長が?」

「んで、俺が有栖川HDホールディングスのプロジェクト担当になった」

「すごいじゃないですか! おめでとうございます!」

「ありがとう。……なんて素直に喜んでもいられないんだよなぁ」

「どうしてですか?」

「久しぶりにデスマが確定したからだよ」

「でも、最近の雰囲気だとデスマにならないんじゃないですか?」

「甘い。甘いよ新島。はちみつたっぷりのパンケーキにあんこを乗せて砂糖をたっぷりまぶしたくらい甘い」

「うわぁ……。それは甘そうですね」

「……でも課長の感じが変わったのは確かだな」

「え?」

「あの人、課長になってからは仕事をしなくなったしパワハラにセクハラしまくってたのに、殴りかかろうとした塩谷さんを止めて俺にプロジェクト任せてくれたし、背中を押してくれるんだよ。なんかまるで昔のデキる時代に戻ったような感じだ」

「もしかして、この頃業務体制が改善されたのも課長のおかげなんですかね?」

「それは分からないけど……この調子でいてくれるなら有り難いな」


 話していると胸の内ポケットが振動する。


「悪い、電話だ」

「じゃあ私、仕事戻りますね」

「ああ」


 ――は魔法少女用だな。

 席を離れて休憩所へ移動する。画面を見ると東山煌梨きらりからだった。


「はい、もしもし」

〈かえでさん? 今大丈夫かしら?〉

「大丈夫です」


 スマホのほうも天界特製で、電話は全てボイスチェンジャーにより姫嶋かえでになる。おかげで変身することなく気軽に電話ができる。


〈急で悪いんだけど、今夜Kスタジオに来れない?〉

「Kスタジオ?」


 もう一つのスマホで検索するとわりと近いところにあった。仕事が終わってから行けるな。

 ――と、忘れるところだった。ゆかりに連絡しないとな。


「行けると思います」

〈そう? なら良かったわ。じゃあ今夜8時にスタジオで会いましょう〉

「分かりました」


 今夜8時か。念の為に保険として曖昧な返事をしておいたが……。

 通話を終えると、紫に時間が決まったことをLINEで連絡する。と、すぐに返事が来た。


「少し遅れるかも……か」


 紫といえば、昨日は驚いたな――


*   *   *


「なんだって……?」

「つまり、有栖川は私の親戚ということになります」

「そうだったのか……それで偽名を?」

「はい。あまり関係は良くないので」

「どうして?」

廷々ていで家はいわゆる旧家きゅうかというものなんです。しかしここ数十年は衰退の一途を辿るのみで、没落貴族のようなものです」

「まさか……」

「はい。お察しの通り、政略結婚のような形で伯祖母おおおば様の姉は有栖川に嫁ぎました。当時はまだそこそこ名が通ってましたが、今では形だけです。廷々家は有栖川の隷属れいぞくに等しい」

「でも、彩希はいい人そうだったけど」

「恐らく、私の正体を知らないからでしょう。薄々勘づいてるようでしたけど」

「うーん……」

「このことは内密にお願いしますね」

「ああ、分かったよ」


*   *   *


「まさか、有栖川が紫の身内だったとはな……」


 紫に「了解」と返事してスマホを仕舞う。

 休憩所に来たついでに自販機に硬貨をませて缶コーヒーのボタンを押す。

 今までは何の気なしにやってたのに、本部のショップのことを考えると130のか……という感覚におちいる。


「……買い溜めするか」


 魔法少女としてスキルアップもしたし、コア回収で稼げることも分かった。今度はクイックドロウの練習がてら魔物狩りでもするか。


「あ、その前に技術班か」


 魔力のみちを整理するためにシミュレーター作ってもらわないとな。


「今のうちに連絡しとくか」


 周りに人がいないことを確認してから「ハロー、メイプル」と小声で呼び掛ける。


〈ご用ですか? 先ほどの危険についてでしょうか?〉

「いや、そうじゃない。あれは一応解決したよ」

〈そうですか? またなにかあれば仰ってくださいね〉

「ありがとう。藍音に連絡取れないかな?」

〈お待ち下さい。……今は通話できる状況にないようです。用件をお伝えしましょうか?〉

「そうだな。じゃあ、魔力の路を整理したいから、シミュレーターの準備をしておいてもらうように言っておいてくれ」

〈分かりました。お伝えしておきます〉

「ありがとう」


 通信を終えるとコーヒーを飲んで欠伸けんしんする。


「さて、……と。約束の時間まで仕事しますか!」


 大人気アイドルと待ち合わせするという、誰が聞いても冗談にしか思えない現実。

 誰にも言えない優越感に浸るという経験したことのない快感と高揚感。さらに彩希のプロジェクトを担当するという幸運に、気持ちが浮ついているのが自分でも分かった。


To be continued→

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