三 閲覧

 普通なら、それじゃあ仕方ないな…と、ここで諦めてしまうものだろう……しかし、この奇書と〝旧支配者〟という存在に対して言いようのない魅力を感じていた私は、司書の資格を取ると大学卒業後に付属図書館の臨時職員として就職し、やがて正規の職員に昇格すると、ついに閲覧禁止の稀少本書庫へもアクセスできる立場を手に入れたのである。


 そして、先達のエイモス・タトルとは違って正攻法で…といっても他の職員には知られないようにこっそりと、私は念願の『ネクロノミコン』をじっくり熟読するに至った。


 いや、『ネクロノミコン』だけではない。他にも『ルルイエ異本』や、ポール・タトルの寄贈したエイモスの蔵書も見たい放題だった。


 もちろん、最初の内は妄想に取り憑かれた者達の奇妙な思想体系として見ていたのであるが、そうして数々の禁断の書物を読み進める内に、いつしか私も〝旧支配者〟や、彼らの眷属たる古い種族、異形の生物達の実在を信じるようになっていった。


 中でも妙に心惹かれたのが、やはり最初に知ったからなのか旧支配者〝ハスター〟と、その眷属だといわれる星間宇宙に棲まう有翼生物〝バイアクヘー〟あるいは〝ビヤーキー〟と発音される者達である。


 これもエイモスの蔵書から得た知識なのだが、〝バイアクヘー〟は体長が2.3mほどの蟻のような姿をしており、だが皮膚と目は人間に似て、耳と口は爬虫類、触角はなく、肩と尻の付根に鋭い鉤爪のある脚が左右それぞれ2本ずつ生えているらしい。


 また、尻には磁気を操る器官〝フーン〟があり、飛行にはこれを使って、蝙蝠のような翼は方向転換のためだけのもののようだ。


 その飛行速度は大気圏内で時速70km、気圧のない宇宙空間では光速の10分の1のスピードが出せる。


 さらには〝カイム〟という空間を作り出すと、その空間内限定で光速の400倍程度の超高速飛行が可能のようであるが、それをやると激しい空腹に見舞われるため、そう簡単にはできないらしい。


 また、その外見とは裏腹に高い知能を持ち、仲間同士では独自の言語を用いるが人語も理解できるようだ。


 そのためか人間に懐くこともあるみたいで、古くはかのアーサー王の円卓の騎士の一人、ダゴニット卿がフランスを訪れた折、バイアクヘーを駆って空を舞うトリスタン卿と出会い、彼から与えられたバイアクヘーを〝翼ある貴婦人〟と名付けて可愛いがったという伝承もある。


 その伝承でも語られる通り、バイアクヘーは人間を乗せて飛行してくれることもあり、魂だけを連れて宇宙空間へ行くことも可能なようだ。


 この生物のことを知った私の脳裏には、ある素晴らしいアイデアが自然と浮かんだ。


 当時、ちょうど付き合い始めていた恋人のフランソワは生物学者だったので、彼女を喜ばせるために、この世にも珍しい地球外生命体を誕生日にプレゼントしようという企てだ。


 バイアクヘーを呼び寄せる方法は、『ネクロノミコン』やエイモスの蔵書からすでにわかっていたのだが、問題はその召喚の儀式を行うための場所だ。


 召喚の場所はどこでもいいというわけではない。やはり、それ相応に準備された、ハスターと所縁ゆかりのある場所でなければならない。


 まず一番に挙げられるのは、アイルズベリィ街道沿いにかつて存在した、エイモス・タトルがハスターの〝安息所〟として邸宅の地下に掘ったトンネルだ。


 しかし、ここは前述したように木っ端微塵に破壊され、今や跡形もなくなっている状況なので、最早、再利用することはかなわない。


 これもまた我が母校の人間が絡んでいて驚いたのだが、文学部のアルバート・N・ウィルマースという教授が残した資料によると、バーモンド州の山奥に〝ミ=ゴ〟なるバイアクヘーに似た昆虫型の生物が密かに棲息しており、こいつもハスターの眷属とする説があるようだ。


 だが、期待を抱いて他の資料も当たってみたところ、どうやらミ=ゴの名で呼ばれるこの〝ユゴス星人〟は、また別の旧支配者〝ニャルラトホテプ〟と〝シュブ・ニグラス〟の信奉者であるらしく、旧支配者同士は互いに敵対する傾向にあるため、この山もあまり適した場所とはいえない。


 近場では、同州内エセックス郡のマニューゼット川の河口にあるインスマスという港町も旧支配者には縁の深い土地であるが、こちらはさらに悪いことにもハスターの宿敵〝クトゥルフ〟に奉仕するカルト教団の巣窟であるため、むしろ選んではいけない立地の代表といえる。


 となると、最後に残る選択肢はやはりアーカムから近い距離にある、この旧ダンウィッチ村ということにある。


 なぜならば、この村に住んでいた豪農ウィルバー・ウエイトリーこそが、アーミテッジ図書館長の代に『ネクロノミコン』を盗み出そうとし、番犬に噛み殺された人物だからだ。


 嘘か真か、このウィルバーと異形の姿をした彼の双子の弟は、ハスターの父親でもあるより高次の旧支配者、存在ではなく〝空虚〟と表現される一にして全なる古い神〝ヨク=ソトース〟と、人間の女性が交接して産まれた混血児であり、その村のラウンド山の頂に残る〝センティネル丘の祭壇〟と呼ばれる環状列石の遺跡は、そのヨグ=ソトースを崇めるために太古の昔より使われてきたものだというのである。


 父親の旧支配者に関りがあるとなれば、息子のハスターとも相性はよいであろう。


 それにここはアイルズベリィ街道を西のミスカトニック川上流へ遡った場所でもあり、件の旧タトル屋敷とは微妙な位置関係にあるともいえる。


 以上のことから、私はこのダンウィッチ村の〝センティネル丘の祭壇〟において、バイアクヘーを招く儀式を執り行うことに決めた。

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