第4話 勝ち組女子の敗北



「え?」


 昨日から一体何回言ったのかわからない戸惑いの言葉がまた零れた。

 なんなら一生分を使い切ったかもしれない。


「ええと、ごめんなさい? でも、なんとかあなたと話し合わないと、と思って。――こんなおかしなこと、一人じゃどうにもならないわ」


 そもそも想定外もなにも、普通体が入れ替わるなんて超常現象に遭遇したら、まずは身近な人間に助けを求めると思うのだ。それならば自分の行動はそれなりに理解されるはずだった。


 しかし目の前の彼女はそれが不満らしい。


「だから、昨日言ったじゃない! 頭の悪い人ね! 私が深山遥で、アンタは鈴代冬子。それがすべて。ほら、一体なにが疑問なの? ないでしょ? わかったら大人しく自分の生活圏で慎ましく暮らしてなさいよ」


 ここはアンタの居場所じゃない。

 そうまくし立てる様に言われて、遥は昨日と同じように圧倒された。

 だがここで引くわけにはいかない。


 人の話を聞いて、理解してから意見を返す。それが普通だと思っていたけど、このままだと相手の話を理解しようとしているうちに、タイミングを逃してしまうなんてことになりかねない。

 むしろ昨日がまさしくそうだった。


 故にひとまず彼女の言葉を脇に置いて、遥は自分の推論を伝えることにした。


「そんなこと言われてもわたしは深山遥だし。ならあなたが『冬子』さんでしょう? よくわからないけど、何らかの拍子にわたしたち体が入れ替わってしまったんじゃないのかな」


 それしか説明がつかないのだ。

 突然見知らぬ姿になっているなんて。


 だから、当事者二人でまずは状況把握を。

 この認識を共通ものとして、それから誰かに助けを求めるのだ。

 それがベスト。


 だが、彼女は遥が第一段階だと思っている基本認識にすら同意してくれなかった。


「はあ? ……おっどろいた! いまさらそんなこと言ってんの? 頭の回転遅すぎない?」


 キャハハと、自分の顔をした彼女が、自分では絶対にしない笑い方をした。

 心底楽しそうに笑っていたのに、突如としてぴたりと笑いやめ、すっと姿勢を正した彼女の一瞬の変貌は遥をひやりとさせる。


 あまり近づいてはいけない人物だと第六感が警鐘を鳴らしているのが聞こえた。

 とは言え、近づかないわけにはいかない現状も理解してほしい。


「温室育ちにもほどがあるよね。ほんっとムカつく」


 明らかに敵意の滲む目に、ぎゅっと心が委縮した。

 向けられた視線の冷たさに背中に流れる汗を意識する。思わず胸の前で手を握り込んだ。


 そんな怯えた様子の遥の様子に気をよくしたのか、彼女は顎で話の続きを促した。


「で、なんだっけ。アンタの推理。入れ替わり?」

「あ、そう。そうよ! その話だった」


 慌てて遥は説明を続けた。この機を逃したら最後な気がしたのだ。

 体が入れ替わってしまったのではないかという事、そのきっかけ、戻る方法を探したいこと。誰に頼るか。頼れそうな人に心当たりはないか。

 矢継ぎ早に推測と仮定と、質問を繰り出す。


 彼女は予想に反して黙って聞いていた。

 全て話し終えるのを待ってから遥を見下ろして、くいと口の端を上げる。


 いやな予感はしていた。


「で?」

「で? ……って」


 意味を計りかねて、遥はオウム返しに聞いた。


「入れ替わってたからってどうしたの?」


 入れ替わってたら大変な事態じゃないか。

 生活とか家族とか、今まで築いてきたもの。それからそのメカニズムの研究とか。

 そんな諸々の言葉は頭の中だけで、言葉にはできなかった。


 彼女の目があまりにも重くて深くて暗かったから。

 遥の体と、彼女の心は、合わさるとまるで凍える月のような印象を抱かせる。


 何も言えない遥をじっと見ていたその瞳がふっと緩む。

 つられて遥もほっと息を吐いたが、それは油断のし過ぎというものだろう。


 猫のように弧を描いた目と、三日月形の唇が意地悪そうににやりと裂けた。


「でも残念。入れ替わりじゃないかもよ」

「……どういうこと?」


 遥は自分の体を縮めこませた。

 無意識の、身を守る仕草。

 攻撃を受けていると脳が処理したせいだった。


「そうね、例えば……指が触れた瞬間、記憶が混じっただけかも」

「記憶が混じったって、……そんな。わたしには『深山遥』の記憶しかないわ」


 無理矢理にもほどがある。と反論を試みれば、馬鹿にしたように鼻で笑われた。


「入れ替わりだって同じくらい無茶苦茶でしょ」


 彼女が顎を上げ、目が細く蔑む色を帯びた。


 確かにその通りだと遥は臍を噛む。

 どちらも荒唐無稽な話には違いない。その度合いを競う意味などなかった。


 なにより次にもたらされた彼女からの情報は遥にとって衝撃だった。


「それに、アンタは深山遥片方の記憶しかないかもしれないけど、私には両方の記憶があるもの」


 深山遥と鈴代冬子の記憶が。

 驚愕で目を見開いている遥に向かって、彼女はその証拠とばかりに遥の情報を、昨日『冬子』の話をしたように語り始めた。


「名門私立の高校二年。三組。席は窓側二列目、前から四つ目。

 誕生日は五月十七日。家族は母と父。一人っ子。本当は兄か姉がほしかった。部屋は二階、日当たりのいい角部屋。

 明るい色が好きで、友達も多い。この間駅で唐突に他校の男子から告白されて恥ずかしい思いをしたけど、実は割と日常茶飯事。

 とはいえ、告白を受け入れたことはない。恋人は欲しいけど、いまいち恋というものがピンとこない。

 部活は陸上。選手として突出したものはないけど、ガチ系じゃない部活なので楽しく続けられている。

 成績は毎回上位。どっちかというと文系の方が得意。趣味はお菓子作り。

 意外だと言われることが多いけど、実はホラー映画好き。スプラッタもいける。密かにサメ映画のコレクター」


 何一つ間違っていないと、遥だからわかること。


「どうしたの、顔色が悪いわよ?」


 わかっているだろうに、わざとらしく彼女はふふと可愛らしく笑ってみせた。


 遥は自分が『深山遥』だという証拠がどこにもないことにいまさら思い至る。

 ともすれば、自分で自分すら疑いだす。


 もしかしたら、彼女の言う通り自分は記憶を失った『鈴代冬子』自身だったりするのだろうか。

 『深山遥』だというのは思い込みだったりするのだろうか。


「ああ、そうだ。一応謝っておかないと。ごめんね? もしかしたら、私があなたの持つべき記憶を全部吸い取ってしまったのかも」


 まるで悪びれているように見えない『遥』にも意識がいかない。


 すべての基盤がひっくり返る。足元がガラガラと崩れ落ちるような浮遊感。

 視界が定まらないことで、目眩を起こしているのだと気付いた。

 どんと、後ろの壁に背中をついて支えにする。


 くねりと『遥』が体を揺らして、動揺を抑えようと地面を見ていた『冬子』の顔をのぞき込む。

 その視線を奪ってから、繊月のように弧を描いた目が心底楽しそうに笑っていた。


「記憶がないなんて、かわいそう。――だとしたら、これからの生活、とても大変かも」


 頑張ってね。


 軽薄な言葉を残して、彼女はおかしな友人と連れ立って行った娘を玄関前で心配そうに待っていた母のもとへ帰って行った。



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