Track.6 自己評価が低いほっとけないお姉さん
「大丈夫ですか」
たまたま近くにいるのはボクだったわけで。
耐性がないのに、解説を読んで具合悪くするなよと思いつつも、親切なボクはお姉さんに寄り添いながら展示室を出て、給水機がすぐ側にあるベンチへと移動する。
「すみません……私なんかのために、すみません……」
お姉さんはカップの中の水をすすりながら、気分が落ち着いたのか、話だした。
垂れ目のいかにも気弱そうな年上の女性だとは思っていたが、その通りだったらしい。
茶髪だけど……似合わない茶髪だからこそ、周りに合わせたものを身に着けているだけという、ファッションセンスが致命的に残念タイプだ。
もうちょっとガンバレよ。メイクを変えるなりさ──とか。
もういっそ、茶髪をあきらめて、似合うスタイルで勝負しようぜ──とか。
ついお節介をやきたくなるぐらいの、残念さがにじみ出ている。
「いいよ、これぐらい……それよりも倒れる寸前になるまで苦手なら、こういう場所に来ないほうがいいよ」
大方、このお姉さんがかも助記念館にいるのも、誰かの影響なのだろう。
夢寐委素乱戦記、超オモシレーと思っているボクなら興奮するところを、お姉さんは慣れないジャンルで戸惑うにわか未満。
付き添いなしで、人を選ぶジャンルに突入するのは無謀すぎる。少なくても他のお客様に迷惑をかけないように、好奇心を抑えておかないと。
「すみません……でも、夢寐委素乱闘記のこと、知りたくて……」
「ファンとして嬉しいこと言ってくれるけど、あれぐらいで気分悪くされた迷惑だよ。と、いうか、小説を読んだの?」
特別企画展のコーナーの内容は、史実だから、現実的な説明だ。医学書と大差ない。
一方、小説は幻想的で、人の精神を遠慮なく削ってくる表現を多用しているので、小説の世界観にトリップしたような気分を味わえる。登場人物たちの緊迫感、恐怖心が頭の中に流れ込んでいく感覚は、言葉にしきれないほどの興奮を与えてくれる。
想像力などの個人差はあるだろうが、正直、タッチパネルの内容は小説より怖くないとボクは思う。
「あ……あれは……怖くて途中で読むのを止めてしまって……」
あ~。つまり、耐性をつけるために、ここに来たってところか。
だけど、施設内で具合が悪くなるぐらい読むのは他の人の迷惑だよ。
こういうのは、家で静かに辞典でも眺めることから始めようぜ。加減がうまくないと自覚しているなら、一人じゃなくて気の合う友だちも用意しようよ。
今回見かけたのが慈愛に満ちたボクで本当によかったけど、過激派なら下手すりゃ刺されるところだ。
心身ともに健康な状態で、ルールを守って、楽しく聖地巡礼。具合が悪くなったら、倒れる前にちゃんと休め、である。
「怖いってわかっているのに、なんでここに?」
「実は……私、好きな人がこの本の作家さんで……少しでも彼のことを知りたくて、それで……」
夢寐委素島乱戦記の筆者である桜井英長先生って……巻末資料からすると、五十代だよな。
歳の差カップル、か。
若いボクにはよくわからない組み合わせだが、人の恋路を邪魔するような発言は野暮だな。そっとしておこう。
「だけど、彼の作品傾向は、難しいものや、怖いものばかりだから……」
ボクはあいにく夢寐委素島乱戦記しか読んでいないが、兄ちゃんも桜井先生の作品は精神的にくるものが多いから、他のシリーズはもう少し大人になってから読んだほうがいいよ、とアドバイスをもらっている。
小説の内容を理解するにも、ある程度の知識と感性がないといけないからな。
共感してもいいが、同調しすぎるのも悪いという、悪書手前の作品もあるし。
悪影響を受けそうなところをスルーできる、そんな良識をもって読まなきゃいけないことだってあるのさ。
現役中学生・睦月唯愛、心のポエム。
「理解しようとする努力は認めるけど……お姉さんの場合、然るべき方向に努力するのが肝心だと思うよ」
似合っていないその茶髪も込みで。
努力は裏切らないという名言はあるけど、キャッチフレーズ的に短くしただけなので、全くのウソではないが、圧倒的に言葉が不足している。
然るべき場所、然るべき方向、然るべき準備。
素質と才能。
大自然様に人間は逆らえないという事実。
状況や現実を受け止めることも大事だ。
「夢寐委素島乱戦記のファンであるボクの意見としては、背伸びして、無理して読まれるほうが何か嫌だよ」
人を選ぶジャンルだからこそ、なおさらである。
「ボクは好きだから読むんだ。最後まで知りたいから、全部目を通して……もっと中身を堪能したいから何度も読むんだ。残酷な描写があろうが……むしろそこが気に入っているから」
歪な趣味だと思うが、みんな心に鬼を飼っている。
その鬼を満足させるために、ボクは虚構の娯楽を愛する。
陳腐で矮小、だからなんだ。
オブラートに包んだ『死』だって、バカにされてもいいぐらい、ホラーやサスペンスが好きだ。
悪趣味上等。
あまりの描写に具合が悪くなってから本番だと思う方もいらっしゃるかもしれないが、それならそれで、他人に迷惑をかけない方法で楽しんでください、お願いします。
「一緒の趣味を持つ、考えを持つだけが、愛情の示し方じゃないよ」
お姉さんにキョトンとした顔をされた。
その発想はなかったと本気で思っている顔だ。
「そうかしら……」
当惑の眉をひそめる。
だけど、その目は希望を求めている。
こんな私でも幸せになっていいのかって訴えているぐらい……震えていた。
このお姉さん、どれだけいままで不遇だったのか。想像したら、思わず同情してしまった。
もしかしたら、その自分を卑下する癖とにじみ出る残念さは、不幸な生い立ちとやらから発せられるものなのか。
それなら、追い打ち、同調するのはバッドだ。
「そうだよ。完璧に理解しなくてもいいよ。ただ、認めてほしい。こういう趣味もあるって。お互いを尊重することこそが、美しい愛なんじゃないかな」
自分でも臭いセリフだと思うが、こういう思いやりが大事だとボクは信じている。
批判すること、拒否することは簡単だけど、先に進めない。
だけど、無理に合わせられても、お互い辛くなるだけだ。
交じり合わないところがあってもいいじゃないか、あなたとボクは違う存在なのだから。
「お姉さんはお姉さんの良さがあるよ。それが何なのか……出会ったばかりのボクじゃわからない。だけど、彼氏先生に聞いてみたらいいんじゃないかな。で、その良さを伸ばせるように頑張ってみるのが、とてもいいことだと思うよ」
似合わない髪の色だから気づきにくかったが、よくよく見ればこのお姉さん、顔の造形はもちろん、体格も一般的に好まれる部類だ。
見た目、大変よろしい。
「ありがとう……なんか、スッキリしたわ」
はにかむように、頬壁が見える笑顔は、今までの残念さやネガティブな態度を一変させるぐらい強烈な印象を与えてくる。
ああ……このギャップ……いいわ~。
ボクは少し幸せになった。
だから、少しお姉さんとの別れがおしくなったのだろう。
「ボクの名は睦月唯愛。お姉さんは?」
自ら名乗って、名前を催促。
相談料として、お姉さんの名前を教えてください、お願いします!
「私の名前は……
こうして、ボクは呂子お姉さんと知り合いになれたとさ。めでたしめでたし♪
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