Track.3  たつなみペンションの典雅なオーナー代理

 ──それから数分後、たつなみペンションを目前にして、ボクは驚愕した。

「……マジ?」

 事前にホームページで確認した情報によると、たつなみペンションは黒と白が調和した大正ロマンあふれる落ち着いた屋敷だった。

 華族であったという藤波家が所有していた洋館の別荘を買い取り、改装したもので、部屋数の都合上、数人しか泊まれない大変レアな宿泊施設だというのも載っていた。

 ただし、断崖絶壁のスリル満点な吊り橋を渡らないといけないとまであった。

 旅の思い出としてはおもしろいものになるとは思っていた。

「……数人しか泊まれないじゃなくて、数人しかこの橋を渡る勇気がないんじゃ……」

 断崖絶壁という、うたい文句は合っている。

 ただし、岩に砕け散る荒波を見ながらの吊り橋渡りだったとまでは予想していなかった。

 しかも、木製。

 鉄筋じゃないの?

 思ったよりも三倍恐怖心を刺激してきた。

「まぁ、そういうこともあるよ、唯愛。それに、見た目がアレなだけで、中身は違うということもあるよ」

 愛翔兄ちゃんは衝撃を軽く受け流して、軽やかなステップで吊り橋を渡る。

 慣れていらっしゃる。

 そういえば、兄ちゃんはお宝探偵として、仕事関係で秘境に潜り込むときもあると聞いたことがある。

 人並み以上のサバイバル能力を所持しているようだ。

「あう。唯愛、いっきまぁ~す」

 ボクは意を決して吊り橋に一歩足を踏み入れる。

 グラグラする。

 ユラユラもする。

 波風で吊り橋全体が揺らぐたびに、心身ともにゾクゾク。

 足場が不安定なのって、こんなに怖いことだったのか……。

 極力下を見ないように、何とか渡り切った。

「はう……これから五日間、この橋と付き合わないといけないの……」

 渡るたびに正気度減らされそうな吊り橋。ただし、個人差はでかい。

 現に顔が青いボクと違い、愛翔兄ちゃんはいつものことですと平気な顔。

「これはこれは……大正ロマンあふれる、いいペンションだねぇ」

 しかも、この余裕。

 怖い橋のことなど頭の片隅にも残っていないようで。ペンションを率直にほめる。

「そうだね……」

 兄ちゃんの言う通り、たつなみペンションは雄大にして優美な屋敷だ。

 こちらも、思ったよりも三倍豪華。

 ウェブ上に掲載されている画像は、どうやらアングルがいまいちだったようで、屋敷の素晴らしい細工がぼやけていた。

 アールデコ調の様式を取り入れた外見に、綱入りガラスはレトロな雰囲気を醸し出している。記念に何枚か写真を撮りたいぐらい、優々たる外装だった。

「じっくり眺めるにしても、荷物を部屋に置いてからにしようよ、兄ちゃん」

 玄関にいち早くたどり着いたボクは、扉を躊躇なく開けた。

 ペンションの内装も外装に負けないぐらい、白と黒をメインの色調とした、落ち着いたものだ。何本も並ぶ黒い石柱は一本いくらなのだろうか。聞くのが怖いぐらい高級感あふれている。

 風雅な豪邸。

 ボクには、エントランスホールのシャンデリアがやけにまぶしく見える。

 こんな素晴らしい場所にいるのは場違いじゃないかと、申し訳なさとめったに見られないものへの好奇心でオロオロしだすボクの顔は、かなりおもしろいものになっているだろう。

 誰もいないフロントがこんなにありがたいものだと思わなかった。

「落ち着いたかい、唯愛」

 はい、なんとか。

 ボクはフロント近くにある鏡で自分の姿を確認し、軽く身なりを整えると、プロントのベルを押す。

 チリーンという機械音とともに、

「はーい、ただいま」

 鈴を振るような声が聞こえてくる。

 胸の部分に『たつなみペンション』とでかでかと書かれたエプロンを身にまとった、お姉さんがやって来た。

 艶のあるふんわりとした暗髪をルーズサイドテールにした、清楚感とおしゃれを兼ねているようで、彼女によく似合っている。

何より、柔らかな笑顔を浮かべているので好感が持てる。気兼ねなく声をかけられそうな愛嬌がある人だ。

「お待たせしました。ようこそ、たつなみペンションへ。オーナー代理の津久井つくい美緒みおです。よろしくお願いします」

 野に咲く花のような可憐な笑顔だった。

「津久井さんですね。私は探偵の仙崎愛翔です。こちらは従兄弟の睦月唯愛。電話で話した通り、八重柏さんと生前より……」

 オーナーだった八重柏さんが急死して、まだ数週間。

 親族関係や仕事関係のごたごたがまだ収まっていないようだが、混乱は前々から計画していた夢寐委素町島観光協会主催の夏のイベントを中止するまでもなく、ペンションの経営も最低限なら続けられているらしい。

 ボクは津久井さんと愛翔兄ちゃんの大人な会話を適当に聞き流し、必要そうなら相づちを打つ。

「では、こちらの二〇二にお泊りください。最終的な打ち合わせは、もう一人のゲストが来た時ということで」

 津久井さんはボクたちを部屋に案内すると、二〇二と数字とこのペンションのマスコットキャラクターであろう人型のイラストが描かれた、カードキーを三枚手渡し、去っていく。

 その後ろ姿は華奢ではあるが、背筋がしゃんと伸ばされていて、美しく、つややかなロングヘアによく似合っていた。

 抱き着きたい後ろ姿って、本当にあったんだ……。

「はぁ~」

 今日は立て続けに麗しいきれいなお姉さんと出会えて、眼福、眼福。

 同性でも、美人は心のオアシス、目の保養なのである。

 思わず、幸せなため息が出ちゃうよ。

「しかも、いい部屋だし。天国かよ」

 部屋に入って、ボクはさらに感嘆の声を上げる。

 全体的に白と黒のメリハリのあるアンティーク調の部屋で、天井に釣り下がっているシャンデリアの灯数こそ少なめだが、龍をかたどった大きめのメダリオンと調和がとれていて、実に優美である。

 ベッドはふかふかしていて、このままゴロゴロしたくなるぐらいの柔らかさ。

 耳をすませば海の音が聞こえてくるし、いやし空間としてはこれ以上ないほど素晴らしいものだろう。

 唯一の欠点はあの吊り橋ぐらいだ。

 強い風が吹いたのか、ブランブランと揺れているのが、窓から見えた。

「さて、これからどうする、唯愛。私はこれから打ち合わせが控えているから、待機するけど、唯愛は自由に遊びに行っていいんだよ」

 そう言われると、外に遊びに行かないのはもったいない気がしてきた。

 吊り橋は怖いが、それを引いてもおつりが来そうだ。

 いい天気に程よい風がボクを待っている。

「とりあえず、軽く散歩しようかな」

 吊り橋の都合上、日が沈む前には戻ってくる気満々で。

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