Track.1  メイン視点『睦月唯愛』起動確認シマシタ

 ──カンカン照りの日差しがジリジリと肌を焦がしていく。

 猛烈な暑さにうなだれる中学生というお題でスケッチをしなければならないのなら、今なら正面に鏡を持ってくれば、簡単に描けるのではないだろうか。

 そんな誰の得になるのかわからないものを描くよりも、涼しい風に満たされた場所に行くべきだと、少女、睦月むつき唯愛ゆいなは家を出た。

 パタパタとツインテールの髪をなびかせ、人前でも恥ずかしくないよう、部屋から出る前から着ているキャミソールの上に軽く透かし編みカーディガンを羽織り、七分丈のレギパンをはいた脚を動かし、コンクリートジャングルを通り抜ける。

 目指すは、歳の離れた従兄弟が経営する『仙崎探偵事務所』。

 都甲複合ビルの三階フロアにある、探偵事務所である。

 探偵の仕事がない時は、おもちゃの修理を受けているらしく、地域住民、とくに子どもたちとの関係は良好らしい。

 少年少女のたまり場とまでいかないが、人生相談に来る子は結構多いそうだ。

 そういうところもあって、唯愛も気楽に涼みに行ける。

 仕事の邪魔にならないように、タイミングを見計らうことはあるが、こういう時は、従兄弟という血縁関係を最大限に利用して、お手伝いのため、事務所の掃除をしに来たと言い張る。

 そうすると、だいたい依頼者も納得してくれる。そして、唯愛は給湯室で茶をすすればいいだけだ。給湯室でも、自分の部屋にいるよりは圧倒的に涼しい。

 それに、従兄弟の趣味なのか、仙崎探偵事務所には数冊の本も常備されている。

 本のジャンルは、探偵の出てくるミステリーものが多いが、ライトノベルや歴史小説もある。

 その中で今唯愛が愛読しているのは、歴史小説『夢寐委素島乱戦記』だ。

 戦国時代(室町後期)、夢寐委素島を舞台にした時代小説で、島送りにされた荒くれモノたちが生き残りをかけて必死で殺しあう、いわゆるバトルロワイアルものだ。

 ちなみに、夢寐委素島の言い伝えをもとに作られているらしい。

 従兄弟のお気に入りなので、持って帰ることを禁じられている。仙崎探偵事務所で読むしかない。

 ちょうど、折り返し地点というのも、唯愛の足を探偵事務所に向けさせる大きな要因だ。

(主人公は生き残るとして……次は誰が、惨殺されるのかなぁ)

 そんな物騒なことを思い浮かべつつ、唯愛は事務所の呼び鈴を鳴らそうと手を伸ばした時だった。

 後ろから、コツコツとこちらに向かってくる足音がする。

 依頼者なのか。

 振り向くと、そこには壮年の身なりのいい男性がいた。

「こんにちは。君は探偵事務所に用のあるのかな」

 もしかして、ピンポンダッシュを疑われた?

 いや、子どもでも探偵に依頼しに来たら、依頼者だ。

 順番待ちをくらうことになるか。

「ううん。この探偵事務所は従兄弟が経営しているから、ボクはお手伝いに来たの」

 夏休み期間中の身内ボランティアだぞ。何も後ろめたいことなんて、ない!

「そうかい」

「おじさんこそ、仙崎探偵事務所に相談しに来たの?」

 ビルの管理人でもおかしくない年齢の男性だからね。

 一応、確認、確認。

 答えによっては、事務所にスムーズに案内して、従兄弟と話しているうちに夢寐委素島乱戦記を抜き取って、給湯室に持っていくつもりだ。

「ああ。そうだね……ところで、君、夏休み、とくにお盆シーズン、予定が空いていないかい。それなら、おじさんがいいところに招待するよ」

「へ?」

 中年のおっさんが、女子中学生に言い寄る光景。

 どう見ても、事案である。

「……あ、ごめん。こんな言い方じゃ、あぶないおじさんにしか思えないか。忘れてくれ」

「……」

 後、数分謝るのが遅かったら、唯愛は丁度陰になって、おっさんには見えにくくなっていたスマホで、電話をかけるところだった。

 もしもし、ポリスマンも辞さない。

 中学生でこの判断力。隠す技能は探偵助手のたしなみ。唯愛は冷静な子だった。

「あ、うん。まぁ……とりあえず、従兄弟のところに案内するね」

 唯愛は少し引きながらも、お客様を迎い入れることにする。

 応対するのは従兄弟であるし、従兄弟が目を光らせてくれた方が、唯愛の身の安全が保障されるからである。

 そうと決まったら、このおっさんは従兄弟に押し付けよう。

 唯愛は人のよさそうな顔をしながら、けっこう腹黒いことを考えていたのだ。

 だが、この腹黒さは、かわいいほう。

 これから始まろうとしている暗礁に比べれば、しょせん女子中学生の腹積もりなんか無に等しい。

 そして、彼女は後に知ることになる。このあぶないおじさんこと、八重柏やえがし和彦かずひこの依頼こそが、仙崎探偵事務所の今後を左右する運命の分岐点であったのだ。

 加速する。

 今まで止まっていた、狂気が。

 加速するのだ。

 眠らされていた、あの時の冒険の続きが。

 ──夏が、本格的に来た。






 ──睦月唯愛視点、起動確認。

 ここから、彼女の視点で話を進めていきます。

 赤染様、よろしいでしょうか。

 ……。

 ……、……。

 はい、今は唯愛の視点で固定します。では、人間たちの恐怖と絶望の体験を、ごゆるりとお楽しみください。

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