異世界ビューティークリニック

皐月綾

Karte1 美人ハーフエルフがどうして整形へ?

「はぁ……」


 俺、佐伯レンは朝っぱらから溜息をついていた。なぜかといえば仕事が暇でしょうがないからである。しかしそれは同時に幸せな溜息でもあった。

 一年前、突如この世界に飛ばされてきた俺は、いくつもの死地を乗り越え、今こうして溜息をつくだけの余裕が生まれたのだ。

 死地を乗り越えたといったが、「魔術大戦」だとか「魔王討伐作戦」的な大仰なものに巻き込まれたわけではない。ただ単に、突然の異世界で右も左もわからずてんやわんやだったのである。


 異世界転移と言えば聞こえはいい。ロマンも感じる。しかし実際その状況に置かれた俺は、これはとんでもないことだと身を持って知ったのだ。

 「転生」ならまだ良かったかもしれない。転生なら生まれる場所や身分はどうあれ親がいるのだ。親さえいればなんとかなる。生きる術を教えてくれるだろうし、安心して飯にもありつけるだろう。

 しかし「転移」はどうだ。はっきり言って最悪だ。身内もいなければ住む家もない状態で放り出されるのだ。転移先が街中ならまだ良かったが、俺が転移したのは人っ子一人いない森の中だった。周りに見える草木や果実でさえ、食えるものなのか判断しようがなかったのだ。転移早々俺は死に直面していた。


「思い出したくもない……」


 そう呟いて俺は回顧を打ち切った。それはまだいい思い出として語れるような段階にはないのだ。

 ともかく俺は今、紆余曲折あって《ウーウィック》という名の村の外れの一軒家で暮らしている。9ヶ月前、路頭に迷っていた俺のもとに通りがかりの村長が現れ、村の空き家を譲ってくれたのだ――月謝料、つまり家賃付きで……。


「それは私の責任感の表れです。」


 それが家を俺に譲る時の村長の言葉だった。


「タダで家を君に渡しては、私には君に対する義理が何も生まれない。つまり、何の罪悪感もなしに何時でも君を立ち退かせる事ができてしまうのです。そんな不安を抱えたまま住みたくないでしょう?だから私も君からきっちりお金を頂いて、その義理に応える形で君を住まわせるんですよ。勿論、吹っ掛けたりはしません。不便な場所にあるボロの空き家ですから。銀貨5枚でどうでしょう?ちょっと贅沢なご馳走一食分くらいですよ。」


 村長、クルークは聡明な男だった。細身で切れ長の瞳と肩まで伸びたブロンドの髪、村長というがなにより若い。聞いたことはないが30代前半に見える。その年で村長というだけあって優秀なのだ。家賃を取る理由についても至極真っ当である。金額も常識的――いや良心的だ。

 だが、それでも俺は難儀していた。金額など関係ない。仕事がない。俺には払えるか払えないかが問題なのだ。


 俺はこのウーウィックで美容整形外科医をしている。この世界に転移する前、現世でも俺は同じ仕事についていた。現世のクリニックでは毎日のように悩める患者たちが足を運んでいたというのに、この世界に来てからは閑古鳥である。美醜の概念はあるようだが、美容整形という概念はないらしい。

 美容整形だろうが、医師免許は持っている。当初は村の医師として働くことも考えた。が、すぐに挫折した。何故かって?それはこの世界の医学の知識が0だからだ。

 俺が転移したこの異世界、クルークが言うにはここらは《ガレオン》という地域らしいが、一帯の生態系にあるものは俺が知るそれではなかった。どの植物にどんな効能があるのか、どれとどれを調合すればどんな薬品が作れるのか。1から探し当てなきゃいけないのだ。俺は紛いなりにも医者という身分だが、博士でもなければ名医でもなかった。医学の研究を1から始めるのは荷が重すぎる。

 村人たちに聞こうとも考えたが、そんな奴が医者を名乗って誰が罹ろうとするだろう。そんなこんなで俺は村の医者になることを諦めたのだった。

 その後心機一転、他の仕事に就こうと考えた事もあった。だが、考えれば考えるほど整形で食っていくしかないという結論に至ったのだ。


 この世界に転移する際、俺は何の能力も得られなかった。これが致命的だった。

 俺が観察してきた範囲に限られるが、この世界では程度の差こそあれ、誰もが魔法を行使することができるようだった。そこら辺の農民でさえ、魔法で肉体を増強し、身一つからは想像できないほど広大な農地を管理しているし、体の傷は聖職者が治癒魔法でサクッと治してしまう。医者を諦めた最大の要因はこっちだったな。

 要するに、魔法を全く使えない俺は、どこに行っても足手まといになるしかないと悟ったのだ。残っているのは手に職がある美容整形だけだったというわけだ。幸い美容整形は魔法があるこの世界でもいけそうな気がしたのだ。

 魔法は科学よりもずっと万能に見えた。村に使い手はいないが「変身魔法」の類もあるらしい。だが、それでも俺は美容整形なら需要があると踏んだ。それは魔法の基本的な性質が故だ。

 魔法は大気や地中に流れるマナを自らの魔力でコントロールすることで発現する。つまり、魔法を行使している最中に魔法から意識を外すと魔法の効力は切れるのだ。変身魔法の場合、変身し続けるには常に意識を魔法に向ける必要がある。眠りについたりしたらその時点で変身は解けてしまうということだ。

 整形なら寝ても姿形が変わることはない。この点で整形は魔法に勝ると俺は確信した。想像してみるといい。美人の妻と結婚したと思ったらベッドで全くの別人に変わっている光景を。整形ならばこんなことはありえない。つまりそこに需要があるのだ。


「とはいえ……」


「客はいないんだよな……」


そう、さっきも言ったように美容整形なんて概念はこの世界には無いようだし、場所が場所だ。こんな辺鄙な場所では確かな需要があろうと見つけ出すことは出来ない。

今やるべきなのは広告を打つことなのかもな。その金はどこにあるんだ。

と、俺は心の中で一瞬で自分を論破したのだった。


「サエキレン様?」


突然背後から可憐な高い声がした。


「なんだアルカルカ。俺は今、四面楚歌を打破するマーケティング術を考えるので必死なんだ。」


 振り返るとそこには我が助手、アルカルカの姿があった。

 150センチにも満たない華奢な体躯を、丈の短いウーウィックの民族衣装が包んでいる。透き通るような碧玉の瞳。白銀のショートカットヘアはまさにファンタジー美少女という風貌だ。しかしその顔や足のあちこちにはツギハギの皮膚が縫い合わされた痕が残っている。これは俺が半年前、彼女に施術した名残だ。断っておくが決して美容整形によるものではない。

 俺がアルカルカと出会った時、彼女は自分の名前以外の記憶をすべて失っており、全身には深い裂傷を負っていた。どういうわけか彼女に治癒魔法は効かず、俺が村の人たちの力と知恵を借りながら手術を行ったのだ。あまり気持ちのいい話ではないから、今はこれ以上思い出すまい。

 収穫があったとすれば、俺はこの時に、ウーウィック流の麻酔薬の調合の仕方を学ぶことが出来たのだ。そして命を助けたアルカルカが謝礼とともに助手として家に住み着いたのも収穫といえば収穫だ。この時彼女が持っていた謝礼が、今までの俺の全収入であり、それが今月尽きようとしている。


「アルカルカたち、餓死にする?」


「察しが良いな。そして単刀直入にも程があるな」


 手元にあるのはガレオン銀貨1枚に、銅貨4枚だった。銅貨10枚で銀貨1枚なので月謝料には足りない。どのみち食料の買い出し一回で無くなるだろう。


「サエキレン様、アルカルカになにかできることはある?」


 アルカルカは命の恩人である俺を慕って、様付けで俺を呼ぶ。


「俺の名前はレンだ。何度も言ってるだろう」


「でも、サエキは?」


「それも名前だが、名字だ」


「……?名前なら、サエキレンだよ」


 どうしても名字を理解してくれない。どうもこの世界で名字を持っているのは高貴な家柄に限られるようで、どうみても一般人にしか見えない俺は、フルネームで自己紹介を済ませたばかりに《サエキレン》という名前だと勘違いされているのだ。なんならイントネーションも勝手に変えられている。


「はぁ……もういい、サエキレンで」


「ん……」


 アルカルカはコクリとうなずく。素直なように見えて自分の認識は梃子でも曲げない頑固さがある。


「それで、サエキレン様、アルカルカに手伝えることはない?」


「それなら街の方に買い出しをお願いできるか?」


「わかった。何を買えばいい?」


「食べ物を一通りだな。」


「最後の晩餐?」


「……」


 否定できない。


「その後、餓死に?」


「……勘弁してくれ」


 歯に衣着せぬアルカルカ。いっそ清々しさも感じる。

 その時俺の頭にたった一つの冴えたアイディアが浮かんだ。苦し紛れのフラッシュアイディアともいう。


「……そうだ!」


「……サエキレン様?」


「買い出しついでに一つ頼まれてくれ。街でお客さんを見つけてくれないか?」


「ん、わかった。どんな人がいい?」


「自分の見た目に不満があったり、困っていたりしそうな人だ。」


 なんと失礼な物言いだろうか。だが、背に腹は代えられない。


「そういう人に声をかけて、その体を変えられる場所がありますよとアピールするんだ。できればお金を持っていそうな人がいいな。」


「合点承知。」


 急に江戸っ子口調になるアルカルカ。異世界にも江戸があるのか?


――バタンッ。


 扉の閉まる音が聞こえた。要件を聞き終えたアルカルカは勢いよくに飛び出していた。


「……本当に大丈夫だろうな」


「駄目だったら駄目で、明日から俺が街に営業に出向くしかないな。」


 半年間、アルカルカと寝食を共にしていた俺だが、いまだにアルカルカという為人ひととなりをイマイチつかめていない。基本的に無表情でボケっとしているようにも見えるが、そこまで頭は悪くない。むしろ、この世界の平均よりも知識は豊富に見える。

 客は皆無とはいえ、今こうして俺が美容整形外科の体裁を保てているのはほとんど彼女のおかげといってもいい。基本的な薬草の知識を教えてくれたのは何を隠そう彼女である。医療器具の代わりとして使えそうなものを見繕ってくれたのも彼女だ。


「もしかすると、もしかするかもな……」


 俺は少しだけ期待していた。


☆☆☆


――ギィィ。


 夕刻になり、扉の開く音が聞こえた。アルカルカが帰ってきたな。


「おかえり。どうだった?」


 自信満々に目を輝かせたアルカルカが言う。


「連れてきた」


「本当か?よくやったアルカルカ!それで、どこにいるんだ?」


 すると、外から扉を覗く人影が見えた。

 女性だった。俺はその人に目を奪われた。美しい。そう形容するしかないほど美しい。一切のくすみのない金色の長髪、白枝のようにすらっとした細い手足、そして気品漂う上品な顔立ち。辞書の《美人》の欄に資料画像として載せて良いほどの美人である。耳が長く、先は鋭く尖っている。なるほどエルフか。なんとなくエルフは美人というイメージはあったが、実物がここまでとは思わなかった。


のフィーラさん」


 呆然としていた俺にアルカルカが彼女を紹介してくれた。


「アホかお前は」


 フィーラさんに聞こえないように、アルカルカの耳元で俺は呆れたように言った。実際呆れていたのだが。


「あの人のどこが見た目に不満があったり、困っていたりしそうな人に見えたんだ?」


「そう言ってた」


「本人がか?」


「うん」


「それならいいが、整形しませんかってあんな美人に声をかけるか普通?」


「片っ端から声かけてたら釣れた」


 なんつー度胸だ。


「あのぉ~」


 いつの間にか椅子に座っていたフィーラさんが恐る恐る俺に声をかけた。声まで艷やかで気品に溢れている。もう魔法と言われても信じるぞ俺は。


「体の形を好きに変えられると聞き、来たのですが……」


「ええ、わたくしめが担当いたします。」


 しまった。フィーラさんの気品にあてられ一人称が変わってしまった。


「どの辺りを変えたいんだ?」


 気を取り直して俺は口調を戻した。フランクすぎるきらいはあるが、この世界に敬語が存在しないことは分かっている。失礼には当たらないだろう。


「ええ、お顔の辺りが少々……」


「なるほどな」


 俺は現世で担当した患者たちを思い出していた。整形を望む人たちの中にはフィーラさんのように傍から見れば十分美人な人も多かったのだ。理由として多数を占めるのは、「今の自分の顔に満足出来ない」というものだ。

 人間というものはどうしても周囲と自分を比較してしまう。ルックスの良い人のもとに集まるのは同じくルックスの高い人間が多い傾向にある。そういう環境に身を置くうちに自分を客観的に見れなくなり、自分の顔に自身を持てなくなっていく人は少なくない。

 俺は他のエルフというものを見たことがないが、もしかしたらフィーラさんの周囲のエルフはもっと美人なのかもしれない。そうだとしたら顔を変えたくなることもあるだろう。


「具体的にはどこなんだ?」


フィーラさんは暗い顔で言う。


「……耳の形、です。」


 俺は浅はかだった。事態はもっと深刻かもしれない。

 さっきアルカルカはフィーラさんをハーフエルフと言っていた。そこまで詳しくない俺でも、ハーフエルフが混血という理由で忌み嫌われる存在であることは知っている。ひょっとするとその耳のせいでフィーラさんは今まで辛い思いをしてきたのかもしれない。ウーウィックで一年暮らしてきたが、ガレオンで異種族間の争いが起きたと聞いたことはなかったが、差別というのは平和に潜む争いなのだ。可能性はある。


「……形を変えていいのか?」


「……はい。」


 フィーラさんからは肯定の言葉が返ってきたが、内心俺は葛藤していた。


 患者の見た目を変えて、より素敵な日々を送れるようにするのが整形外科医の使命だ。

 だが、差別から逃れるために見た目を変えるというのは、強者の側に迎合するということであり、ありのままの自分を殺すということだ。フィーラさんの決意は彼女を楽にするかもしれないが、根本では何の解決もされない。耳を変えても差別は続くかもしれないし、同じハーフエルフからも裏切り者として迫害される可能性だってある。彼女の意志は尊重したいが、俺個人の見解としては耳の整形は決しておすすめできるものではない。オレの心の中で美容整形外科医としての責務と正義が衝突していた。


「どうして、耳を変えたいの?」


 俺の様子を見かねたアルカルカが穏やかな口調でフィーラさんに訪ねた。


「寝返りの時耳が痛いんです」


 俺は心の中でズッコケていた。医師として患者の前で不甲斐ない姿を見せるわけにはいかない。アルカルカは俺の横で盛大にズッコケていた。詳細は聞いてなかったんだな。


「私の耳、横に長いじゃないですか。」


 確かにフィーラさんの耳は水平方向に伸び、長さは肩のラインを優に超えている。


「よく物にぶつかるし、それで曲がると痛いし、邪魔なんですよ。」

「だから邪魔にならないように疊んでほしいんです。」


 人間で言うところの立ち耳といったところなのだろうか。人間の場合、立ち耳を矯正する理由は顔が大きく見えないようにするためというものだが、フィーラさんのそれは実生活にモロに影響が出ているという意味ではそれより深刻である。


「お安い御用だ。まずは耳をよく見せてくれ」


「ええ、どうぞ」


 フィーラさんは髪をかき上げ、左耳を俺に近づけた。その仕草に俺はドキッとした。これはもう一種の魔法と言っていいんじゃないか?


「ふむふむ……」


 アルカルカも俺の隣でフィーネさんの耳を見る。何故お前も見ているんだ。助手は見なくていいのだ。見てお前に一体何が分かるというんだ。


「耳を触っても大丈夫か?」


「ええ」


 俺はフィーラさんの耳を触った。そして軟骨の部分をつまんで少し曲げてみせた。


「人間の軟骨より硬いな。エルフは皆こうなのか?」


「うーん、そんなに他の耳を触ったことはないけどこんなものだと思います。」


「なるほどな、長い耳を支えているわけだからな、固いんだろう。折れたりはするのか?」


「あまり聞きませんね。」


「固いが、しなやかと。」


 何故こんなことを聞いているかと言えば耳の整形の際には軟骨を矯正する必要があるからだ。軟骨が固いということは矯正は人間よりも手がかかるかもしれない。だが、この程度の差ならさほど影響はないな。


「ハーフエルフっていうのは人間とどれくらい違いがあるんだ?例えば食べられるものが違うとか」


「そういうのは無いと思います。強いて言うなら、得意な魔法が違うくらいじゃないでしょうか。寿命はハーフエルフのほうがちょっと長いですけどエルフほどじゃないですし」


「人間には無害だが、ハーフエルフには毒みたいなものはあるか?」


「聞いたことないです。もしかしたら私が知らないだけかもしれないですけど」


「よし、まあ大丈夫そうだな」


「何がです?サエキレン様」


 アルカルカが聞いてきた。


「麻酔だ。ハーフエルフにもちゃんと効くのか知りたかったんだ。人間と大した変わりはないようだから問題なさそうだ」


「となれば話は早いな。すぐに取り掛かろう。」


「あのぉ、何をするのか聞いてもいいですか?」


 フィーラさんが下から覗くように聞いてきた。そういえば、施術について何も説明をしていなかった。俺としたことがカウンセリングを忘れるとは。1年も仕事がないとこうも鈍るものなのか。


「これからやるのは切開手術だ。耳の裏を切り開き、軟骨に糸をかけて形を矯正する。両耳で一時間くらいだな。耳の裏だから傷も目立たないし、出血も少ないから今日のうちに帰れるぞ」


 説明してから気付いたが、この世界で手術というのはどう映るのだろう。普段はどんな重症でも魔法で外から治すのだ。切り開くということをそう簡単受け入れられるのだろうか。


「分かりました。早速始めましょう」


「アワワワワワワ……」


 フィーラさんは以外にもあっさり受け入れていた。ワナワナと震えていたのはアルカルカだった。助手が患者を不安がらせるような反応をするな。そもそもお前はこれの何十倍もの大手術の経験者だろうが。


「じゃあ、まずデザインだ。耳の長さは変えずに斜め上方向に寝かせようと思うんだが、それで大丈夫か?」


「ええ、エルフのスタンダードって感じでいいと思います」


「OKだ。次に切る場所を決めないといけない。耳の裏にペンで切る場所を書くんだ。後ろを向いてくれ」


「はい」


フィーラさんとアルカルカが後ろを向いた。


☆☆☆


――1時間後


「よし、これで終わりだ。」


 手術は何事もなく終わった。メスを入れるたび一々喚き散らすのでアルカルカには途中で出ていってもらったが。


「もう起きていいぞ。」


「んぇ……?ああ、終わったんですね。寝ちゃってました。本当に痛くないんですね」


 手術中に美容院の如く寝る胆力よ。


「これを当てて耳を冷やしてくれ。術後の腫れを抑えられる」


 俺は氷を布で包んだものを手渡した。ウーウィックの氷室から拝借したものだ。フィーラさんはそれを受け取ると自分の耳に押し当てた。


「あ、本当に変わってる……!」


 フィーラさんの顔が明るくなる。水平方向に伸びていた耳が寝ている事に気づいたようだ。この瞬間に立ち会うたびに整形外科医で良かったと心の底から思うのだ。俺にとっては久々の感覚だった。


「見てみるか?まだ傷もあるし内出血もしてるが、そのうち治る。一週間後に抜糸するからまた来てくれ。それまでは耳を弄ったり濡らしたりは避けてくれ」


 俺はフィーラさんに手鏡を手渡した。


「わぁ、すごい……!」


 フィーラさんは感激の声を上げた。


「もう、一生この耳と付き合っていくものだと思ってたんです。まさか治るなんて思ってなくって……」


「これからの人生が変わるといいな」


 大げさな物言いだが、美容整形はそういうものなのだ。患者本人にしか分からない、人生に影を落としている体の悩みのタネを取り除くことで人生を明るくするのが美容整形の真髄なのだ。


「え?あ、はい。そうですね。これで寝る時痛くならなくなると思います。」


 フィーラさんにとってはそこまでの悩みではなかったようだ。ちょっと引かれてしまったじゃないか、恥ずかしい。


「フィーラさん、お代お代。」


 追い出していたアルカルカが戻ってきた。確かにお題は再重要案件だが、そんな聞き方があるか。今度アルカルカにはサービス精神というものを叩き込んでやろう。


「そうねアルカルカちゃん。先生、おいくらなんです。」


「ああ、そうだな……。」


 やばい。手術前に料金を伝えてなかった。耳の整形はどんなに安くても10万円は下らない。ガレオン硬貨でいうと金貨2枚くらいか?フィーラさんの手持ちにそれだけの大金があるとは思えん。


「決めてないんですか?サエキレン様」


まともな突っ込みだが、アルカルカが言うとどうしてこうも腹立つのか。俺のプライドがアルカルカに言い返したくなった。


「フィーラさんは記念すべきお客様第一号だ。サービス価格にしようと思ってな」


 くだらないプライドで自分の首を絞める俺だった。まあ、アルカルカの首も絞まっているので引き分けで手打ちとしよう。


「まあ嬉しい!」


 フィーラさんは頬の横で手を合わせて跳ねるように喜ぶ。


「ガレオン銀貨5枚でどうだ?」


 俺は無意識にサービス精神をフルバーストしていた。やはりフィーラさんの美しさは魔法なのではないか。というか今月の月謝料で全部消えるじゃないか。何言ってんだ俺は。アルカルカもこの世の終わりのような顔をしている。すまん。


☆☆☆


――ウーウィックの入り口


「今日はありがとうございました。ばっし?は来週でしたよね?」


「ああ。お大事にな」


「お大事に」


 フィーラさんは俺たちに一礼すると、街の方角へ踵を返し、やがて姿は見えなくなった。


「キエサレン様」


 隣からアルカルカの声がする。ああ、言いたいことは分かってるさ。


「お金どうするの?」


「…………節約しよう」

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