「目の前の神様」に挑む人間

(注)「目の前の神様」に関するネタバレが含まれます



 強すぎる人間は、「人間ではない」「宇宙人だ」と言われる。同じ競技で戦う人間にとってはライバルであり目標であり、「神様」のような存在かもしれない。

 物語において、神様が主人公になることは稀である。神様の前であがく主人公の姿こそが、私たちの心を揺り動かす。

 将棋を題材にした場合、神様はモデルが実在する。大山康晴であり羽生善治であり、今ならば藤井聡太である。全てのタイトルを独占したり、とにかく勝ちまくったり、予想外の手をはなったり。そして他の棋士たちがこの神様に挑んできた「現実の物語」がある。フィクションは、これを越えていかなければならない。

 「アマがプロを越えていく物語」が描かれてきたのも、偶然ではないだろう。現実のプロが魅力的な物語を見せる以上、フィクションは別のところを描こうとするのだ。プロを圧倒するアマ、アンダーグラウンドで最高峰の戦いを見せるアマ、そして吸血鬼として長年将棋と向き合い続けて強くなったアマ。「人外のアマ」がプロに挑む図式まで来たのである。

 現実世界において最強のプロは、最強度合いを増している。全タイトルを獲り、他の棋戦でも必ず決勝まで行く。「勝率10割」とでもしなければ、フィクションがこの現実を越えることは難しい。



「目の前の神様」は、神様の誕生を見つめる物語だと思う。主人公はお調子者で内向きで、彼自身が神様になるのが難しいのはわかる。しかし強い若手棋士として、人間として、戦っていかなければならない。心の揺れ、沈み、高揚、そういうものが色濃く描かれている。

 「現実にもあるかもしれない」設定は、漫画の競争を勝ち抜くには不利だろう。ジャンプ+は、一目でその日の順位がわかる表示方法をとっている。「盤王」がトップを走り続けるのに対し、「目の前の神様」は中間をうろうろしている。打ち切りの心配もしてしまう。設定で人々を惹きつけるのは、難しい作品だと思う。

 私はこの物語がどこにたどり着くのかを見届けたい。そのためには多くの人々に読んでもらわないといけない。まだこの漫画を読んだことのない人に勧めなくてはならない。「面白い」という言葉で済めばいいのだが、そういうわけにもいかない。

 「苦い」この作品を一言で表すならば、その一言だ。最高峰の戦いを前に、彼は解説する側にいる。それでも将棋と向き合い、戦っている。人間として戦うには、「上様」と呼ばれるライバルを介するしかないというような、そういう覚悟も感じられる。持っている才能が違う。元々の性格が違う。世間からの注目度はもちろん違う。それでも彼は上様を理解し、信じ、共に考えようとする。「上様」が活躍すれば嬉しいが、それは悲しさ、悔しさにもつながる。割り切れない「苦さ」が感じられる。

 最新話では、「神様になった」ととれる表現もあった。それは美しく暗く、怖くて悲しくて、とにかくぞくぞくするような図だった。皆様には、1話から読んでここにたどり着いてほしい。「目の前の神様」と対峙する主人公の苦しみを感じ取ってほしい。

 そして私は、「現実のプロ棋界」と同じ土俵で戦うこの作品を、応援したい。



参照 久野田シュウ「目の前の神様」(2023-)集英社

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