将棋につなぎ止められた日
私は、中学の三年間は将棋部ではなかった。フィールドワーク部というところで山に登ったり谷を下ったりしていた。
小学生のときに将棋クラブに入ったものの、どこかに入らなければいけないので仕方なくだった。私のような運動も美術も音楽も苦手な男子がたくさん在籍していた。月二回の部活動は楽しかったが、それ以外に将棋の勉強をしていたわけではない。道場やプロの存在すら知らなかった。
小学生の私にとって将棋は趣味の一つに過ぎなかった。もっと言えば、囲碁の方が強くなりたかった。囲碁では父親に勝てなかったし、友達は県代表だった。ただ、中学に囲碁部はなかった。
高校で囲碁将棋部に入ったのも、色々あってのことだった。登山は部員ゼロで活動していなかった。脚本を書きたいと思っていた演劇部はなくなっていた。囲碁・将棋部は第三希望で、しかもまだこの時私は囲碁をしたいと思っていたのである。しかし、部員は皆将棋しかできなかった。
こうして囲碁将棋部に入り将棋の大会にも出るようになった私だったが、最初は大学まで続けるつもりはなかった。私が通っていたのは男子校だったのだが、運動部が試合をするときには他校の女子マネージャーの姿が見えた。それだけで羨ましかった。そしてある日、漫画研究部に女の子たちが入っていくのを見た。他校の漫画研究部との交流のようだった。急に悔しさがこみあげてきて、「こんな男ばかりの世界に居続けられるか!」と思ったのである。
そんなわけで「楽しい大学生活」を夢見ていた私だったが、ある大会にて思いを変えられることになる。二年生の秋大会、団体戦のことである。有力校が不参加で、にわかに上位入賞のチャンスが巡ってきた。しかも準決勝での相手は、初出場の学校だった。ドキドキする私に、予選で当たった学校の生徒がこう言った。「相手の主将、個人戦代表だよ」
あとで聞いた話だが、団体戦に出場するにあたり、彼は友達を誘って家で特訓を繰り返したらしい。そんな初出場のチームに、我がチームは負けた。そして私は、主将同士の戦いで完敗だった。人生で最も完敗だったと思う。
個人戦で活躍し、団体戦でも初出場で準優勝。素晴らしいストーリーだ、と思った。そして私はそのストーリーではちょっとした脇役だ。それまで「どうせ才能もないし」と思っていたが、なんか悔しくなった。
私はどこまで頑張れるのか。彼らのように特訓したら、強くなれるのだろうか。将棋で上を目指すのは、楽しいのではないか。
一日で私の将棋に対する思いは、全く変わってしまったのである。
大学でも将棋を続けようと思い始めた私だったが、受験は苦戦し、一浪の末、実家からかなり遠い、初めて訪れる地の大学に入る。実はそこは地区大会四連覇中で強豪ぞろいだったのだが、当時の私はそんなことは全く知らなかった。
私は、ある明確な目標を立てていた。彼と、全国大会で再戦する。それが努力の証になると思ったのである。そのためにはまず全国大会に行かなくてはならない。入部当時の私は、とてもレギュラーになれる力はなかった。ただ、夏の全国大会で一戦だけ出してもらえた。序盤有利になりながらも負けてしまったが、なんとなく「やれるかもしれない」という手ごたえを感じた。
一年の秋も部は優勝し、冬の全国大会へ。用事で来れない先輩がいたため、私は全国大会でレギュラーデビューすることになった。そして彼も、その会場にいた。最強チームの一員となっていた。
大会初日、なんと私は彼と当たったのである。彼ほどの実力ならば、七人制のどの位置で出るのもありだっただろう。そんな中、彼は私の前に座った。私は「こんなに早く目標が叶ったらあとはどうしたらいいの?」と思っていた。
結果は負けだったが、初回よりもかなり健闘した。感想戦ではこちらが良くなるような筋にも言及された(リップサービスだったかもしれないが)。高校に入った時にはほぼ初心者だった私が、全国大会であの彼と対戦出来た。「ちょっと重要な脇役」になれた気がした。
その大会では全敗だった。そして、それ以来全国大会には行けなかった。私の全国大会の成績は0勝8敗。彼との対戦成績は0勝2敗。
難しいと思っていた目標が達成されてしまい、私はなんとなく将棋に対してあまり気分が盛り上がらなくなっていたのかもしれない。二年生以降は、あまり強くならなかった。「いつかは彼に勝ちたい」とは思ったものの、自分の才能の限界を明確に感じ始めていたのも事実だ。
文芸部と兼部したりなどもし、将棋は指すというよりも「観て楽しむ」対象になっていた。不思議なもので、大学院に進むとそれでも少し強くなった。大会に出るというプレッシャーから解放されたからだろうか。
当時の私はまだ今のように将棋小説を書くこともなく(『五割一分standard』だけは文芸部で発表していた)、将棋の教室で教えることもしていなかった。なんとなく将棋部員として、部にかかわっていたという感じだった。
そんなある日、彼の訃報を知った。
気持ちがちゃぐちゃになった。「いつかまた指せるかもしれない」と思っていた。永遠に指せなくなった。いや、自分が努力していない現状では、指せる日なんてくるはずもなかった。
「再戦を目標にする」時点で、私は勝負に向いていない人間なのだろう。それは変えられない。それでも、自分なりに将棋に向き合おう、と思った。私は自分が生きている間にできることを、していこう。そう考えるようになっていたので、将棋講師の話があった時もすんなりと受けることができた。
あの日、彼と当たらなければ。そしてあの日、彼と再戦しなければ。私は今のように将棋と関わり続けていないかもしれない。友達に大会で準優勝できるまで指導した情熱を、私も持てているだろうか。
人生をやり直せるならば、小学生の時から将棋の勉強をしたい、とも思う。そうすればもっといろんな人たちと、いろんな出会いができただろう。私が誰かを導く側になれたかもしれない。
今からでも遅くない、ということもあるだろう。多分死ぬまで、私は将棋につなぎ止められている。
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