総合格闘技と電王戦

注 2014年の記事です


 電王戦は最初の頃から、総合格闘技ブームをなぞっていると感じていました。当時の関係者も関わっているようですし、PVなどからも読み取れるところだと思います。


 総合格闘技には立ち技系のK-1、寝技も含めたPRIDEという大きな二団体がありましたが、どちらも「異種格闘技」を柱にしていました。世界中の様々な格闘技から選手を呼んできて戦わせるという、「異種」と「世界」がキーポイントだったと思います。様々なタイプの強豪が日本にやってきて戦う。これが実現した時点で、面白くないはずがない、と格闘技ファンなら思うでしょう。


 そしてこれが大事だと思うのですが、異種格闘技戦はやってみるまで結果も分からず、やってみると大差になりやすいわけです。その原因は強さの違いだけではなく、「ルールに適応できる度合いが違う」ことが大きいと思います。戦ううえでは統一のルール下で対戦せざるを得ません。顔面への攻撃、肘の攻撃、立った状態での絞め技、四点ポジションへの攻撃。格闘技や団体によって、当然ルールは異なります。どんな強豪でも統一ルールの下では牙を抜かれた状態になってしまうことがあり得るわけです。逆に言えば、主催者は最も公平になるような、もしくは試合が面白くなるようなルールを用意する必要があるわけです。


 元々の強さの違い、総合格闘技への向き不向き、統一ルールへの適合度。様々な要素が重なり、面白い試合や派手な試合が生まれます。コアなファンは、実力の拮抗したこう着状態にも興奮します。しかしやはり、派手な試合の方が一般層には受けるでしょう。そして総合格闘技には、そういう派手な試合が生まれる条件がそろっていたのです。


 総合格闘技は、ゴールデンタイムで放送され、大晦日に大々的に行われるまでになります。コアなファンも楽しめ、一般層も楽しめる。実に安定したコンテンツに思えたわけです。しかしブームは長くは続きません。多くの理由があったとは思いますが、その中の一つに「統一ルールが基本ルールになってきた」点があると思います。総合格闘技が大きくなってくるにつれ、そのルールに慣れる者、そして最初からそのルールで戦う者が現れてきます。そうすると当然全体的なレベルが上がってきますが、わかりにくい試合も増えてきます。両者ともルールに適応していれば異種格闘技っぽさは失われますし、試合もこう着し、一般層には攻防の分かりにくい試合も増えます。また皆が適応してくる中で、日本人ファイターがなかなか活躍出来なくなってきます。世界中に門戸が開かれているわけですから当然そうなるのですが、やはり日本人が活躍した方が盛り上がるのも確かです。


 これらのことを何とかするために、対策がなされます。その一つは話題性のあるファイターを戦わせることです。皆が知っているが格闘技経験の浅い人、元タレントで格闘技に挑み始めた人、見た目がすごい人などが招集され、話題性先行の試合が増えます。当然話題性先行の人は統一ルールに適応していないため負ける時は大差で負けますし、中にはボブ・サップのようにとんでもない力を発揮するパターンもあるわけです。(むしろボブ・サップの成功がこの傾向を生んだと言えるかもしれませんが)


 このようなことは起爆剤にはなりますが、長続きはしません。人々はすぐに、話題性先行の試合はレベルが低いと気付きますし、主催者が次なるドジョウを求めようと話題性の大バーゲンセールをするうちに「質の低い話題性」も量産され、皆も飽きてしまうのです。そしてこのような状態ではコアなファンもついてきません。コアなファンを振り向かせるには質の高い試合が必要だからです。


 このようにして「話題性」という禁断の果実をかじってしまった総合格闘技は、ブームを終えていきます。そして総合格闘技の興行形態が重くのしかかってきます。大きな会場で外国人選手を呼んで、高いチケットを売りテレビ放映権に頼る方式は、お金の出入りが大きくなるため、うまくいかなくなると一気にマイナスが大きくなってきます。そのため総合格闘技の興行主は急速に経営状態が悪くなり、テレビ放送から姿を消し、一般層から忘れ去られていったのです。


 そしてこの総合格闘技ブームの裏で、そこに選手を派遣している各団体などがどれだけ恩恵を受けられていたのか、競技人口やファンが増えたのかについて私はいつも考えます。もちろん注目されることにより恩恵を受けた団体も多いとは思います。しかし人々の目が向くのはあくまでK-1やPRIDEであって、キックボクシングやバーリトゥードの大会などが行われていることについてはほとんどの人は「知りもしない」状態だったのではないでしょうか。ブームの中心にあったのは、「興業」だったのです。それぞれの団体や選手は、利用されていたとも言えます。もちろんギャラも注目も、ちゃんと受け取っていたでしょう。しかし、ブームが去った跡には何が残ったでしょうか。「総合格闘技は終わった」というネガティブな意見に巻き込まれてしまってはいないでしょうか。


 長々と書きましたが、私は最初から、電王戦はこの総合格闘技ブームをなぞっていくのだと思っていました。将棋というコンテンツは確かに調理次第では面白いのですが、一般層の注目を浴びるにはスパイス不足です。そこに「コンピュータ」という要素が加わったことにより、俄然チャンスは広がりました。人間対ソフトが勝敗の予想困難のまま戦うというのは、まさに異種格闘技戦の面白さです。そして一戦目には「達人にして会長」という、将棋のイメージにふさわしい人が出てきました。この一戦により「ソフトは人間に勝てる」ことが示され、同時に「しかし現役のプロなら逆襲できるかもしれない」という、とてもいいストーリーが出来上がったわけです。


 電王戦の二回目は、そのような興味を沸かせている中なのでどのような結果になってもよかったと思います。その時点では勝敗の予測が難しく、予測自体が楽しくなる段階だったのです。しかしこの二回目が終わったことにより、だいたいソフトと人間の力関係が見えてきました。どうも最強ソフトが最強スペックを使用すると、かなり人間は苦しい。多くの人にそのような印象を与えたと思います。


 そしてもう一つ、プロ側もソフト側も強い人が出ることにより、「一般層にはわかりにくい」という問題も出てきたと思います。事前対策をしっかりすれば、人間側にもチャンスがあるということは阿部四段の勝利からも判明しました。しかしそれはまさに統一ルールに適応すること、「電王戦用の戦い方を学んでいく」という、コアなファンに受ける方向へと舵を切ることでもあります。お互いが努力すればするほど、中身はつまらなくなる。しかしそれをコアなファンは喜び、二極化が起こる。これはもう、宿命みたいなものなのです。


 電王戦はおそらく、形を変えなければ続いていかないでしょう。そして「大きな会場を借りる」「大手スポンサーが付く」という「出入りの大きい状態」になってしまった以上、モンスター路線は避けられないかもしれません。もはやこうなると電王戦は独立したコンテンツであり、それに関わる将棋やソフト開発の関係者にとっては、いかに巻き込まれて評判を落とさないか、興味を持った人を手放さないかが問題になると思います。


 私は将棋が好きです。ですから、将棋に関するあれこれが盛り上がるのもうれしいです。しかし、将棋が傷付くのは見たくありません。電王戦を中心とした大きなうねりを、将棋界はどう乗り越えていくのか。楽しみでもあり、心配でもあるのです。


初出 note(2014) https://note.com/rakuha/n/n594efedb8584

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