これからの『羽生の頭脳』
「将棋の本は何を読んで勉強したらいいですか?」
この質問に私は、とりあえずは『羽生の頭脳』と答える。有段者を目指すには間違いがない選択肢だと思うのだが、一時期はあまり納得してもらえなかった。
「あれ、もう古いんですよね」
『東大将棋』シリーズが出始めた頃から、特に言われるようになった。確かに、『羽生の頭脳』の定跡は古くなってしまったものもあるし、『東大将棋』のように様々な駒かい戦型をカバーしているわけではない。けれども、新しい定跡を覚え続けて勝つのは至難の業で、多くのアマにはあまり向いていないと思う。そしてなにより『羽生の頭脳』は、その名の通り、羽生善治の頭の中を感じる本なのである。繰り返し読むうちに、天才棋士の思考のリズムがわずかばかり実感できる、それだけでも棋力向上につながると思う。
そんな『羽生の頭脳』の価値が、再び大きく変わるかもしれない。羽生が、すべてのタイトルを失ったのだ。私が本格的に将棋を始めた時は六冠で、すぐに七冠になった。その後タイトルの増減はあったが、常に羽生は棋界の頂点にいた。タイトル数を減らしていた最近でも、誰かにとって代わられたというよりも「集団に追い付かれた」という感じだった。
羽生が「追い抜かれる」という事態は、あまり想像できなかった。羽生世代の中で羽生だけが、タイトルを持ち続けていた。他の棋士とは、老化のスピードが違うように感じていた。けれども、若い頃に見せたような衝撃的な「羽生マジック」を見なくなったことも確かだ。他の棋士がそれを封じていたのか、それともマジックを出すだけの力はなくなってしまったのか。
将棋に詳しくない人はよく、「羽生名人」と呼ぶ。羽生が今どのタイトルを持っているのか、将棋界に何というタイトルがあるのかを知らなければ、「頂点に立つ人=名人」は当然のイメージだろう。しかし羽生は、タイトルを失った。そのことが大きなニュースにもなった。羽生九段は、どう考えても名人ではない。
これからじんわりと、羽生名人、将棋界のトップである羽生というイメージは消えていくのだろう。もちろん再びタイトルに挑戦し、獲得もするかもしれない。しかしそれは「レジェンドの復活」であり、「再び羽生が頂点へ」ということには簡単にはならないだろう。
レジェンドが若き頃に作った教え。『羽生の頭脳』は、いずれ聖典へとなっていくのだろうか。もしくは過去の人が過去のことについて書いた、他愛のないものの一つとなってしまうのだろうか。考えてみれば、私は大山の本を読んだことがない。これから将棋を始める人にとっては、羽生は「すごく強い棋士」の一人にすぎない可能性がある。『羽生の頭脳』のすごさを実感してもらうには、少し、ハードルが高くなった。
羽生が再び、タイトル戦で戦う姿は見たい。けれども同時に、羽生以外の棋士が、何人もの棋士がトップ集団にいることは、喜ばしいことだとも思う。簡単に藤井聡太がタイトルを獲れるような世界ではない。それだけでも今後何年もの間の物語が、約束されていると言っていいだろう。
だから、羽生の成績とは別に、私は言い続けたいのである。「『羽生の頭脳』はいいぞ」、と。
初出 2018年12月 note https://note.com/rakuha/n/nb01619fedcc5
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