第22.5話:マヌーの湖沼地帯2
空と雲を映し出す広大な湖沼
湖沼に流れ込む無数の川
無数の川の一つに佇む大柄な騎士
■コークリットの視点
「二百五十日……八ヶ月」
千本の川を調査するのにかかる時間だ。
俺は天を仰いだ。
「何か推理一発で青砂が流れてくる川が分かるとかないか……?」
考えるも、推理できるほど得られたヒントがない。
「やはり探索圏の最大感度を直接川に使うか?」
それなら川を舟で移動するだけで済む。おそらく、移動から調査完了まで一時間もかかるまい。一日十本以上の調査ができるだろう。
だが、霊力が持たない。
初日はいいかもしれない。でも次の日からはきっと無理だ。
霊力は消耗しても、寝たり食べたり、癒されれば回復する。霊力は心であり、心が癒されれば回復する。一日で使い切っても、翌日までに回復できれば理論上、毎日魔法での調査はできる。
でも、こんな魔獣の棲息する地で心が癒されるか?
野宿で癒されるか?
風呂もなく、寝床もなく、食事も満足になく、夜行性の魔獣の襲来に備えて眠ることもできないぞ?
野宿では、霊力を逆に消耗することはあっても、回復はしまい。
「探索圏の連発は無理だ」
法王庁の協力が欲しい。
飲食物の確保、解剖場所の設営、解剖物の準備、野営地の設営、未開地への侵入経路確保、魔獣からの護衛など、いろいろ分担できるだろう。俺はそれを一人で行わなければならない。
『 孤立無援 』がこれほどのものだとは、思いもよらなかった……
「ラーディン領の兵士に協力は?」
できないことはないが、危険だ。魔獣の襲撃もさることながら、最も厄介なことが病気だ。未開の地ゆえ、寄生虫や吸血中などから、よくわからない病気になる可能性がある。俺は『 秘匿圏 』の魔法で寄生虫や吸血虫から身を守れるが、一般の兵士は……
もちろん病気にかかっても魔法で回復できるけれど、例えば町に帰ってから病気が発症したらどうなる? 俺がいないときに発症したら……そしてそれが他人に移ったら……
「今度帰ったら、相談はするか。決死の覚悟がある者がいるか」
考え込んでいると、日の光がまぶしいことにふと気が付いた。だいぶ日が傾いて日の光を正面近くから浴びている。
「マズイな。そろそろ夜営の準備をしよう」
今日はここまでだ。
昼過ぎに湖沼地帯に着いたからな、半日もなかった。
水棲魔獣に舟を壊されたくないので、霊従者二人で舟を岸辺から十数メートルの草地まで持ってくる。俺の寝床はこの舟の中だ。舟底の平らな部分で毛布にくるまれば眠れるだろう。広葉樹の枝が張り出していて、いい屋根になる。
たきぎを広い、火をつけ、持ってきた鍋で湯を沸かす。
その鍋に米と豆と刻んだ干し肉を入れて、塩で味を整えて粥状になるまで煮込む。
グツグツと鍋が良い音をさせ始めた頃に、夕日が空と湖面を赤く染める絶景の時間になっていた。
「おお……」
俺は思わず感嘆のため息をついた。
美しい。何て美しい。
「はあ、綺麗だ」
夕日は空を茜色に染め上げ、浮かぶ雲を赤黒く染め上げる。いや、雲の底は赤く明るく輝き、上部は墨を落としたような黒さだ。はあ、雲が空に光の筋を作って、まるで後光のようで……
一人で眺めるのが勿体ない気がする。せめて世界のどこかで、この美しい景色を眺めている人がいると嬉しい。
「あれは……飛竜か?」
雄大な燃える空を、黒い影がゆっくりと横切っている。
ああ、あの飛竜が見る景色はどんなだろうか。赤い空と、赤い雲はどんなだろう?
「綺麗だ。ああ、空のグラデーションが」
そう、空を仰いでいけば茜色の部分からどんどん色を落とし、俺の真上の天は深く美しい藍色だ。青だった空が藍か。
はあ、綺麗だ。自然は、綺麗だ。
「湖沼地帯か……美しいな」
目の前に広がる穏やかな湖沼の水面にも、その絶景が映し出されるんだ。鏡面世界にも、燃える空と妖しい雲。そして美しいグラデーション……
はあ、綺麗だ。
訳もなく涙が出てきそうな景観が目の前にあって……いや俺もその一つになっているのかな。顔が熱いのは夕日が正面から照らしているからだけじゃないのかもな。
沈みゆく太陽を眺めながら、俺は一人食事を始める。
今まではラーディン卿やアルバート少年と食事をしていたから、ぐっと淋しさが増す。孤独だ。
はあ、粥が熱いな。味はまあまあ。塩味と干し肉の凝縮した味が出ていていい。ふふ、たまにはこんな食事もいいか? でも毎日になるかもしれないから、今後は嫌になるかな?
食べ終わるころにはすっかりと濃紺色の空が世界を包んでいた。ああ日が沈むだけで、グッと寒くなるなあ。本当に淋しい。
ううむ、焚き火はあった方がいいのか、ない方がいいのか分らんな。しかし、湖沼地帯ゆえ遮蔽物がないから、焚き火は目立ちすぎるか。
俺自身、霊力で目を強化すれば昼日中と同じ夜目を使えるから支障はない。よし、火を消そう。
一気に暗くなり、淋しくなる。
「おお、今度は星空か」
火を消すと、濃紺色の空にある無数の星が世界を照らしてくれる。
ああ、綺麗だ。舟の中に寝そべって、見るとはなしに空を見る。チカチカと瞬く星々。ふふ、故郷の孤児院から眺める星空に似ているなあ。お腹が空いて眠れない夜に見上げたあの星空に。法王庁のある王都は明るくて星空はそんなに見られなかったからなあ。
どのくらい見上げていたかな?
気づけば虫の音が世界を包んでいる。物悲しい音色が。
ああ、夜空には星の大河が流れていて、夜空を紫色に染め上げている。はあ、紫色なんだなあ。綺麗だ。地表を見れば湖沼地帯の湖面すべてが、紫色の空と輝く星空を映し出して……
ふふ、凄い大景観だなあ……
クオオオォォ………ン
オオオォーン……
湖沼の向こうから、淋し気な声がこだましてくる。強化した俺の目では、十数キロ先の大きな湖から水竜が首をもたげたのが見えた。呼応するようにいくつかの湖からも様々な魔獣が蠢く。
グルルル……
キャーホッ、キャーホッ!
ギャギャギャ……
森に目をやれば、遠く先の幹と幹の合間を歩く四足獣の姿がそこかしこにチラリチラリと。耳を霊力で強化すると森の中から様々な魔獣の鳴き声や息遣い、足音を殺した動きが聞こえてくるし、鼻を強化すると風に乗って魔獣のすえた臭いも漂ってくる。
「ううーん」
俺は悩んだ。俺の寝こみを襲おうとする魔獣の接近が分かるよう、索霊域を維持したまま寝るのが一番だが、一晩も使っていたら著しく霊力を消耗する。
先はまだまだ長いんだから減らさないようにしなければ……それでなくても調査のために使う索霊域と霊従者の維持は、霊力を多く消耗するから使えなくなったら終わりだ。
「ふう。やはり毛布をもって、樹の上で寝るか」
手ごろな樹木を見上げると、十数メートル上で幹が三つの枝に分かれている部分があって寝相が悪くなければ大丈夫そうだ。俺はスルスルと上って行くと、ちょうどいい広さで体を預けられそうだ。
「耳と鼻だけ強化して、寝るか」
ふう、枝の広がりを利用して体を預ける。
ちょうど枝葉で俺の姿は地上から見えないな。逆に夜空も見えなくなったが。
さあ、寝よう……明日も頑張るぞ。
◇◇◇◇◇
朝──
枝葉の合間から眩しい光が射す。
「ふうぅー」
いやはや、浅い眠りだったが脳は休められたような気はする。けれど心は休まらなかったし、体の節々がちょっと痛いな。こりゃあまた日中、少し寝た方がいいな。
魔獣に襲われはしなかったけれど、うるさかった。耳を強化したから相当遠くまでの獣や魔獣の動きが分かって。あと体中が痒いな。呼吸や体温から獲物を探す生物から姿を隠す『 秘匿圏 』の魔法を使っていたが、それ以外の生物からは丸見えなんで、喰われまくった。変な病原菌をもらっていないか心配なので念のため病原菌除去の魔法をかけておくか。
朝飯の用意をしながら野宿の総括をすると、「二百五十日も野宿は無理」に尽きるな。
晴れていたから昨晩はまだ良かったし、たまたま樹の上に寝場所を見つけられたが、それでもとても気が休まらない。ゴリゴリと魂力・霊力・体力を奪われていくぞ。
くそっ、法王庁の協力体制があれば……
「弱気になるな!」
俺は朝飯をガツガツと掻き込みながら、次の河川について考えを巡らせた。
さあ、捜査二日目だ。今日は朝からガンガンやっていくぞ!
決意どおりに朝から調査を始める。
昨日同様、湖沼を舟で移動し川の複数個所で貝類を二十サンプル用意する傍ら、解剖スペースを用意しておき全員で解剖。そして魔法で確認。
午前中に二本の川を調査できたぞ! これなら午後に三本調査できるんじゃないか?
そんなことを考えていた時、それに気が付いた。
「ん? 何だあれは?」
上空の千里眼が遠く離れた岸辺に何かをとらえた。何かが倒れている。馬か?
「馬……いや、ケンタウロスの子供だ!」
そう、数キロ先の岸辺に倒れこんでいるケンタウロスがいる!
気絶している!? 後ろ足が湖に浸かっている。森から湖に向けて川が流れているが、そこから流れてきた!? 霊視で見ると、生きている!
だとすると、あのままだとマズイ!
水棲魔獣に襲われる可能性がある!
あのケンタウロスの元へ行かなくては!
◇◇◇◇◇
幾つか川を飛び越え岸辺を駆け抜けると、到着した!
ケンタウロスの少年は上半身が岸辺の下草に、下半身は浅い湖に浸かっている状態だ。索霊域でも霊力の反応があるから、間違いなく生きている。
俺は少年の肩をたたく。
「君! しっかり!」
年齢の頃は、十二歳くらいだろうか。黒い髪の毛を後ろで縛って、上半身は半袖の洋服を着ている。馬の胴体は特に何も身に着けておらず毛並みのいい馬そのものだ。
俺は目で少年の状態を確認し、霊視で霊力の状態を確認する。
目で見える範囲ではケガもしていないし、霊力の状態も特に問題はない。おそらく川でおぼれて流されて、気絶しかけながらここまで這い上がって力尽きたんだろう。
俺は霊従者とともに少年を岸辺へと移動させる。馬の胴体は重いな!
少年は体力の消耗が激しいようだ。俺は体力回復の聖魔法を使うと、乾いた布で少年の体を拭く。
「しっかり! よく頑張った! もう大丈夫だ!」
「う、うぅ」 少年はうっすらと目を覚ます「ううーん」
ボーッと俺を見る。瞳の色は胴体と同じ茶色だ。
「よく頑張った! 大丈夫だ! 気分は悪くないか?」
「う……だ、大丈夫……ここは……」
「湖の岸辺だ。君は川でおぼれて湖まで流されたんだと思う」
「うっ……、僕は……
少年は布をかぶったままゆっくりと上体を起こした。
「大丈夫かい? 魔法で体力を回復させたが、まだ悪いところはあるかな?」
「え……魔法!?」 少年は布を捨てて俺を見た。「え? 魔法!? 妖精!? 湖妖精!? あれ!?」
「いや、私は人間で……たぶん知らないと思うが法王庁の神殿騎士なので魔法が使える」
「に、人間!?」
少年は、恐怖の表情を見せて後ずさると、霊従者の一人にぶつかった。
「うわっ! こっちにも!」
ううむ、この反応は仕方がないだろうな。
何せケンタウロスは大昔、ダロス島の沿岸に広がる平野部を周遊しながら生活していたというが、人間が国を興し、城を作り、街を作り、壁を作り、畑を作り……彼らが周遊していた地を侵食しながら時には武力を行使して広がっていき、結果彼らは人が来ない森の領域を周遊することになったという。
俺は霊従者を少年から遠ざけ、片膝をつかせ身を屈ませる。俺自信も後退ると威圧感を与えないよう片膝をつき身を屈めた。
「危害を加えるつもりはありません。きっと『 人間の怖さや狡さ 』などを親や仲間からずっと聞いていると思いますが、人間全員が全員、敵意を持っているわけではありません」
「う……あぅ、あぅ」
少年は周囲を見渡して、俺と霊従者たちを見ている。
ああー、霊従者は俺をベースに作ってあるから、大きな人間に囲まれている感じになって、怖いか。
逆の立場だったら、俺もそうなると思う。
早々に立ち去ろう。
「さて、私はこれから湖に戻りますのでここでお別れですが、他に悪いところはありませんか? 今なら魔法で治せますが」
「あっ、そうだ魔法! あのっ! 戦士さん、魔法を使えるの!?」
魔法!?
少年はさっきまで恐怖を覚えていたはずだが「魔法」という言葉に表情が変わった。その表情は驚きと期待とが合わさっている。切り替えが早そうな子だ。
「ええ、使えます」
「ど、毒消しの魔法とかは!?」
「毒消し? 使えます」
「ほ、本当!?」
少年の表情は希望に輝く。
うん? もしかして、誰か毒に!?
「あのっ! 戦士様! お願いです! 魔法で助けてください!」
「分かった! 助ける!」
「ええっ!?」
いいの!? と少年はビックリした。
しまった! 助けて、と言われたから反射的に応えてしまった! 毒に侵された者がいるんだろう!? 何の毒かは分からないが一刻を争うハズ!
助けられる命は!
助けたいんだ!
「毒に侵された人がいるんだろう?」
「は、はい! 集落の仲間が!」
うむ、やはりそうか!
「集落が毒で? 何の毒ですか?」
「わ、分からないんですが、突然森が腐ってきたかと思ったら、毒ガスが発生して!」
「森が腐る?」
森が腐る!?
何だその現象は!? さらに毒ガス!?
俺は質問を続ける。
「いつから森が腐り始めて、いつから毒でケンタウロスの仲間が倒れたんです?」
「き、気がついたらいつの間にか森が腐り始めててっ! 近い場所に居を作っていた人たちが倒れてっ!」
少年は今にも泣きだしそうだ。
「何人、どのように倒れたのでしょう?」
「にっ、二十人以上がっ……血を吐いてっ」
血を吐いた!?
肺がやられた? 胃か?
いずれにせよ知ったからには!
見捨てることなど!
絶対できない!
「集落はここからどのくらいでしょう?」
「えっと……ここがマヌーの湖地帯なら……十キロくらいだと」
十キロ……走れば三~四十分くらいだ!
すぐに助けられるぞ!
「分かりました。助けに行きましょう!」
「ありがとうございます!」
俺は霊従者に舟を固定させてから、ケンタウロスの少年テルメルクに案内され、森を走り出した。
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