第24話:ケンタウロスの集落

 


 鮮やかな緑色に萌える草原

 草原に点在する、傘のような高い樹木

 高い樹木の下で草を食む草食動物の群れ


 群れが遠巻きに見つめる円柱形のテント

 馬獣人ケンタウロスの集落



 ■コークリットの視点



「泥の沼……ですか?」

 ケンタウロスの長老が怪訝な顔で質問する。

「はい、泥沼があります。いや泥……と言えるかどうか……?」

 千里眼で見てみると、黒に近い茶色で、もったりと重そうな感じだ。ボコンッ、ボコンッ、と気泡が破裂するが、その破裂も弾力がありそうな気泡で……油分か? 黒茶色の表面には斑模様が浮かんでいて何とも不吉なイメージだ。

 俺は質問した。

「以前はなかったのでしょうか?」

「ええ。なかったです」

「泉はそこかしこにあるんですが」 と若いケンタウロスがいう。

 そうだな、美しい泉はそこかしこにあった。走っているなかで沢山見かけた。とすると……

「その泉が泥沼と化した……?」

 俺の言葉に皆がうなずいた。

「泉は泉同士で繋がっていたりしますか?」

「どうでしょうか……調べたことはないです。いや気にしたこともないです」

 まあそうだよな。もし泉が底の方で繋がっていたら、次々に泥沼化する理由は分かる。でも繋がっていないなら?

 美しい泉を、毒ガスが発生する沼に変えたモノがあって順々に移動している……ということか。

「泉は深いのですか? 浅いようでしたら調べやすいですが」

「うーむ、深いもので水深七~八メートルはあるかと」

 ほう、泉にしては深いな。

 俺は千里眼で泥沼を見る。

「瘴気が凄いな」

 千里眼を通した映像では、空間が揺らめきボヤけるほどだ。とその時、淀んだ瘴気に千里眼が維持できず、次々に割れた。

「駄目だ。魔法が維持できませんでした」

「いえいえ。泥沼ができていて、それが原因とわかっただけでもありがたい」

「うーむ。この泥沼が、私が探す怪異の原因と何か関係があるのかどうか……」

「ううむ」

 皆が腕組みをした。

「例えば調べるには現地に行き、泥を採取して青い砂が混入していないか……ということが一つですが。毒ガスをどうするか」

 索霊域を広げ、霊従者に行かせることはできる。が、霊従者は人形ではなく俺の分身なので、毒にやられてバッタリ倒れる可能性がある。

 霊従者は洞窟やダンジョンなどで毒ガスが発生していないか、実験台でもあるので毒に倒れることもある。

 と若いケンタウロスが。

「妖精なら、精霊魔法で空気を浄化するとか空気を身体に纏わせるとか、聞いたことがありますが」

 妖精か。

 確かに精霊を使う魔法ならできると思う。

 実は歴代の神殿騎士は妖精を仲間にしていた者が結構いるそうだ。俺が最も憧れている騎士は、四百年前に存在した神殿騎士アヴァン・ヘルシング様で、妖精を数人連れていたらしい。

「長老。湖妖精の里がマヌー湖沼帯にありますし、協力してもらうのはいかがでしょう?」

「うむ、確かにの」

 へえ、そうなんだ。

 もしかしたら、俺が舟で通ってきたどこかの湖に里があったのかな? どうやらテルメルク君が湖妖精に助力を願いに行って湖に足を踏み入れたところ、バランスを崩して溺れたようだ。

「よし、明日にでも行ってみるか。我々の足なら半日もかけずに湖妖精の里を往復できるでしょうし」

「うむ。神殿騎士殿、いかがでしょうか。もう一時間もすれば日が暮れる。今日はここに泊まられて、明日沼を調べられるということは? お急ぎでしょうか? お礼も兼ねて食事も沢山用意したい」

 おお! 嬉しい! 昨日は満足な睡眠も食事もできてないし、霊力が結構減ってるから!

「宿泊させていただけるなら嬉しいです。よろしいんですか?」

「もちろんじゃ、それでは急ぎゲルと食事を用意しましょう」

 やった! ケンタウロスの集落で泊まれることになった!

 おお! 疲れもとれるだろうし、癒されるだろうし、さらにいつか故郷に帰った際の土産話にできるぞ!

 とその前にだ。

「ありがとうございます。せっかくですので川へ案内していただけますでしょうか? 日暮れまで一時間あるなら、川魚を調べてみようと思います」

「なるほど。では……」

「僕が行きます!」

 とゲルの入り口から勢いよく入ってきたのはテルメルク君だ。

 くく、話を聞いていたな!

「これテルメルク! 大人の話を聞いていたのか!」

「はい! たまたま通りかかって耳に入ってきました!」

 たまたま! 悪びれもせずに!

 いいな、この子の調子のよさ! 何だか子供の頃の俺みたい!

「まったく……神殿騎士殿、この子でよろしいでしょうか?」

「はい。よろしくお願いします」

「そうこなくっちゃ!」

 くく。俺は立ち上がった。



 ◇◇◇◇◇



 だいぶ薄暗くなった草原樹林の内部。

 森というにはまばらな樹だが、背が高くて樹冠が横に大きいから日の入りが早い。本当に日暮れが近いんだな。

「神殿騎士様。青い砂ってどうやって調べたんですか?」

 森を歩きながらテルメルク君が質問してきた。

 くく、たまたま通りかかったレベルの立ち聞きじゃないな! 最初の方の話だぞ。

「そうだな。魚の内臓を開いて魔法で拡大して内容物を調べたんだ」

「魔法で拡大!」

 少年は目が輝いた。興味津々のようだ。

 まあケンタウロスは魔法を使えないようだから、興味がわくよな。

「いいなあ、僕も魔法を使ってみたい。何で僕たちは魔法が使えないんだろう?」

 うむ。

 人は聖霊や邪霊をかたどって作られ、妖精や妖魔は精霊をかたどって作られた。ゆえに人や妖精はその聖霊や精霊の力を借りて魔法を使うことができるとされている。

 一方で、幻獣や魔獣、動物や植物は個、あるいは集として生み出された存在であり、聖霊や邪霊、精霊とはつながりがないため、魔法を使うことができないとされている。

 獣人もそこに入るのだ。

「テルメルク君たちは、魔法は使えないけれど、ずっと長く、早く走れる。生命力も非常に高い。魔法にも劣らない素晴らしい能力があるからね」

「うん? うーん……そうだね。走るのは大好き。色々な土地に行くのも楽しい!」

「いいな!」

 屈託なく笑う少年に、俺も童心に帰る。楽しいなあ、胸が温かくなるよ。

 そう、故郷の弟妹たちと話しているようで癒される。

 そんな風に警戒心が緩んでいたためだ。川が見えていたんだけれど、注意はしていなくて。太い幹と幹の先に十メートルほどの川が流れていたのは見えていたんだけれど、注意が散漫になっていて。

 幹の陰の『 その存在 』に気づいていなかった。

「川に着い──」

 俺は息を飲んだ。

 視界に入ったそれに。

「はっっ!」

 その存在も息を飲んだ。

 そこにいたのは。

 少女。

 いや、美少女だ。

 幼い? 年齢は十五~六歳。髪が短いから? 肩までない。オデコが可愛い。輪郭は逆さの卵型。切れ長の大きな目。美しい金髪。緩く波打つ。そこから長い耳が左右に。

 長い耳!マジか!?

 エルフだ!

「オ、オーガー!」 少女が叫ぶ!

 えっ!? 俺は周囲を警戒した! オーガーがいる!?

 いやいない! え!?

 エルフ少女の目線からオーガーを追う!

 目線は俺!

 あっ! オーガーって!

 俺!?

「オーガー!」

 少女は俺をにらみつけると傍らにおいてあった弓を構えた! ちょ、ちょっ!

「セトラちゃん、逃げて!」

「!」

 エルフの少女の後ろ! 青白い顔の幼女! サテュロスの女の子!

「セトラちゃん! 逃げるの!」

 エルフの少女は弓を目いっぱい引く! うわっ、ちょ、ちょっ!

「し、神殿──」

 うろたえるテルメルク君! に気づいたエルフの少女が切れ長の目をいっぱいに!

「ケンタウロス!? 危ない! 逃げて! オーガーよ!」

「えっ!? えっ!?」

 テルメルク君がうろたえる!

「逃げてっ!」

「ちょっ!」

 俺が慌てて両手を上げると!

「~~~~っっ!!」

 あっ! たぶん勘違いした!

 手を上げた俺が! 攻撃体制に入ったと!

「はっ!!」

 ビンッ! と、弓を射った! 射った!

 刹那、俺の感覚は極限まで高まる!

 俺は! 数年にわたる殺意と害意を帯びた実践戦闘訓練から! 身に危険が及ぶと!

 世界がスローモーションで見える!

 エルフ少女から放たれた弓矢は、まっすぐ俺の眉間に! うわあっ! 良い腕!

 じゃなくてっ!

 わずかに回転スクリューしながら! 俺にまっすぐ!

 俺はちょうど両手を上げようとしていたから! 手が近くで!

 仰け反りながら、左手で弓矢をキャッチ!

 パシッ!

「えっ!?」

 少女は驚愕の瞳に! この距離でかわされたことに! でもすぐさま次の矢に手を伸ばし!

「ま、待った!」

「スラン! スランッ! 助けて! オーガーよ!」

 第二の矢をつがえ!

「ま、待った!」

「スランッッ!!」

 放つ!

「うわああっ!」

 また! 今度は心臓! 怖っ! 的確!

 じゃなくてっ!

 今度は右手でキャッチ!

「~~~っっ!!」

「姉さん!?」

 遠くから馬に似た大きな鹿に乗った人々が!

 エルフの男性たち!

「スラン! オーガーが!」

「ちっ、違っ!」

「違いますっ! 人間ですっ!」

 とテルメルク君が俺の前に立って叫ぶ!

「えっ!? に、人間!?」

 とエルフの少女が驚く!

「「そうです!」」

 俺とテルメルク君が同時に叫ぶ。と、エルフの男性たちが鹿から飛び降りて、集まる! 何人!? 四人!? まだ向こうにも!

「えっ! えっ!?」

 少女は青ざめて! 事の重大さに気づいたな!

 勘違いだと!

 俺は片膝を着くと持っていた矢を膝下に隠す。

 と凄い美青年のエルフが腰のレイピアに手をかけキョロキョロ!

「姉さん、オーガーって!?」

「あ、あのっ! そのっ!」

 しどろもどろの少女! 可愛い!

 じゃなくて、姉さん!? スランと呼ばれた優しげな美青年エルフの方は見た目二十歳くらいだが、姉さん!? ああ、どことなく顔だちが似てる! ふんわり波打つ髪とかも! 品がいい!

 と今度は艶やかな長い白髪の、しかし神経質そうな別の美青年エルフが少女と俺の前に! 年齢は三十前くらいに見えるな!

 でも白髪の美青年エルフは俺を見て目を丸め!

「いないぞ! まさかお前! この男性をオーガーと間違えたのか!?」

「~~~~っっっ!!」

 声にならない声で叫ぶ少女!

 可愛い!

 じゃなくて! 俺はフォローに走る!

「あのっ私が! 突然現れたので、驚かせてしまったのです!」

「!」

 エルフ少女は俺を驚きの目で見た!

「もうシスは!」

 うわ! 何という美女だろうか! これほど美しい女性は見たことがない! 瓜実顔うりざねがおの銀髪の美女! というかカッコいい! 戦仕度をした、凛とした絶世の美女だ。

「弓を構えて、まさか射ってはしてないだろうな」

 と壮年のエルフ男性。

 おお渋いな。ロマンスグレー。たぶん、この中のリーダーだろう。ああ、俺はこのくらいの見た目のエルフを知っている。王都に一人だけ、六百歳を越えるエルフが薬屋をやっているから。たぶん似たような年齢のハズ。

「どうなんだ、シス!」

「あ、あのっ! そのっ!」

「(怪我は)ないです! ほら、無傷でしょう!?」

 聖職者は嘘をつけないから、(怪我は)と小声で言ってから答える。

「!」 驚くシスと呼ばれた少女。

 俺は両手を上げて皆の意識を上に持っていくと、膝で矢をグリグリと土の中に押し込むように隠す。よし。

 そして手を広げながら立ち上がった。

「「!!」」

 皆が立ち上がった俺を見上げて目を丸くした。男性エルフでも細身で小柄な百六十数センチと思われる身長だから、二メートル近い逆三角形の体をした俺はさぞやオーガーに見えよう。

 実際、皆の顔が物語っている。

 巨人だ、と。

「このような私が突然現れたので、驚かれただけです。私は人間で、先ほどケンタウロスの集落にやってきました」

「「人間!」」

 皆が一気に警戒の目で見る。

 ああやはり、人間は警戒の対象か。

 白い髪の神経質そうな青年がシスさんの前に、スランと呼ばれていた優しげな青年が美女の前に立つ。なるほど、そういう関係かな?

 俺は続ける。

「恐らく、そのサテュロスの女の子が体調を悪くしていたので、心配だったのでしょう。気が動転されていたのだと思います」

 美女とスランさんがシスさんとサテュロスの幼女を見た。まだ幼女は顔色が悪い。吐いているようなので、馬か何かの乗り物酔いかもしれない。

「シス、アル。その子をケンタウロスの集落へと連れて行きなさい。スラン、ケンタウロスに先に挨拶を頼む」

「「はい」」

 シスさんは俺に申し訳なさそうな顔をしながらも三人でこの場を後にする。ふう、ごまかせたぜ!

 いや何か、矢を射ったなどと言ったら、シスさんは無茶苦茶怒られそうだったから。助けてやりたい。

 と壮年のエルフが。

「大変失礼をした。私の名はソールシュタイン。これはローレンシュタイン。人間がこのようなところにいるとは思わなかったのだろう。というかあれは人間を見たこともないと思う。貴殿の恰好からするとファーヴル(自然崇拝者)ではないな。冒険商人でもない」

 ソールシュタインさんが言葉を選びながら聞いてくる。

 理知的な瞳だ。俺との会話から俺という人物の人間性を確認しようとしているように見え、ローレンシュタインさんも同様の目で見る。俺は可能な限り誠実に答えることにした。

「はい。私は法王庁ヴァチカニアの聖戦士の一人、神殿騎士コークリットと申します」

「ほう、神殿騎士か」

「! ご存じですか?」 俺はビックリした。

「ああ。何百年も前の話だが」

「そうなので?」とローレンさん。

「うむ。だが私よりも詳しい者がいる。して神殿騎士殿、貴殿がここにいるということは、怪異が起こっていると?」

「そうです。と言いましても、少し本筋から逸れているのですが」

「なるほど」

 ソールさんはテルメルク君を見ると何かを察したようだ。そして驚くべきことを切りだしてきた。

「神殿騎士殿。我々はケンタウロスたちと協力関係を依頼するためにやってきたのだが、神殿騎士殿とも協力関係を結べないだろうか?」

「え!」 と驚いたのはテルメルク君。

 おお? 意外な申し出!

「エルフの方でも何か起こったのですか?」

「ええ。オークやオーガーの集団が出没し、今サテュロスの集落が壊滅状態になっているのです」

「ええっ!?」 とテルメルク君。

「壊滅状態に?」

 どういう状況だろうか? ケガをしたサテュロスがいるのか?

「あれ(システィーナ)が見間違えたのは、そういう先入観があったためだと思う」

「ケガをされているサテュロスはおられますか? 私が魔法で治せますが」

「いや」 ソールさんは首を振った「今のところ無事な子供たち数人を見つけただけで」

「そうですか……」

 何ということだ。そんなことが起こっているなんて……

 普段なら子供たちの心のケアをするところだが、オーガーに見えなくもない俺よりも、小柄で可愛いらしい女性のシスさんたちの方が適しているか……

 そして協力関係を結びたいところだが、今は泥沼を片付けて即刻、湖沼地帯に戻りたいところだ。何せ、調査に二百五十日もかかるんだから。寄り道はできない。

 オークやオーガーならエルフとケンタウロスの戦闘能力で十分倒せるハズだし。

 断ろうとした俺を察してか、ソールさんは付け足した。

「ケンタウロスの居住地に宿泊されるようなら、一晩お考えになってください」

「はい。承知しました。ありがとうございます」

 うーむ、意外な展開。

 しかし、お陰で魚の調査は明日になった。

 そして協力関係ができない回答は、明日、泥沼の調査後にしよう。早く湖沼地帯に戻らなければ。


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