Marlboro

高峯紅亜

タバコと彼

 その煙はゆっくりと舞い上がり、淡い靄の中へと吸い込まれていく。一瞬私の目を眩ました照明は鮮明に脳裏へと焼き付いた。私は向かいに座る彼に目を移した。

時々私を狂わす魅惑の目。筋の通った鼻に、どことなく冷たそうな唇。口元にあるホクロが私の心をくすぐる。肘に革が施されている深緑色のセーターは彼によく似合っていた。灰色のデニムに強調された両脚は筋肉で程よく引き締まり、綺麗なラインが際立っている。

ずるい。

咄嗟にそう思った。

私の想いに応えてくれないくせに、私を魅了させるから。どこまでも追いかけたくなるから。そして、いつまでも傍にいたいと思わせるから。

彼はMarlboroの箱に手を伸ばし、器用にタバコを一本取り出した。カチッという音と共に、タバコの先端は微かに赤く灯った。

容姿端麗なその姿から一旦目を逸し、私は店内を見渡した。

厨房で忙しそうに注文を読み上げる中年女性のウェイトレス。二つ隣の席で世間の愚痴をこぼすサラリーマン。黄色い歓声を上げながらはしゃいでいる女性陣。カウンター席で一人しんみりと酒を味わう男性。

皆、私のように切なく、複雑な気持ちに浸った事はあるのか。目の前にいる人がどうしても忘れられなくて、恋しくて、全てを投げ出し、犠牲にしてまでも傍にいたいのに、相手はそれと等しい情意を持ち合わせていない。私はこんなにも尽くしたいのに、捧げたいのに。

磁石のように彼に吸い寄せられた私の心は彼を離れない。いずれ、引き離されると分かっていても。

「最後の唐揚げ食べてよ」

彼の程よく低い声を聞くのが心地よい。

「あげる」

私が素っ気なく答えると彼は何故かニヤリと笑い、唐揚げをサッと口に頬張った。たまにしか見ることのできない彼の笑顔は貴重でキュッと私の心を締め付ける。

「じゃあ、行こっか」

「うん」

彼は黒いロングコートを羽織り、会計を済ました。

外に出るとひんやりとした風が身体を襲い、冬を感じさせた。新宿の歌舞伎町は多くの人で溢れていた。賑わう街に大音量の音楽。煌びやかに飾りつけられた夜の世界は私達に手招きをし、誘惑した。酒が身体を回っているせいか、世界が歪んで見えた。

少し座って休もう、彼は言った。

二人で並んでタバコを吸い、私は口から吐き出した煙を追って夜空を見上げた。白い蛍光灯が目を晦まし、星は見えないが妙に空が澄んでいるのが分かる。

彼は立ち上がり、私に手を差し伸べた。私はその温かい手を取り、ギュッと握った。

彼の手は大きく、安心感がある。私達は指を絡ませた。

ずっとこのままが良い。このまま時間が止まってしまえば良い。

世界が私達を忘れてしまえば良い。

彼は足元の吸い殻を踏み潰し、言った。

「どこ行こうか」

私が彼の顔を見上げると、彼は裏のない自然な笑みをこぼした。

そして私の手を引き、夜道へと一歩を踏み出した。

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