第8話 ステファンの悲劇
ウェインは翌朝、約束通りドルヴァルゴの領主邸に顔を出した。
執事のステファンもすでに屋敷に来ていて、ウェインの為に紅茶を入れて出してくれた。
「……しかし、物凄い傷ですねウェイン様。一体何があったのです?」
「ああ、これか。ちょっと熊と戦ってたんだよ」
「まさか森に行って、熊に襲われたのですか!?」
「ああ、かなり大変だったよ」
「よ、よく無事に逃げられましたね!?」
「いや、逃げてはいないぞ。素手で倒したんだ。凄いだろ?」
ステファンはウェインが冗談を言っていると思い、軽くスルーした。
「まあ、ウェイン様がご無事で何よりです。……それよりも、この領主邸の売却についてですが」
「ああ、どんどん話を進めてもらっていいぞ。俺はすっかり『キャンプ』に魅了されてしまったからな、もうこの屋敷は無くても構わないさ」
「ほう、キャンプですか? それは結構ですね。……では本当に売却先を探して来ますが、宜しいですか?」
「ああ、頼むよ。売却時は不正が無いように俺も立ち会うからな」
「ふ、不正などするわけがございません」
「分かった、分かった。……それと屋敷の売却が終わったら、ステファンも自由にしていいからな」
ステファンは、ウェインとう人物が掴めなかった。
領主邸を売却しようとしているのは間違いないし、執事もいらないと言う。
だが、たった1人で住む場所も無く、どうやってこのドルヴァエゴの地を治めていくというのだ?
ステファンは分からなくなっていた。
「ウェイン様、ちょっとだけ外の空気を吸って来てもよろしいでしょうか?」
「ん? ああ、構わないぞ。なんてたって屋外は気持ちがいいからな。またすぐにキャンプしたいな~」
「では、少しの間失礼致します」
ステファンはウェインについて、どのように領民達に報告すべきかを悩みながら歩き、そして正面玄関を開けた。
するとステファンは信じられない物を見た。
熊。
それも3匹の巨大な熊が、行儀良く正面玄関の前に座っていたのだ。
その口には魚咥えている。
「……う、うわああああぁぁあああー!!」
ステファンの悲鳴を聞いて、慌ててウェインが応接室から出て来た。
「ど、どうしたんだステファン!? 尿漏れでもしたのかっ!? ……んん!?」
ウェインの姿を見た熊達は、口に咥えていた魚をウェインの足元に置いた。
「おいおい、また魚を持って来てくれたのかよ!? どんだけ友情に厚いんだお前らは!」
ウェインはまた熊達の頭を撫でてやった。
ステファンは腰が抜けてその場から動けない。
「おいステファン、こいつらにお礼がしたいんだけど、何かあげる物ないかな?」
ステファンは口をパクパクさせているが、恐怖のあまり声が出なくなっていた。
「おいおい何だよステファン、魚の真似でもしてんのか? 堅物かと思ったけど面白い奴なんだな!」
「……こ、こ、こ、殺され」
「ハハハハーっ、何だよ今度はニワトリの真似か? ……ていうかそれよりも熊に何かあげたいんだよ。まあいいや、自分で探してくるから。ステファンはこいつらの相手していてくれよ」
「……ま、ま、待って下さいっ! 置いていかないでっ!!」
懇願するステファンに気が付かず、ウェインは屋敷の台所へ向かう。
そして台所からハチミツ入りの瓶を見付けると、再び玄関に戻ってそれを熊達に舐めさせた。
「お? やっぱり熊はハチミツが好きみたいだな、ステファン」
ステファンはまた口をパクパクさせている。
やがて、ハチミツを舐め尽した熊達は、満足そうに森に帰って行くのだった。
「うーん、すっかり友達だな。……あっ! も、もしかして、師匠の言っていた事はこういう事だったのか!?」
ウェインは思った。
拳と拳を合わせれば、いずれ友情が芽生える。
剣や銃では命の奪い合いにしかならない。
師匠は全てを知っていた。
それを体験させる為に、熊を素手で倒せと言ったのだ。
「師匠、あんたって人は、どれだけ凄い人なんだ。そしてキャンプの極意とはこんなにも素晴らしい物なのか!」
ウェインは再びキャンプに感動し、この道を極めて行こうと決意を新たにしたのだった。
◇◇◇
ステファンは再び、領民の集まる長老宅に来ていた。
「ステファン、あんたさっきから何を言っているんだ!?」
中年の領民の男が、ステファンを問いただしていた。
「私の話した事を信じてもらえないのは、無理もありません。ですが全て真実なのです!」
「一体どうしたのステファンさん!? 畑を荒らしていたあの凶暴な熊達が領主に懐くわけないでしょ?」
リアナも声を荒げてステファンに尋ねた。
ステファンは懐からハンカチを取り出し、額の汗を拭っている。
すると、突然長老宅のドアが叩かれた。
「おーい、領民が集まっているってのはこの家か?」
玄関からは男の声がする。
「……こ、この声は新領主のウェインですっ!」
ステファンの言葉に一同が凍りつく。
前の領主など、許可なく話し合いをしただけで厳罰を与えられたからだ。
「ど、どうしようステファンさん!?」
「こ、ここは私にお任せください。何とか誤魔化してみます!」
ステファンは恐る恐るドアを開けた。
「あれ? 何だステファンも来てたのか」
「そ、そうなんですよ。領主邸を買ってくれる人がいないか、領民を集めて話し合っていたんです」
「おう、そうかそうか。悪いな面倒かけちまって」
「とんでもありません。……それでウェイン様はどうしてここへ?」
「ああ、さっきの熊達が魚を沢山持ってくるもんだから、俺1人じゃ食べ切れなくてな。領民に魚を配っているんだよ」
「……な、何と!」
魚を配っていると聞いた領民達は、驚いて次々にウェインの前に顔を出した。
ドルヴァエゴでは、海には海賊が出没する為、漁をする事が殆ど出来ない。森の中の小川では川魚がとれるが、それも熊達が食い尽くすのか、下流では全く魚がとれなかったのだ。
何年も魚を食べていなかった領民達は、ウェインが引っ張って来た荷車の上の魚を見て歓喜した。
「りょ、領主様……!」
「おう、俺が新しい領主のウェインだ。よろしくな」
「よ、宜しくお願い致します!! ……そ、それでこの魚は本当に頂いても?」
「ああ、勿論だ。沢山あるから皆で分けてくれ」
ウェインの言葉に領民達はさらに歓喜し、奪い合うように荷車の魚を取っていった。
「ちょ、ちょっとみんな止めなさいよ!」
「何言ってるんだリアナ! 魚を食べられるなんて6年ぶりなんだぞ! お前ももらったらどうだ!?」
「そうだそうだ! これを逃したらもう食えないかもしれないぞっ!」
ウェインを警戒しているリアナが領民を止めるが、荷車の魚はあっという間に無くなってしまった。
「すげーな、みんな魚好きなんだな。多分これからも配れると思うから、また持って来るぞ?」
領民達はウェインに何度も頭を下げながら、猛ダッシュで各家庭に魚を持ち帰って行ったのだった。
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